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松戸店
2022/06/27

千葉県松戸市 絵画の買取|鏑木清方|日本画 美人画 査定お任せください

1:56 am

はじめに

こんにちは。絵画や古美術品の査定・買取を行っている買取専門店『くらや松戸店』です。絵画、掛け軸、版画、リトグラフ、シルクスクリーンなどの買取なら『くらや松戸店』にお任せください。専門の知識を持ったプロの鑑定士が、ひとつひとつ丁寧に査定します。

 

〈日本画〉と聞いたとき、皆様は何を思い浮かべますか?素朴で淡い〈風景画〉、雅な鳥や花が美しい〈花鳥画〉、はたまた昔の絵巻に出てくるような〈大和絵〉…。十人十色のイメージがあることでしょう。

 

そんな日本画の一様式に、〈美人画〉というものがあります。美人画の起源は江戸時代の浮世絵にあると考えられており、例えば菱川師宣の肉筆浮世絵〈見返り美人図〉などは大変有名ですよね。江戸時代の人々に持て囃された美人画は、その後日本国内に留まらず海外でも高い評価を得ていくこととなりました。

 

〈竹久夢二〉〈伊東深水〉〈鏑木清方〉などは、近代の日本画壇における美人画の大家です。この中から今回は、〈鏑木清方〉にスポットを当ててお話ししていきたいと思います。

再注目の鏑木清方

2022年のいま、鏑木清方が再注目されているのをご存知でしょうか?同じく美人画を得意とした日本画家・上村松園と並び、〈東の清方、西の松園〉と呼ばれるほどの美人画の巨匠です。

 

鏑木清方の没後50年となる今年、東京国立近代美術館では大規模な特別展覧会が行われました。長いことその所在が不明であった代表作〈築地明石町〉が、三部作である〈新富町〉〈浜町河岸〉とともに公開されたことがきっかけで、鏑木清方に再び関心が集まっているのです。

 

〈築地明石町〉は記念切手にもなっており、鏑木清方を知らない方でも一度は目にしたことがあるのでは。黒い羽織を着た女性が、朝露に包まれた旧外国人居留地の明石町に佇んでいる姿が描かれています。

 

いわゆる見返り美人のポーズで、明治時代に流行したイギリス巻と呼ばれる髪型も印象的ですよね。鏑木清方が49歳の時に制作した〈築地明石町〉は、画想・画技を余すことなく注ぎ込んだ名作と言われています。

 

この名作が鏑木清方の没後、1975(昭和50)年にサントリー美術館で開催された展覧会を最後に、所在不明となっていたのです。幻と化していた〈築地明石町〉が見つかったのは、今から約3年前のこと。イベント自粛などの影響もあり、発見直後は十分なお披露目が叶いませんでした。

 

〈築地明石町〉〈新富町〉〈浜町河岸〉の三部作は個人が所蔵していたため、東京国立近代美術館が所属する独立行政法人国立美術館が、計5億4,000万円で買取ったのだとか。画商や研究者などから入ってきた断片的な情報をもとに、長い時間をかけてようやく所蔵者を見つけ出すことができたそうです。

 

幼少期を築地や京橋で過ごした鏑木清方にとって、現在の中央区にある明石町・新富町・浜町の一帯はいわば思い出の地。追憶に溢れた絵画や随筆が、数多く残されています。

鏑木清方の生い立ち

鏑木清方が誕生したのは1878(明治11)年。明治維新から10年の時が経ち、政治の動乱期にあった日本は段々と落ち着きを取り戻していました。色恋ものを題材とした人情作家を父に持ち、幼い頃から噺家や浮世絵師などといった文化人との交流が多くあったようです。

 

父・条野採菊(じょうのさいぎく)は、明治維新後に〈東京日日新聞〉〈やまと新聞〉を創刊し、新聞小説を書いていました。浮世絵の流れを汲む水野年方に入門し、やまと新聞に挿絵を描くようになったのは鏑木清方が17歳の時のことでした。

 

以後様々な新聞諸雑誌の挿絵を手掛け、10代にしてプロの挿絵画家として活躍します。浮世絵師に弟子入りしたはずの鏑木清方が、挿絵画家になったのは何故だったのでしょうか?

 

江戸時代に盛況を誇っていた浮世絵が衰退を見せ始めたのは、明治になってからのこと。明治維新以後、西洋から活版印刷や写真の技術が入ってきたことが大きく影響しています。

 

写真は、浮世絵とは比べ物にならないほど実物の詳細な姿をうつし出し、活版印刷は安価で大量生産が可能です。こういった時代の流れを受け、明治には浮世絵師の仕事が激減してしまいます。その結果、多くの浮世絵師が挿絵画家へ転身していったのだとか。

 

師であった水野年方の時代には、既に浮世絵の仕事だけで生計を立てるのは難しくなっており、これを目の当たりにした鏑木清方は挿絵画家として世に出ます。華やかな口絵や情感たっぷりの挿絵は見る者の心を惹きつけ、引く手数多の人気挿絵師となったのでした。

