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水戸駅前店
2022/06/14

茨城県水戸市 茶道具の買取|楽焼 萩焼 唐津焼|時代を経た茶碗の価値を見極めます

5:51 am

はじめに

こんにちは。茶道具の査定・買取を行っている買取専門店『くらや水戸駅前店』です。当店では、掛け軸や棚など大きな茶道具から、茶杓や棗といった小さなものまで、茶道具に精通したプロの鑑定士が幅広く査定・鑑定を行っています。価値ある大切な茶道具の査定・買取は、『くらや水戸駅前店』に是非お任せください。

 

先日、出張買取で茶道具の処分をお手伝いしました。茶道具の持ち主だった方は、生前茶道の先生をされていたのだそうです。その方が亡くなってから早数年。「そろそろ片付けをしなければ」ということで、ご遺族の方より『くらや水戸駅前店』へお問い合わせをいただきました。

 

残念ながらご遺族の方々は茶道に縁遠く、部屋を埋め尽くしている茶道具にもあまり関心が持てなかったのだとか。「価値があるものは形見として手元に残しておきたい」「それ以外の茶道具はどう処分したものか…」と悩まれているご様子でした。

 

そこでまず当店の鑑定士は、価値あるものの仕分けから取り組みました。査定・買取は前提としながらも、手元に残すべきものは残す。こういった相談も、遠慮なくお申し付けください。

 

さて、大小様々なお道具が数十種類にわたり存在する茶道具ですが、〈茶道具〉と聞いたときに皆様が真っ先に思い浮かぶのは〈茶碗〉ではないでしょうか?茶碗は、物を大切に扱うという茶道の心がもっとも感じられる道具です。茶道を真剣に習われていた方や、かつて茶道教室を開いていた方などは、拘りの茶碗を蒐集していることも多いでしょう。

 

古くから茶の湯の世界では、茶人の茶碗の好みの順位あるいは格付けとして〈一楽二萩三唐津〉と言われてきました。一位は楽焼、二位は萩焼、三位は唐津焼という意味で、茶道の中心でそれぞれが強く存在感を放っていた陶器です。

 

今回は、茶道における茶碗の歴史とともに、楽焼・萩焼・唐津焼についてのお話や、高価買取が期待できる作家などについてご紹介していきます。お手持ちの茶碗の査定・買取を希望される方、ご自宅に眠る茶道具の本当の価値が知りたいという方は、是非最後までお付き合いください。

伝来当初のお茶

狭い茶室の中で、渋い風情の茶碗で厳かに抹茶を飲む…。茶道のイメージとして、こう思われている方は多いでしょう。今に続く侘び寂びの茶道は千利休によって大成されたものですが、実はそれ以前は侘び寂びとは大分様子が違いました。

 

中国から日本へお茶を伝えたのは、平安時代の遣唐使。当時のお茶は一般庶民には到底手の届くものではなく、皇族や貴族などといった人々のみが楽しめるものでした。

 

〈団茶〉という言葉を聞いたことがあるでしょうか?お茶の葉を蒸し、固めて団子状にしたもので、この頃は病気治癒のための漢方薬として飲まれていました。今でもお茶を〈点てる〉や〈一服〉などの言い回しが残っていますが、これは薬としてお茶を飲んでいた当時の名残りなのです。

武士とお茶

鎌倉時代初期の頃のこと。中国へ留学していた僧・栄西によって、臨済宗とともに伝えられたのが抹茶を飲む風習でした。これにより、禅宗寺院を中心に喫茶の習慣が普及し始めます。栄西は〈茶の始祖〉と呼ばれていることでも有名ですよね。

 

禅の思想が武士階級に受け入れられるに従い、武士の間で喫茶の風習が広まっていきます。この当時の喫茶は、現代にみる精神的な深みを求めるものというよりも、娯楽としての要素が強かったようです。

 

鎌倉時代後半には、武士の間でお茶の産地や種類を当てる茶歌舞伎(茶香服)が流行しました。そして南北朝時代に入り大変な盛り上がりをみせたのが、より賭博的要素を強くした闘茶(とうちゃ)という遊びでした。

 

