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水戸駅前店
2022/12/16

茨城県茨城町 掛け軸の買取|小川芋銭|河童絵の達人 贋作も多いのでご注意を

12:00 am

はじめに

こんにちは。掛け軸や絵画、版画などの査定・買取を行っている買取専門店『くらや水戸駅前店』です。遺品整理で見つけた古い掛け軸や、昔骨董市で買い集めた骨董品に、現在どれほどの価値が付くかご存知ですか?茨城県水戸市周辺で骨董古美術品の査定・買取なら、買取経験豊富なプロの鑑定士が在籍する『くらや水戸駅前店』に是非お任せください。

 

本日ご紹介するのは、水戸のすぐ隣にある茨城町にお住まいのお客様が持ち込まれた掛け軸です。掛け軸の持ち主は、2年程前に亡くなられたご主人とのこと。生前趣味で蒐集されていた掛け軸を奥様が整理しようと思い立った際、ふと「どのくらいの価値があるものなのだろう…」と気になり、ご来店されたのだそうです。

 

この時に出合ったのが、冒頭の写真にある掛け軸作品です。作者は茨城県出身の日本画家・小川芋銭(おがわうせん)。実は茨城県からは、〈木村武山〉や〈奥原晴湖〉などといった高名な日本画家が多く輩出されているのですが、小川芋銭もそのうちの一人です。

 

お持ちいただいた掛け軸は、その場で当店の鑑定士が査定を行いました。ご提示した査定額にお客様も大変納得されたご様子で、後日ご主人が遺した他の掛け軸や骨董品を出張買取にて査定させていただくこととなりました。

 

今回は日本画家〈小川芋銭〉にスポットを当て、掛け軸や絵画の買取についてお話ししていきたいと思います。買取専門店『くらや水戸駅前店』は、掛け軸などといった骨董古美術品全般の査定・鑑定に自信があります。他には劣らぬ高価買取をしておりますので、ご売却を検討されている方は是非一度ご相談ください。

小川芋銭はどんな人?

小川芋銭(本名 小川茂吉)が生まれたのは、明治維新真っ只中の1868(明治1)年。現在の茨城県に領地があった牛久藩の武家が生家であったため、小川芋銭は藩の江戸屋敷(東京)で誕生しました。

 

茨城に移ったのは廃藩置県が始まった1871(明治4)年、小川芋銭3歳の時のこと。農業で生計を立てるべく、小川一家は新治県城中村(現 茨城県牛久市城中町)へ移住しました。

 

小柄で虚弱体質、農業には到底不向きな体躯であった芋銭は、父親の意向で商家を営む親戚の元へ丁稚奉公に出されます。その後まもなく伯母に引き取られることとなったのですが、後に芋銭の絵の師匠となる洋画家〈本多錦吉郎〉とは、この伯母を介して知り合ったのだとか。

 

本多錦吉郎が経営する画塾・彰技堂に入塾し本格的に絵を学び始めたのは、芋銭が13歳頃のことでした。日本画家として活躍した小川芋銭の画業出発点が、洋画だったというのは少し意外なところですよね。

 

本多錦吉郎の画塾で絵を学んだ芋銭は、20歳の頃に新聞社・朝野新聞へ挿絵画家として入社します。朝野新聞では、磐梯山の噴火(1888年)や第1回帝国議会(1890年)のスケッチをはじめ、漫画なども描いていたのだそう。

 

ここで初めて画業での収入を得た芋銭でしたが、絵の評判は芳しいものではなかったようです。生活は苦しく、父親から帰郷を迫られた芋銭は牛久へ戻ることに…。農業に勤しみながらも地元紙・茨城日報などでは筆を執っていたようで、画業への思いは消えていなかったことが伺えます。

 

無名の一農村画家だった小川芋銭が、〈芋銭〉という雅号を名乗りはじめたのもこの頃だと言われています。〈うせん〉と読むこの雅号は、徒然草に登場する芋を好んだ高僧に因み付けられました。また、〈自分が描いた絵が芋を買う銭にでもなればいい〉という、慎ましやかな願いも込められていたそうです。

 

