- 骨董品松山店2023/09/11
骨董品・美術品、遺品整理の高価買取
こんにちは。抹茶道具や鉄瓶、焼き物の買取を行っている買取専門店『くらや松山店』です。出張買取などでお客様のご自宅へお伺いすると、必ずと言っていいほど茶道具と出会います。『くらや松山店』の店頭買取においても、一番買取依頼が多いのは茶道具です。
以前鉄瓶などの茶道具のお話を書いたことがありましたが、今回は〈煎茶道具〉にスポットを当てていきたいと思います。煎茶の歴史や、『くらや松山店』で実際にあった買取事例などをご紹介していきましょう。
日本でのお茶の歴史の始まりは、奈良時代から平安時代。諸説あるようですが、平安時代に中国へ派遣された遣唐使の一団によって伝えられたと言われています。
中国から茶を持ち帰り、その喫茶法を広めた人物は伝教大師〈最澄〉と弘法大師〈空海〉です。滋賀県大津市の日吉大社に伝わる〈日吉神社道秘密記〉には、最澄が茶の種を持ち帰ったことが記録されています。
また、〈日本後記〉(815年)には嵯峨天皇に茶が煎じられ振舞われたこと、その後嵯峨天皇が茶の栽培を命じたことなどの記述が残されているのだとか。この頃のお茶は、固形状の餅茶(団茶)が主でした。
日本に茶が伝わった当初は、滋養強壮や健康のための薬として飲まれていました。貴重だったため、一般の人々へ普及することはなかったようです。
様々な寺院が茶園を作り、茶の栽培が行われるようになったのは鎌倉~南北朝~室町時代のこと。茶を飲む喫茶の文化は、禅寺から武士へと広がりを見せていきました。
村田珠光・武野紹鴎・千利休らによって〈茶の湯〉(抹茶道)が完成した安土桃山時代。この頃の抹茶道は、時の権力者・織田信長や豊臣秀吉が重んじたことで、大名の権力を表す手段としての意味合いものでした。
天下泰平が果たされた江戸時代に入ると、抹茶道はすっかり形式的なものに変容していきます。形式化した抹茶道を嫌う文人墨客と、後述する中国の僧達によって煎茶道は広く受けいれられていくこことなったのです。
煎茶道の開祖としてよく名が挙げられるのが、隠元隆琦(いんげんりゅうき)という人物。1650年~60年頃に中国から渡来した禅僧で、インゲン豆や釜炒り茶など多くの中国文化を日本へ持ち込んだことでも有名です。
当時の中国では釜炒り茶を煎じて飲むのが流行っており、これを隠元隆琦が日本に伝えたことが煎茶道の始まりとされています。隠元隆琦は京都で禅宗・黄檗宗を開き、宗萬福寺を建立。中国文化を色濃く残した黄檗宗の広がりとともに、煎茶文化も徐々に広まっていったのです。
18世紀になると煎茶道は大きく発展を見せます。この発展に貢献したのが、黄檗宗の僧・高遊外。高遊外は、京の町で煎茶を売りながら禅道を広めていきます。
その煎茶の売り方が独特で、値段は客の気持ち次第で「ただでもOK」だったのだそう。高遊外は別名・売茶翁(ばいさおう)と呼ばれ、上流階級だけでなく庶民の間にも煎茶を広めたことから、抹茶道の立役者とも言えるでしょう。
煎茶は、中国の清風の文化を理想としていました。清風とは、お茶を喫することで心が落ち着き、清らかな風が吹いたような境地に至る様を表した言葉です。形式に拘らず自由にお茶を喫する煎茶は当時の抹茶道に疑問を持つ文人墨客たちに愛され、大きく発展を遂げていきました。
宇治の永谷宗円によって、〈青製煎茶製法〉という新たな製茶方法が編み出されたのも18世紀頃のこと。この製法により、茶色だった煎茶が現在のような澄み切った緑色を出すことができるようになりました。
煎茶道具は、『くらや松山店』において高額買取の期待のできるお道具の一つです。ここからは、煎茶道具の一部をご紹介していきたいと思います。
抹茶椀に比べて小さく小振りなのが特徴です。5客ワンセットが基本。湯呑と混同する方も多いですが、形状や用途に差異があります。
煎茶椀を置くための道具で、使われる素材は様々です。煎茶椀と同じく5客ワンセットが基本。「お茶を出す人の指が茶碗に触れないように」などの意味合いがあり、大切なお客様への気配りを示します。
煎茶を淹れるための道具。取手が付いていることが特徴です。注ぎ口とほぼ直角に持ち手がある〈横手型急須〉・注ぎ口と一直線上の反対側に持ち手がある〈後手型急須〉・持ち手が急須の上についている〈上手型急須〉など、種類が豊富。〈茶銚〉〈茗瓶〉などとも呼ばれます。
急須と同じく、煎茶を淹れるための道具。急須との大きな違いは、持ち手が付いていないことです。先述のような急須と比べるとあまり見かけませんが、京都宇治では一般的に使用されています。
茶を入れるための湯を適温まで冷ます道具。宝瓶・湯冷まし・煎茶椀で煎茶器セットとなっていることが多いです。
茶葉の量を測り、急須や宝品に入れるための道具。流派によって、仙媒・茶則・茶量など様々な呼び名があります。素材は竹で作られることが多く、裏側に彫刻や漢詩が刻まれることも。