闘茶の人気ぶりは、幕府が度々禁止令を出すほどだったのだとか。こういった娯楽性の強い喫茶のほか、豪華な美術品で飾り立てた書院造の座敷で、高価な唐物の茶道具を鑑賞しながらお茶を飲む茶会も流行したようです。

 

遊びや賭博、高価な道具を見せびらかすなど、今の茶道とは雰囲気が異なる喫茶が人気を博す一方、禅の思想や礼法を重視した侘茶が生まれます。

侘茶

村田珠光に始まり、武野紹鴎を経て千利休によって大成された侘茶。村田珠光は〈侘茶の祖〉とも言われる人物です。京都大徳寺の一休宗純に禅を学び、当時中国産の唐物しかなかった茶道具に、国産のものを取り入れたことで知られています。

 

村田珠光の茶風を受け継ぎ、より茶道の侘茶化を進めたのが武野紹鴎という人物。この武野紹鴎の弟子のひとりこそ、侘茶の大成者と呼ばれる茶聖・千利休だったのです。

 

千利休によって茶の湯はより深い精神性を求める道となり、その代表的な道具である茶碗にも侘びの精神性が表現されていくようになりました。完全無欠の唐物よりも、不完全で侘しいものに、枯れた美(冷凍寂枯の美意識)が見出されるようになったのです。

日本と西洋の美意識の違い

同じ茶を飲む器でも、日本と西洋では根本的な違いがあります。どちらも、主人と客が茶を飲むことで親睦を深めるといった意味では同じです。しかし、日本の侘茶には精神の浄化を求める日本人の禅的精神性が含まれています。

 

西洋においては、完成された華やかな器で甘いお茶を飲み、日本人は一見地味な茶碗で苦い茶を飲む。ここには真逆の文化的背景があることが分かるでしょう。このような文化・思想の違いは、当時日本にやってきた宣教師たちが書き残しています。

 

1579(天正7)年に日本へやってきたイエズス会の宣教師アレキサンドロ・バリアーノは、茶道をキリスト教の布教に利用しようとしたのだそう。ところが〈日本の苦いお茶はとても飲めたものではなく、茶道具の魅力がどこにあるのか分からない〉といった記述を残しています。

 

他にも、〈日本史〉を著したことで知られる宣教師ルイス・フロイスは、〈西欧人は金銀宝石を宝とするが、日本人は壊れかけの陶器や鉄釜を至上の宝と考えている〉と述べているようです。同じく中国から喫茶の風習を学んだ日本人とヨーロッパ人ですが、価値観の相違が見て取れますよね。

 

茶碗を例にとり、このように日本文化と西洋文化を比較することは大変面白いです。日本人の、何事にも深い精神性を求めてやまない文化活動の原点とも言えるのではないでしょうか。

5:51 am

楽焼

〈楽焼〉は京都の陶器です。千利休の指導により、楽長次郎(らくちょうじろう)が始めたとされ、現在までその技法を伝えています。代々親から一人の子へと〈一子相伝〉で伝統が受け継がれている楽家。現在は、16代目である吉左衛門がその伝統を守っています。

 

楽焼の造形上の特徴は、それまでにない半筒形、轆轤を使わずに手捏ねで成形する、沈鬱な表現を可能とした黒釉と赤釉の開発、艶消しの鉛釉の使用などです。こうして表現される美は、千利休が提唱した冷凍侘枯の美意識を最もよく体現したものと言えます。

 

楽焼といえば〈黒楽〉と〈赤楽〉でしょう。この二つは焼成の際の温度や工程がそれぞれ異なります。茶会記〈神屋宗湛日記〉によれば、千利休曰く、豊臣秀吉は赤楽を好み黒楽を嫌ったのだそうです。

 

長次郎が黒楽と赤楽の茶碗を完成させたのは、1586(天正14)年頃のこと。焼成温度が低い楽茶碗は非常に繊細です。赤楽に至っては更に焼成温度が低いために、慎重な扱いが必要となります。

 

楽焼は、楽家の〈本窯〉と傍流の〈脇窯〉とを区別していることも特徴です。著名な傍系窯元として、〈宗味焼〉〈道楽焼〉〈大樋焼〉〈玉水焼〉〈吉向焼〉などが挙げられます。初代長次郎をはじめ、数々の名品が残されている楽茶碗の査定は、『くらや水戸駅前店』にお任せください。