農民を主題とした風刺漫画や挿絵を寄稿し続けていた小川芋銭でしたが、漫画や挿絵だけでは飽き足らず、本格的に日本画の制作に取り組むようになります。そんな芋銭に転機が訪れたのは、1915(大正4)年のことでした。

 

この年、日本画家〈平福百穂〉〈川端龍子〉らとともに珊瑚会を結成した小川芋銭は、日本画家として独自の作品を発表するようになります。そして、結成から2年後に行われた展覧会で出品された作品〈肉案〉が、日本画の巨匠・横山大観の目に留まったのです。

 

横山大観らの推挙を受けた小川芋銭は、50歳を目前にして日本美術院同人となりました。さして実績のなかった小川芋銭を妬み、反感を抱く同人らも少なくなかったそうですが、自らの感性の赴くままに絵を描き続けた結果、日本美術院の名物とまで言われる存在になっていきました。

 

小川芋銭は、書や俳諧、老荘思想にも通じた文人画家としても有名です。独学で和漢洋の学を修め、書家・随筆家・俳人としても優れた作品を遺しています。

河童の芋銭 作風と代表作

働く農民の姿や牛久の農村風景など、日本の風土に密着した画境を繰り広げ〈農画工〉を自称した芋銭でしたが、水辺の生き物や魑魅魍魎(ちみもうりょう)への関心も非常に高かったようです。

 

なんといっても〈河童〉を描いた作品は秀逸。河童が水に遊ぶ姿を描かせたら、芋銭の右に出る者はいないでしょう。〈河童の芋銭〉の異名を持つことでも知られています。

 

自序では〈余は唯想像の翼に任せて 筆端カッパを捉らへカッパを放ち 遊戯自在に振舞ひて終に三昧に入るを以って楽しみとなす〉と述べており、芋銭にとって河童は自身の投影であり、自由の象徴であったことが伺えます。

 

河童伝説のある牛久沼のほか、利根町、土浦、水戸などといった水郷の地で、水魅山妖が息づく幻想的な画風はまさに唯一無比。水辺の生き物をこよなく愛し、独特の幻想世界を創造した小川芋銭の代表作をいくつかご紹介していきましょう。

水魅戯(すいみたわむる)

妖怪や魑魅魍魎の類いを好んで描いた小川芋銭ですが、1923(大正12)年に発表したこの〈水魅戯〉で高く評価されるようになったと言われています。蓮の葉を被ったカワウソと蒲の穂をかかげたイモリが、語らっているかの如く顔を見合わせて笑っています。

 

擬人化されたふたつの水魅のほか、立ち上る靄の中で河童、鳥、山椒魚、蛙などが戯れている様はまるで百鬼夜行のよう。この作品は現在、茨城県近代美術館に所蔵されています。

若葉に蒸さるる木精

1921(大正10)年に発表された作品。同年、アメリカはクリーブランド美術館で開催された日本美術院の巡回作品展で、〈水虎と其眷族〉とともに出品されました。現在は愛知県美術館に所蔵されています。

 

古木のような樹上でくつろいでいるのでしょうか、上目遣いに舌を出している河童の姿が印象的です。河童のまわりには烏天狗や一つ目などといった妖怪たちの群れが取り囲むように描かれており、複雑な色調で表された蒸気も相俟って、異様な世界観を醸し出しています。

狐隊行

すすきの野を歩く狐の隊列が描かれた〈狐隊行〉は、1930(昭和5)年に発表された作品です。松明を掲げた狐たちが歩いていく姿は、なんとも幻想的。墨と朱の点描が印象的な湖畔は、夏の夜をイメージして描かれたと伝えられています。

 

童話の一場面のような長閑な風景は、どこか懐かしく感じるという方も多いのではないでしょうか。この作品も、茨城県近代美術館に所蔵されています。

海島秋來(かいとうしゅうらい)

晩年の1932(昭和7)年に発表された〈海島秋來〉は、小川芋銭の代表作のひとつ。同年に行われた日本美術院第19回展覧会に出品され、現在は茨城県近代美術館に所蔵されています。

 

