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松山店
2020/12/14

愛媛県松山市 骨董品・古伊万里の買取|型物 染付 金襴手|日本を代表する江戸時代の工芸品

8:09 am

こんにちは。
染付や染錦、型物などの古伊万里をはじめ、骨董品などの買取をする買取専門店『くらや松山店』です。

 

骨董の陶磁器のなかでもひときわ人気の高い古伊万里。テレビの鑑定番組などの影響で一度は「うちにも古伊万里があるんじゃないか」と探した人がいるかもしれません。

 

古伊万里とは佐賀県有田地方で生産された磁器・有田焼で、とくに江戸時代に生産されたものを〈古伊万里〉と呼んでいます。

古伊万里とは

〈古伊万里〉という名前の由来

なぜ有田焼なのに古伊万里と呼ばれるようになったのでしょうか。古くから有田焼は地域の海運の中心となっていた伊万里港から船で全国各地に送り届けられていました。

 

特に物流といえば船が主力だった江戸時代、たくさんの有田焼が伊万里の港から出荷されていたのです。そのため、当時の日本人は伊万里の港から出荷された有田焼を伊万里焼と呼んで、珍重してきました。

 

古伊万里は、日本国内のみならず海外でも芸術性の高さと実用性で人気があり、江戸時代はヨーロッパや東南アジアへの輸出が盛んに行われていたのです。オリエンタルな香りのする古伊万里は、当時の王侯貴族の間で話題となり、茶器としてだけではなくインテリアでも愛されるようになります。単に食器で使うだけというよりも、遠い異国情緒あふれるレアなアイテムという位置づけで、オーナーの権力や財力を示すものでもありました

古伊万里の種類

古伊万里とひとくちにいっても、色彩や作り方によっていくつか種類があります。

 

白磁は、乳白色のつやつやした色合いが特徴で、素地に透明な釉薬を使って、土そのもの白さを引き出した古伊万里です。

 

染付は、白磁の器に呉須と呼ばれる藍色の絵の具で絵付けがされています。渋みのある青で統一されている器です。

 

色絵とは、白磁や染付の器の上から赤色や金色の絵の具を使って上絵を描いたものです。風景画や人物画、動物画などモチーフも多彩で、使われている色の種類からどこか中華風の雰囲気をただよわせます。

 

青磁は、釉薬に青緑色の絵の具を使ったもの。透き通るような淡いエメラルドグリーンの色味です。釉薬に透明釉と呉須を合わせてかけた瑠璃釉は、瑠璃(ラピスラズリ)のような深みのある群青色が生まれます。このほか、鉄釉のように鉄分の多い釉薬を使った絵付の古伊万里も伝わっています。

古伊万里の歴史

古伊万里は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年~1597年)で朝鮮半島から渡ってきた朝鮮の人たちが作り始めました。九州北部の肥前(現在の佐賀県)の有田地方がその中心地です。

 

有田地方では磁器の材料である陶石が豊富で、その周辺に窯場が作られるようになります。古伊万里のなかでも江戸時代初期に生産されたものを初期伊万里と呼び、朝鮮半島の素朴な作陶技法を感じられる器が残っています。

 

朝鮮陶工の李参平は、有田地方の泉山地区で良質な陶石を発見。日本の磁器の誕生に貢献した人物として歴史のその名を残しました。

 

当時の古伊万里は、素焼きを省いてそのまま釉薬をかける〈生がけ〉が中心。朝鮮半島で盛んだった技法を受け継いでいたのが特徴です。なお、皿の高台径が直径よりも小さめなものが多い点も初期の古伊万里のポイントといえます。

古伊万里の特徴・魅力

時代によって分けられる古伊万里

江戸時代の古伊万里をいくつかに分類してみました。

 

おおよそになりますが、寛文頃の古伊万里を〈初期の古伊万里〉、延宝から天和頃までの古伊万里を〈延宝期の古伊万里〉、元禄から正徳頃までの古伊万里は〈元禄期の古伊万里〉に分けられます