萩焼

〈萩焼〉の発祥は山口県萩市。萩焼の多くは茶陶として作られ、中でも茶碗の数は圧倒的に多いです。焼き締まりの少ない陶土を用いた柔らかな風合いが特徴で、絵付けなどの装飾はほとんど見られません。

 

〈萩の七化け〉と呼ばれる器表面の変化は、萩焼の魅力のひとつです。萩焼の茶碗は使い込むほどに色合いが変化し、趣が増してきます。萩の七化けはこれを表した言葉で、茶渋が釉薬面の細かなヒビ割れに入り込み、枯れたような味わいが出てくるのが見どころです。

 

豊臣秀吉による文禄・慶長の役の際、武将・毛利輝元が現地で陶工をしていた李勺光・李敬の兄弟を日本へ連れ帰り、萩の松本に窯を築かせたことが萩焼の始まりとされます。十三連房からなる朝鮮式登窯が築かれ、当初は主に高麗茶碗に似た茶碗が焼かれていたようです。

 

近年においては、〈12代坂倉新兵衛〉や〈10代三輪休雪〉が無形文化財に認定されました。12代坂倉新兵衛は、一時期衰退を見せていた萩焼を復興に導いた〈中興の祖〉と呼ばれる人物。その技術は萩焼の歴史の中でも群を抜き、その作品は二次流通の市場においても人気です。

 

10代および11代三輪休雪は、重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。また、1700年代以前に作られた〈古荻〉は、作家が不明でも需要と人気が高く、高額査定が望めるでしょう。お手持ちの萩焼の価値を知りたくなった方は、一度『くらや水戸駅前店』で査定してみませんか?

唐津焼

5:51 am

〈唐津焼〉は、佐賀県唐津市で焼造された陶器です。〈火の芸術〉とも例えられる唐津焼の最大の魅力は、その焼き上がり。登り釜で焼かれる唐津焼は、非常に深みのある発色が特徴で、高台の素地の土見せも見どころとなっています。

 

唐津焼の作行きは非常に多く、〈絵唐津〉〈皮鯨〉〈朝鮮唐津〉〈斑唐津〉〈粉引唐津〉〈三島唐津〉〈黒唐津〉〈彫唐津〉〈奥高麗〉など多種多様です。唐津焼の起源は諸説あるのですが、文禄・慶長の役の際に朝鮮から渡来した陶工によって、連房式登り窯や蹴り轆轤などの技術が伝えられたことがその始まりなのだそう。

 

この創始期から慶長元和年間の最盛期を経て、衰退期に転ずる約70年間に渡りつくられた唐津焼は〈古唐津〉と呼ばれ、茶道において珍重されています。また、唐津焼の人間国宝〈中里無庵〉をはじめ、その長男で陶芸家の〈13代中里太郎右衛門〉や、人気作家〈西岡小十〉〈藤ノ木土平〉〈丸田宗彦〉が手掛けた作品は高価買取が期待できるでしょう。

まとめ

一楽二萩三唐津にみるように、奥深い歴史のある日本の茶碗。茶碗は、数ある茶道具の中でも主役となるお道具のひとつです。鑑賞の対象としてだけでなく、時にはお茶会における話題にもなります。

 

また、伝来物も多く大切に扱われる傾向にある茶碗は、最も時代を経ている可能性がある茶道具です。ご自宅に眠っている茶碗には、ひょっとしたら驚くべき価値が潜んでいるかもしれません。

 

茶道具や骨董品の査定・鑑定は、その価値を正しく見極められる専門の知識をもった鑑定士に依頼したいものです。『くらや水戸駅前店』には、茶碗や掛け軸などといった茶道具の買取経験が豊富なプロの鑑定士が在籍しています。

 

茶道具以外にも、遺品整理や片付けで見つけた骨董品・古美術品の査定・買取も、『くらや水戸駅前店』にご相談ください。鑑定士がお客様のご自宅等に直接お伺いし、査定から買取までを一貫して行う出張買取もご好評いただいております。

 

査定・相談・出張費用は無料です。お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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店舗: くらや 水戸駅前店
住所: 茨城県水戸市宮町2-1-1
電話: 029-291-7292
営業時間:10:00~18:00

 定休日:水曜日

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