その名の通り、茶葉を入れておくための道具。茶道では茶入と呼びますが、煎茶道においては茶心壺(ちゃしんこ)・茶壺(ちゃこ)・葉茶器(はちゃき)・茶貯(ちゃちょ)・建城(けんじょう)などと呼びます。
煎茶の手前に必要な水を入れておく道具。陶磁器をはじめ、金属製や竹製のものなど、素材も形も千差万別です。煎茶道における水注は、流派により水罐・水指・水灌・水次・水滴・注子など呼称も様々にあります。
煎茶椀や急須などを洗う水を入れておく道具。小型の薬缶のようなもので、素材は陶器から金属製のものまで様々です。
煎茶道具の下に敷く敷物。道具で畳が傷つかないようにするための道具です。素材には木綿・麻・毛織物などが使われ、無地のものから柄物まであります。
素焼きの陶器製で、お湯を沸かすための道具。素焼で、横手のものと上手のものがあります。煎茶道具の中でなぜかこれだけが西洋語で呼ばれており、その語源はポルトガル語の〈かぼちゃ〉なのだとか。
お湯を沸かすための道具。中で炭を焚き、上にボーフラを載せてお湯を沸かす、いわゆるコンロの様なものです。直接火があたるため、多くは素焼きになっています。丸い形をしたものが多いですが、四角形や八角形をしたものもあり、季節や使用される手前によって使い分けられるのが特徴。
瓶敷とも呼ばれる、ボーフラを置くための道具。ボーフラで茶具褥を傷めないようにするための敷物です。竹や籐で編まれたものから、竹の節を利用したものまであります。
涼炉の火をおこす際に使う、風を送るための道具。形は団扇に似ていますが、団扇よりも小振りです。竹や籐で編んだものが多くありますが、中には薄い板で作られたものや紙製のものもあります。
煎茶椀を洗ったお湯などを捨てるための器です。金属・陶磁器・曲げ物などがありますが、煎茶用として蓋のついているものも。役目がら目立つ装飾や色彩は使われません。
煎茶道で使われる盆は種類が多く、お茶を淹れるときに使用するもの、運ぶ際に使用するものなど用途によって様々です。芭蕉の葉をモチーフにした〈葉盆〉、細長い〈一文字盆〉等があります。
炉先に飾る屏風のことで、素材は竹製の物から表具仕立てのものまで様々です。二枚折りになったものや衝立式のものなど形も色々存在しますが、高さのあるものは使われません。炉屏は、客人との間に置いて結界として利用することも。
煎茶道具を収納するための籠です。場所を選ばず屋外でも喫茶を楽しめる煎茶道。提蘭は煎茶道具一式を運べるように作られた道具です。
最近では、抹茶道具よりも煎茶道具の方が高額査定になっているような印象があります。どのお道具にも共通して高額査定になっているお品物は、〈唐物〉(中国製)です。
唐物の中でも、特に時代が古いお品物は高価買取が期待できるでしょう。先述の通り、煎茶道は中国から伝わった文化。煎茶の伝来時に、お道具も一緒に日本へと渡ってきています。そういったお品物が現在でも重宝され、高額査定となっているのです。
『くらや松山店』における、煎茶道具の買取事例をいくつかご紹介したいと思います。
先日ご来店されたお客様は、御祖母様のお家の片付けをされているとのことでした。たくさんの食器類を持ち込まれたのですが、その中に茶櫃を発見しました。
茶櫃の中に入っていたのは、九谷焼の煎茶碗と湯冷ましと朱泥急須。急須は唐物で、古い時代のものでした。九谷焼の煎茶椀や湯冷ましは、作家物ではなく工房で作られた作品でしたが、朱泥急須は高額査定となりました。
お持ちになった大量の食器よりも、ひとつの急須の方が査定額が高かったため、お客様も大変驚かれたご様子。中国製の急須であったこともご存知なく、「外箱もないから捨ててしまおうかな…」とお考えだったとのことで、嬉しい誤算となったようです。
買取事例をもう一つご紹介します。
遺品整理のため、ご依頼主の親御様宅へ出張買取に伺った際のお話です。煎茶道具一式のほか、銀瓶や純銀の急須、茶合などを発見しました。茶合は、漢詩や彫刻が彫り込まれた古いものでした。
お客様曰く、「両親が好きで集めていたけれど、自分は全然興味がない。価値も分からない。」とのこと。鑑定士がひとつずつ確認したところ、お客様のご両親がとても大事にされてきたことが伝わる、大変状態の良いお道具であることが分かりました。
査定額はお客様の予想をはるかに超えるものだったようです。ご両親が大事にされていたお品物を、「他の誰かにまた大切にして
もらえたら…」と仰っていました。
『くらや松山店』は、煎茶道具の高価買取を行っている買取専門店です。煎茶道具の需要が高まりつつある昨今、中古市場における相場も高騰しています。
煎茶道具の処分をお考えの方は、是非『くらや松山店』へご相談ください。お道具に関する専門の知識を有したプロの鑑定士が、しっかりとその価値を見極めます。
店頭への持ち込みが難しい場合には、出張買取をご利用ください。出張費や査定などは無料です。
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