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松戸店
2022/04/27

千葉県松戸市 バカラの買取|グラス 花瓶|クリスタルガラスの王者が魅せる芸術作品

1:30 am

はじめに

こんにちは。バカラやラリックなど、高級ブランド洋食器やガラス製品の査定・買取を行っている買取専門店『くらや松戸店』です。高級グラスと言えば、まず一番に〈バカラ〉を思い浮かべるという方も多いでしょう。実際に『くらや松戸店』にお持ち込みいただくものの中でも、バカラのグラスは高額査定に繋がることが多々あります。

 

バカラ(Baccarat)は、その透明度の高さと繊細なカットが評価され、1855年に開催されたパリ万国博覧会では金賞を獲得。その後も、フランス国王ルイ18世、皇帝ナポレオン3世、ロシア最後の皇帝ニコライ2世、インドのマハラジャなど、名だたる世界の王侯貴族に愛用されました。

 

日本の皇室から発注があったのは1909年のこと。この時制作されたグラスは、菊の紋章があしらわれているのが特徴です。1999年には天皇陛下御在位10年記念として、2003年には天皇陛下御生誕70歳のお祝いに、日本の皇室は外交上の贈り物としてバカラを受け取っています。

 

輝かしい軌跡を辿ってきたバカラですが、バカラが生み出す作品はなぜこんなにも世界中で高く評価されるようになったのでしょうか。

バカラならではの特徴

私達が普段よく目にするガラスコップやビン、窓ガラスには、一般的にソーダガラスが使われています。ソーダガラスとは、ガラスの原料に酸化ナトリウムを混ぜてつくられたものです。原料に炭酸ナトリウムが使用されていることから、ソーダという名前がついています。

 

ソーダガラスの特徴は、軽くて固く、透明性があること。扱いやすく様々なガラス製品に採用されるソーダガラスですが、バカラにもこれが使われているかというと、実は違うのです。

 

バカラの製品には、原料に鉛や水晶といった鉱物を混ぜてつくられる〈クリスタルガラス〉が使われています。酸化ナトリウムを混ぜるソーダガラスに対し、鉛を混ぜるクリスタルガラスには一体どのような特徴があるのでしょうか。

クリスタルガラス

鉛が含まれていることから、クリスタルガラスはソーダガラスより重量があります。よく言えば重厚感があると言えますが、重くて使いづらいというデメリットも…。しかし、このデメリットを凌駕するメリットがあることも事実です。

 

クリスタルガラスを用いるメリットには、光の反射でカットされた部分が虹色に輝くこと、弾いた時に金属音が奏でられることなどが挙げられます。つまり、クリスタルガラスは美しい輝きを放ち、乾杯でグラスを合わせた際に澄んだ音がするのです。

 

鉛の含有量が多ければ多いほど、ずっしりとした重厚感が演出され、キーンという爽やかな音も更に響くようになります。お手元にバカラのグラスと量販店などで販売されているグラスがあるという方は、一度この重さと音の違いを確かめてみてください。特に弾いた時の音は、真贋判定でもよくチェックされる重要なポイントです。

 

ヨーロッパで決められているクリスタルガラスの定義は、酸化鉛の割合が全体の24%以上。30%を超える酸化鉛を含んだものは〈フルレッドクリスタル〉と呼ばれ、バカラの製品にはこれが使用されています。バカラの輝きや独特な金属音は、ここから生まれるのですね。

M.O.F.

材料の違いの他にも、バカラが他のガラスメーカーと一線を画す理由があります。それはずばり、作り手です。フランスには〈M.O.F.〉という呼称があるのですが、これはフランス最優秀職人を意味します。日本でいう人間国宝といったところでしょうか。

 

フランスでは、M.O.F.の資格を取得するのに20年はかかると言われているのだとか。バカラ社からは今までに50人以上ものM.O.F.保持者が輩出されており、現在も16名のM.O.F.を取得した職人が在籍しています。こういった作り手により、バカラのデザイン性や品質の高さが保持されているのです。

バカラの歴史

ここからは、バカラの歴史について解説していきましょう。ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場が設立されたのは1765年。ヨーロッパ全域で行われた史上初の世界大戦〈七年戦争〉が終結した直後のことでした。

 

七年戦争の影響で困窮していたフランスの経済状況を受け、ロレーヌ地方の統主であったモンモレンシー・ラヴェル司教は、バカラ村の豊かな森林と水資源を活用することを考案。産業を興すべく、時の王であったルイ15世にガラス工場の設立を請願します。

 

当時のフランスにはガラスブランドが無く、ガラス工芸として第一線で活躍していたのは、ボヘミアンガラス(チェコ)やベネチアンガラス(イタリア)といったブランドでした。ルイ15世はこの請願に応え、1765年にバカラ村を流れる川の河畔に工場の設立を許可します。これがバカラの歴史の始まりです。

クリスタルの女王 サンルイ

時を同じくし、別のガラスメーカー・サンルイ(SAINT LOUIS)も誕生します。日本ではあまり知られていませんが、ヨーロッパではクリスタルブランドの王者と言えばバカラ、クリスタルブランドの女王といえばサンルイといわれるほど有名です。

 

現在のサンルイはエルメスブランドの傘下に入っています。このサンルイがバカラにとって非常に重要な存在になっていくのですが、二つのブランドの関係性は次の章より詳しく見ていきましょう。

