店舗ブログ
佐賀店
2020/12/17

佐賀県佐賀市 古銭の買取|蔵 整理 うぶ品|積年の埃も鑑定材料

7:06 am

こんにちは。金貨・銀貨などの古銭をはじめ、骨董品や貴金属品の買取をする買取専門店『くらや佐賀店』です。

本日は、昨今お客様からのお問い合わせが増えている〈古銭〉の買取についてのお話をしていこうと思います。

古銭って何?

『くらや佐賀店』へのお問合せで、お客様からよくご質問をいただくのが〈古銭〉の買取。最近は殊更お問合せが増えてきているように感じます。時代劇などで目にするような小判、学生時代に教科書で見た穴の開いた丸いお金…〈古銭〉と聞いてイメージするのはそういったものでしょうか。

既に使用できなくなったお金

江戸時代には〈文〉、明治時代や大正時代には〈銭〉や〈厘〉などの単位を持つ通貨が流通していましたが、昭和28年(1953年)に制定された〈小額通貨整理法〉により、1円未満の貨幣は効力を失ってしまいました。効力のなくなった古い紙幣や硬貨のことを、一般的に〈古銭〉と呼んでいます。

使用可能ではあるが古いお金

現状、日本国内で流通しているお金の単位は〈円〉ですよね。単位が〈円〉である貨幣は、基本的に使用可能であるため〈古銭〉とみなされないものが多くあります。

 

板垣退助が肖像の百円紙幣は、1974年に発行停止された紙幣です。この紙幣は今でも100円として使用できる現行通貨であるため、〈古銭〉ではないと言うことができます。

 

肖像が大黒天や武内宿禰の一円紙幣なども、板垣退助肖像の百円紙幣と同じく現在も使用可能な紙幣です。しかし発行時期が明治時代などと古いため、扱いとしては〈古銭〉になります。

古いお金を発見したけれど…価値はあるの?

家や蔵の大掃除を始める方も多い年末のこの季節。片付けていたら古そうなお金を発見!という場面もあるのではないでしょうか?

 

発見した古銭は、汚れていても洗ったりせず、包み紙や紐がある場合はそのままの状態で、『くらや佐賀店』にご相談ください。その理由は後述します。

寛永通宝

「古銭と言えばこれ!」というほどポピュラーなものではないでしょうか。時代劇で飛び交っていたお金と言えば、ピンとくる方も多いはず。背中に波形があるものを4文銭、その他のものを1文銭とし、およそ200年もの間流通していました。

 

江戸時代前期は、〈寛永通宝〉などの銭貨鋳造は民間の商人らによる請負事業であり、幕府の許可制によるものが中心でした。寛永3年(1626年)水戸の豪商であった佐藤新助が、幕府と水戸藩に銅銭の鋳造を願い出て許可されたのが〈寛永通宝〉の始まりと言われています。俗に〈二水永〉と呼ばれる〈寛永通宝〉がこの時に鋳造されたものだとされていますが、この時点では私鋳銭の域を出るものではなかったようです。

 

10年後の寛永13年(1636年)、足尾銅山などから銅が大量に産出されたことを受け、幕府は本格的に〈寛永通宝〉の鋳造を司り、その後明暦2年(1656年)には銭座の設置を命じました。この頃に鋳造されたものが〈古寛永〉、寛文8年(1668年)以降に鋳造されたものが〈新寛永〉です。

 

古寛永・新寛永は〈水戸銭〉〈芝銭〉〈石巻銭〉など、作られた時代や場所によって多様な種類が鋳造され、『くらや佐賀店』でも100枚~1,000枚ほど買取することがあります。

文久永宝

文久3年(1863年)に、浅草橋鋳銭座および東大工町銭座で4文銭として鋳造された〈文久永宝〉。主に三つの書体があり、明治2年(1869年)まで大量に発行されました。こちらも〈寛永通宝〉と一緒に紛れて査定することが多い古銭です。