画面中央を占めているのは、巨大な岩塊。波が打ち寄せられる岩の下方には、町の人々が集う日常の一コマが描かれています。上方に広がる果てしない海は、千葉県銚子市の海鹿島の風景なのだそうです。

 

海鹿島には芋銭の後援者だった人物の別荘があり、この作品はそこで制作されました。当時スケッチに同行した芋銭の三男・知可良氏によれば、実際には描かれているような奇岩などなかったのだとか。水魅山妖を描くのと同様、芋銭にしか見えない光景というものがあったことが伺えるエピソードです。

 
画風は牧歌的、空想的などと評されることが多く、ユーモアにあふれる独特のタッチで描かれる小川芋銭の作品は、二次流通の市場において大変人気があります。作品の状態などにもよりますが、特に河童絵などは高評価になること間違いなし。価値が気になる小川芋銭の作品をお持ちの方は、目利きの鑑定士が在籍する『くらや水戸駅前店』で一度査定してみませんか?

高評価が期待できるのは?

前項でお話しした通り、幻想的でコミカルな河童絵は小川芋銭の真骨頂。江戸期に流行したような、妖怪伝承を背景とした恐ろしい姿の河童とは全く異なり、また後世に登場するようなアニメ要素の強い可愛らしい河童とも一線を画します。

 

数ある河童絵の中でも、晩年に制作された〈河童百図〉は別格でしょう。河童百図は画商である俳画堂の求めに応じて描かれたもので、1978(昭和53)年に発表されました。単なる河童絵の寄せ集めではなく、小川芋銭の学問の素養もさりげなく盛り込まれた作品群です。

 

その名の通り百枚の河童絵から成る画集で、一枚あたり200万円以上の値が付けられることも。何度か出版社を変え刊行されてきた河童百図は、市場に出まわることも次第に少なくなり、現在は大変貴重であるとされています。

 

小川芋銭の作品の買取においては、同じような出来の作品であれば〈河童が描かれているか否か〉でその評価額は2倍以上変わってきます。非常に多くの贋作が流通してしまっているため、鑑定は必須です。

まとめ

全国に点在する小川芋銭の作品のうち、約半数は茨城県内にあると言われています。その知名度は全国区ですが、小川芋銭は地元で永く愛されている日本画家なのです。ご自宅に眠っている掛け軸や絵画の中に、小川芋銭が手掛けた作品もあるかもしれません。

 

小川芋銭に限らず、有名な作家が手掛けた絵画作品や掛け軸は需要が高く、贋作も多く流通しています。サインや落款までもが精巧に模されているものもあり、素人の方が真贋を判断するのは難しいでしょう。

 

掛け軸や絵画の査定・鑑定は、本物にどれだけ多く触れてきたかという経験がものをいう世界。作品の真贋や価値、画題の需要を正しく見極められる鑑定士を選ぶことが、高価買取に繋がる重要な岐路となります。

 

茨城県水戸市周辺で、掛け軸や絵画などといった骨董古美術品の査定・買取を希望される方は、専門の知識を持ったプロの鑑定士が在籍する『くらや水戸駅前店』に、是非一度ご相談ください。著名な日本画家や人間国宝など、有名作家が手掛けた作品の買取はどこにも負けません。

 

特に茨城県を所縁とした作家の査定・買取には力を入れております。大洗町、茨城町、ひたちなか市、笠間市、城里町、常陸太田市、常陸大宮市、石岡市、小美玉市など、水戸市近郊では〈出張買取〉も対応しておりますので、お気軽にご相談ください。

 

飾るところがない、という理由で押し入れや蔵に仕舞いこんである古い掛け軸や絵画。その作品が持つ本当の価値を、皆様はご存知ですか?一見して価値や良さがわからないものでも、プロの鑑定士が見れば「眠らせておくなど勿体ない…!」という逸品であることも。

 

査定・相談・出張買取にかかる費用は全て無料です。骨董品・古美術品の売却を検討されている方は、どうぞお気軽に買取専門店『くらや水戸駅前店』へお問い合わせください。お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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店舗: くらや 水戸駅前店

住所: 茨城県水戸市宮町2-1-1
電話: 029-291-7292
営業時間:10:00~18:00

 定休日:水曜日

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