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サンルイとバカラの関係

フランス革命が勃発した1789年。バカラはこの混乱をうけ倒産し、一度その歴史に幕を下ろします。一方でサンルイは事業を存続。1798年に開催されたフランス産業展示会のガラス部門には、サンルイの花瓶が出品されました。

 

この花瓶の制作者は、エメガブリエル・ダルディークという人物。花瓶が高く評価されことに気を良くしたエメガブリエルは、サンルイとは別に自分の作品をつくりたいと考えるようになりました。

 

そこで彼が目を付けたのが、当時フランスの統治下にあったベルギーです。サンルイに在籍しながらベルギーの空き工場を買収し、自身の好きな作品を作り始めます。

 

ベルギーがフランスの統治下から抜け、工場から撤退を余儀なくされたエメガブリエルは再びフランスへ。サンルイに復帰を果たすものの、自身のオリジナル作品を制作すべく工場を探し始めます。

 

そして遂にエメガブリエルが見つけたのが、一度倒産したモンモランシーのバカラの工場だったのです。1816年、新生バカラはこうして誕生しました。

新生バカラの誕生

サンルイでは職人として、バカラでは経営者として、約40年にも渡り二刀流で活動していたエメガブリエル。この期間のサンルイとバカラからは、ブランドマークが違うだけでほぼ同じ製品が生み出されました。

 

その後、エメガブリエルの次に経営者となったのがゴダール・デマレです。このゴダール・デマレは大変優秀な経営者で、彼の理念が今のバカラを作り上げたといっても過言ではありません。

 

彼の理念は〈バカラ社の未来は製品の品質と職人の技術次第〉というものでした。職人を大切にしたゴダールは、貧困層の女性や子供の雇用をはじめ、疾病、貯蓄、退職といった各種厚生基金を備える当時最先端の福祉制度をつくりました。

 

サンルイとバカラの合弁会社は1857年まで続きましたが、その後バカラ社は独立。更にその3年後には、いまに伝わるあの丸いバカラのマークが商標登録されたのでした。

万博での活躍

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産業振興を目的とし、ヨーロッパ各国で頻繁に万博が開催されていた1800年代。フランスでは1855年、1867年、1878年に万博が催されました。当時の審査では、大きな作品であるほど高く評価される傾向にあったようです。

 

大きな作品を作るには、大変な技術が必要とされます。大きい作品を出品することは、高い技術力を有していると評価され、金賞が授与されることも多かったのだとか。当時のバカラには、高さ5m、直径1.8mの燭台や、高さ5m、直径3mのシャンデリアなどを作る技術があり、この3回の万博すべてにおいて金賞を獲得しています。

 

バカラは、1889年・1900年に開催されたパリ万博に参加していないのですが、この理由は何故だったのでしょうか。過去3回の万博で自社の技術力を十分にアピールできたと感じたバカラは、万博に出品するための費用を社員の給料の底上げや設備投資に使いたい、と考えたのだそうです。

 

第一次世界大戦の影響で、25年ぶりの開催となった1925年のパリ万博では、芸術様式に変化が見られました。それまではアール・ヌーボー全盛期でしたが、1925年頃にはアール・デコ様式が台頭してきたのです。

アール・デコ期以降のバカラ

アール・デコ期のバカラに、ジョルジェ・シュバリエというデザイナーがいました。ジョルジェがバカラの全出品作品のデザインを任されたのは、1925年のパリ万博でのこと。この時出品されたのは、今でもオールドバカラとして人気のあるアール・デコ様式の〈アルジャンティーナ〉や〈フォントネー〉などといった作品です。

 

職人による手作りがメインで、貴族や富裕層が顧客の中心だったバカラが一転。アール・デコ様式の登場によって大量生産が可能になり、一般庶民をもターゲットにしたブランドへと姿を変えていきました。

 

ジョルジュ・シュバリエは、1960年代までバカラを代表するデザイナーとして活躍。1970年代以降バカラ社は様々な国のデザイナーとタッグを組み、既存の概念にとらわれない製品を生み出していきます。

 

バカラ社の経営権が、アメリカの投資会社に譲渡されたのは2005年。2017年には中国の投資会社に買収されます。工場は今まで通りフランス・ロレーヌ地方のバカラ村にあり、フランス人の職人が作品づくりを担っています。

まとめ

結婚祝いや退職祝い、引き出物でもらったバカラのグラス、美しい花を活けるために集めたバカラの花瓶。価値あるバカラの作品が、出番を逸し箪笥で眠ったままになっていませんか?

 

バカラのような歴史のある高級洋食器の査定は、専門の知識をもった鑑定士に依頼したいものです。高級洋食器の買取経験が豊富なプロの鑑定士が在籍する『くらや松戸店』なら、その価値を正しく査定・鑑定することができます。

 

バカラ以外にも、査定を希望される高級洋食器やガラス工芸品をお持ちの方はお気楽にお申し付けください。鑑定士がお客様のご自宅へお伺いし、査定から買取までを一貫して行う出張買取もご好評をいただいております。

 

査定・相談・出張費用は無料です。お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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店舗:くらや 松戸店
住所:千葉県松戸市常盤平3丁目9-19

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