代表的な製作年代ごとの特徴

初期の古伊万里

元和から寛文の頃に焼かれたもの。朝鮮半島から渡来した当時の技術が濃厚に反映されています。そのため、中国磁器で好まれていたデザインの器が多く残っているのが特徴です。太筆で絵文様を描く技法が中心となっています。

寛文期の古伊万里

デザインや色彩が和風に変化していった時期の古伊万里です。金銀彩を用いた器が登場したのもこの時期。海外への貿易品のニーズが高まり、分業による大量生産がはじまるなど、1650年代に古伊万里の歴史が大きく転換しました。またこの頃、中国磁器の模倣から日本独自のデザインが生まれ、茶人好みの作品が多い〈古九谷様式〉の需要が増えました。

延宝期の古伊万里

余白をいかして洗練されたシンプルなデザインが多く見られるようになります。海外で一躍人気となった色絵による〈柿右衛門様式〉の完成もこの頃です。

元禄期の古伊万里

中国風の文様と区画割りの組み合わせが複雑になったうえ、赤色や金彩を多く使った染め付け併用色絵が誕生しました。器のかたちはろくろであくまでシンプルに。一方で、華やかな装飾の絵柄が好まれるようになります。

宝暦期の古伊万里

ご飯茶碗や蕎麦お猪口といった食器が生産されるようになって、庶民も日常的に使う焼き物が生まれました。

文化文政期の古伊万里

中国風の文様や碗のデザインが、日本らしいデザインへ変わっていきました。広東椀型の碗類が有田で見かけられなくなり、端反碗や染付の大皿が流行ったのもこの頃です。今までにないデザインの段重、盃洗などがつくられるようになりました。

天保期の古伊万里

ヨーロッパへの輸出が盛んになり、大皿や美術品などが海外で人気を博しました。国内向けの製品は、地図皿や変形の鉢、食籠や洋風なデザインが流行ります。大皿や段重、食籠などは色絵が増え、盛り上がった赤地に金の唐草模様が幕末から流行りました。

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古伊万里の代表的な様式

古九谷様式

現在の佐賀県、肥前藩の有田地方で盛んに焼かれていた伊万里焼の様式のひとつ。江戸時代初期、初期伊万里が技術の進歩で和風化したものです。中国五彩磁器の模倣から、色絵磁器の焼成が可能になったことから日本独自のデザインが生まれました。とくに茶人好みの作品の生産が盛んになり、国内での需要が増えます。

 

絵付けは各段に良くなり、絵師の作品も窺えました。〈角福〉〈誉〉等、色々な銘款が使われていたようです。皿の高台の幅が広くなったため、底部が垂れるのを抑えるのに円錐状の支えをつけ防ぎました。古九谷様式も後期には柿右衛門様式を思わせる薄造りとなっていき、濃厚な色絵付けが特徴です。

柿右衛門様式

延宝年間頃を中心に焼成された、伊万里焼の柿右衛門様式。現在も人気の高い独占的な作品の〈柿右衛門〉ではなく、17世紀半ば頃に始まったヨーロッパの需要に応えて柿右衛門窯が牽引し、作りだされた伊万里焼の一様式が柿右衛門様式です。

 

優雅で気品が感じられる柿右衛門様式は、土型を用いた薄く精巧なつくりと赤を基調とし、余白を活かした繊細な絵付けは欧州の王侯貴族を魅了しました。中でも〈濁手(にごして)〉といわれる純白色の磁肌をもつ作品は、磁器の中でも最高級品として根強い人気を誇ります。

古伊万里の独自性

華やかな武士文化が花開いた元禄時代。古伊万里もその時代の雰囲気を反映して、絢爛豪華な極彩色が魅力です。濃い目の青色の染付をベースに赤・金などカラフルな上絵具を贅沢に使用した器があります。

 

また、色絵の上から金泥や金粉でゴージャスに仕立てた器も。複数のモチーフを器の全面に配置しているものが多く、動植物のほか唐草模様や幾何学模様など、模様自体も目立つものを多数選んで描かれているのが特徴です。

 