美人画が注目される一方で…

38歳の時に制作した〈霽れゆく村雨〉が文展の最高賞を受賞し、一見順風満帆にみえた鏑木清方の画家人生。ところが当の本人は、美人画の範疇に括られることをあまり快くは思っていなかったようです。

 

〈自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かるる〉とった言葉を遺しているように、自身の作品は女性の背後にある社会性や時代そのものを描いた、風俗社会画だと捉えていました。

 

江戸時代の風情や情緒が好きであることを公言していた鏑木清方にとって、これらが時代の流れとともに失われていくのは至極惜しかったことでしょう。世間からは美人画を求められる一方、失われつつある情景を絵画で伝えていくことを試み始めます。

 

1923(大正12)年に起きた関東大震災の前後では、神経衰弱となり長らく自身の作品制作を疎かにしていたようです。そんなスランプとも言える時期から脱却した後、〈朝涼〉〈築地明石町〉〈三遊亭円朝像〉〈明治風俗十二ヶ月〉などといった名作の数々が生み出されました。

鏑木清方の代表作

一葉女史の墓

鏑木清方は、女流作家〈樋口一葉〉を敬愛していたのだそう。1896(明治29)年創刊の文藝倶樂部に樋口一葉の名作〈たけくらべ〉が掲載され、これを読んだ鏑木清方は深い感銘を受けたと言われています。

 

樋口一葉は若くしてこの世を去り、挿絵師として携わることは叶いませんでした。ところが、樋口一葉の墓参りをした際に鏑木清方が描いた作品が一躍脚光を浴びます。

 

その作品というのが、墓石にもたれかかるひとりの女性が描かれた〈一葉女史の墓〉です。制作されたのは1902(明治35)年。鏑木清方が24歳のときのことでした。

 

小さな水仙の花が袖に抱かれている様から推測するに、描かれた女性は〈たけくらべ〉の主人公にほかならないでしょう。この作品は傑作と評されるようになり、鏑木清方にとって美人画の出発点となりました。

朝涼

長いスランプを経験した鏑木清方でしたが、1925(大正14)年に発表した作品〈朝涼〉で完全復活を遂げます。〈朝涼〉は、横84cm縦219cmという非常に大きな作品です。

 

夏の朝に、蓮池のほとりを歩く少女が描かれています。描かれている少女のモデルは、鏑木清方の長女・清子なのだとか。この作品は関東大震災をきっかけに描かれたと言われており、美人画、風景画、風俗画と様々な要素が盛り込まれています。

築地明石町

朝涼の3年後に発表された〈築地明石町〉。冒頭でもお話ししましたが、この作品は長らくその所在が不明だった幻の傑作です。1927(昭和2)年に開催された第8回帝展では、帝国美術院賞を受賞しています。

 

描かれているのは、中央区築地近くの風景。明治期に外国人居留地であった明石町は、異国情緒溢れる町でした。女性が振り返るポーズには、幼少期を過ごした郷里への思いが表れているのではないでしょうか。

高評価となるのは?

鏑木清方の作品に限らず、絵画の評価は描かれている図柄によっても大きく変わります。作家本人が得意としたテーマは需要が高く、鏑木清方の場合はやはり女性像が大きく描かれている作品が人気です。

 

作品のサイズや保存状態はもちろんのこと、制作年代も重要な評価ポイントになります。〈朝涼〉や〈築地明石町〉などが制作された時期は、鏑木清方が画家としての充実期を迎えており、この頃に制作された作品は高評価となることが多いでしょう。

 

共箱や鑑定書がある場合は、査定時に是非お持ちください。作品が収められている共箱の蓋には作家名が記されていることが多く、その絵画の正しい価値を見極めるために鑑定士が必ず確認するポイントです。

 

『くらや松戸店』では、絵画の買取だけでなく真贋判定や査定のみのご依頼も承っています。「手放そうと思っている絵画があるけれど、価値あるものは形見として遺したい」「遺品整理で見つけた絵画にどれほどの価値があるのか知りたい」という方も、お気軽にご相談ください。

まとめ

鏑木清方が、その生涯に幕を下ろしたのは1972(昭和47)年。それから50年もの時を経て、再び多くの人から注目を集めることとなります。そのきっかけは、望郷の思いが詰まった一枚の美人画でした。

 

鏑木清方をはじめ、美人画の大家たちが描いた作品をお持ちの方は、今こそ査定・鑑定をする絶好の機会なのではないでしょうか。絵画に精通し、買取経験を多く持つ『くらや松戸店』の鑑定士が、お手持ちの絵画の価値をしっかりと丁寧に見極めます。

 

手放そうと思っている絵画、価値が気になる古い時代の掛け軸、大切に蒐集してきた版画作品の査定・買取なら、是非一度『くらや松戸店』へご相談ください。査定・相談・出張買取にかかる費用は全て無料です。

 

皆様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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