古伊万里には、技法がいくつか知られていますが、今回は代表的な3つをご紹介します。

染付

白地に青だけで絵文様が描かれた古伊万里です。〈染付(そめつけ)〉の由来は藍染めの着物に似ていることから。古伊万里のなかで一番歴史のある磁器で、日本人好みのきわめてシンプルなのが特徴です。とくに初期伊万里の染付は希少性が高いため、珍重されます。

染錦

色絵と染付の2つの技法を組み合わせて豊かな色彩感を生み出したもの。絵柄の輪郭に染付を用いているので、派手な印象の中にも清楚な味わいがあります。

金襴手(きんらんで)

金彩色絵磁器のことで、織物の金襴に似ているのが名前の由来です。上絵をしてから金箔を焼き付けて文様を描きます。ゴージャスなデザインのため、海外で非常に人気を博しました。金襴手は元禄時代に誕生したといわれていています。

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型物(献上伊万里)とは

金襴手を使って濃密な配色で焼かれた最高ランクの古伊万里を、とくに型物と呼びます。最上級品といった意味を込めた呼び名であり、将軍家や大名への献上品にも使えるほどのハイレベルなため献上伊万里とも呼ばれています。

 

代表的な型物には、中国の故事をモチーフにした〈琴高仙人文〉や南蛮趣味の帆船を描いた〈五艘船文〉、染付で波濤に跳ねる大魚を大胆に描いた〈荒磯文〉などがあります。いずれも中国の意匠や技法に影響を受けているのが特徴です。

染付から色絵まで

このように、古伊万里は、その時代ごとのムードや感覚を大胆に絵付で再現する、思い切った様式がポイントです。人気の高い古伊万里は、カラフルな上絵具で多彩な模様を描いた中期や後期のものが多く集まります。一方で、染付で李氏朝鮮の日用品や茶道具で人気の高かった古染付や祥瑞(しょんずい)といった中国磁器の写しの多い初期伊万里は、レア度が高い古伊万里です。

 

それまで世界的に人気のあった景徳鎮から有田で焼かれた磁器のニーズが増大。人気に答えるように分業化による大量生産がスタートしたのも古伊万里が大いに発展した理由といえます。

古伊万里と伊万里焼の違い

古伊万里の名称は一般的には江戸時代初期から幕末まで、それ以降は伊万里焼と呼んで区別しています。また、古伊万里の由来となった伊万里港からの出荷も明治になって輸送の主力が鉄道に変わると陸運に切り替わり減少しました。

 

そして、1897年(明治30年)に有田から門司方面の鉄道開通があり、それまで伊万里焼と呼ばれていたものが、有田地方の器は有田焼、波佐見地方は波佐見焼といったように、生産地名で呼び分けられるようになりました。

 

作られた時代によって、古伊万里、伊万里焼、有田焼など…今、現在区別として便利な呼び方に変わっていったのです。

まとめ

古伊万里とは、有田焼の江戸時代の呼び方ですが、歴史的な意味も深いことがわかりました。とくにかつてヨーロッパでは〈Imari〉という日本の一地方の名前が広く知れ渡り、高級な磁器として重宝されていたのです。

 

巧みな技術と陶工たちのセンス、国内外の時代を映し出しながら、革新を続け食器の主役として絵柄や文様も趣向を凝らし当時の人々を楽しませました。

 

世界的に有名な日本を代表する江戸時代の高級な工芸品として知られる古伊万里。価値を見極められる鑑定士に査定してもらう事をお勧めする骨董品です。

 

「古くから家にあったけど、改装するので片付けたい」や「遺品で譲り受けたけど…、売却を検討している」といった場合、古伊万里はご自身で判断することが、難しいお品物のひとつです。経験豊富なプロの鑑定士にご相談することをお勧めします。

 

『くらや松山店』は、買取実績と優れた骨董品・古美術品を数多く見てきた経験から、知識と経験豊富な鑑定士が価値をしっかり見極め、高価買取する買取専門店です。

 

初めてのお客様でもご安心いただけるよう、親切・丁寧に査定買取をいたします。お気軽にご相談ください。

 

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