天保通宝

江戸時代末期から明治にかけて日本で大量に流通し、現存数も多い〈天保通宝〉。天保6年(1835年)から鋳造が始まり、貨幣価値は100文とされ当百銭とも呼ばれました。

 

素材は銅で作られており、他の貨幣よりサイズが大きいことが特徴であった〈天保通宝〉は、明治24年(1891年)12月31日を最後に通用停止。発行当時は金色に近い綺麗な色をしており、またその形が小判型であったため大変人気のある貨幣でした。

乾隆通宝

江戸時代に長崎などの貿易地から支払い代金に紛れて輸入され、通貨として使用されていたものを〈輸入銭〉と呼びます。〈乾隆通宝〉もこの〈輸入銭〉の一つで、鋳造されたのは清の6代目皇帝・乾隆帝の乾隆元年(1736年)でした。

 

昭和初期に廃貨となるまで流通していたので、〈寛永通宝〉などと一緒に見つかることがよくあります。

一分銀

江戸時代末期の天保8年(1837年)に鋳造開始された銀貨の一種です。古銭と言えば〈寛永通宝〉などの丸い穴銭を想像する方が多いと思いますが、〈一分銀〉は小指の先サイズの長方形。表に〈一分銀〉の文字と、裏側に〈定 銀座 常是〉と打たれています。

 

当時の価値は〈寛永通宝〉約1,000枚分という高額貨幣でした。収集家の方からの買取依頼を受けた際には、必ず数枚~数十枚の査定をします。それほどコレクション性と人気が高い古銭なのです。

 

〈一分銀〉も鋳造年代によって〈天保一分銀〉〈安政一分銀〉〈明治一分銀〉など複数の種類が存在し、一見同じように見えるお品物でも買取価格が変わることがあります。

一朱銀

〈一分銀〉よりもサイズの小さな銀貨で、表に〈一朱銀〉の文字と、裏に〈定 銀座 常是〉と打たれているのが特徴です。こちらも〈嘉永一朱銀〉〈明治一朱銀〉などの種類があり、当時の価値は〈一分銀〉の1/4とされていました。

一分判金

非常に古くから鋳造されてきた古銭です。長方形のものは慶長6年(1601年)頃に鋳造されたとされています。発行以降は、〈元禄一分判〉〈宝永一分判〉〈正徳一分判〉〈享保一分判〉など時代によって様々な種類が鋳造され、その貨幣価値は1/4両に相当。

 

〈文政一分判金〉〈天保一分判金〉〈安政一分判金〉など、時代が移るにつれて金の含有量が下がっていくことも特徴です。金を使って鋳造されることもあったため、買取価格が高額になりやすい古銭でもあります。

小判

〈寛永通宝〉と同様、時代劇などでよく目にされる方も多いのではないでしょうか?
慶長6年(1601年)に徳川家康が鋳造を命じて作製させた〈慶長小判〉をはじめ、江戸時代には10種類の小判が誕生しました。当時の価値は1文銭4,000枚分とされていたようです。

 

実際は金と銀の合金でできており、偽造防止のために極印が数か所に打たれているのも特徴。基本的には百両・五十両・二十五両などに分けて包んだ上に封をし、高額取引や献上用・贈答用として使われていました。

 

明治以降新貨条例が施行されると、1両は1圓(円)と等価とされ、それぞれの金銀の含有量に基づき新貨幣に交換されていくこととなった小判。偽造品も大量に出回っていたため、鑑定には注意が必要です。

金貨 銀貨 銅銭 鉄銭 材質で価値は変わるの?

先述の通り、金や銀は江戸時代から希少価値があったため高額貨幣に使用されていました。一方で、安価な貨幣として大量に流通していたのは銅や鉄でできた貨幣です。銅銭の価値をわかりやすく示すと、金小判1両=一分判金4枚=1朱銀16枚=銅銭4,000枚となります。

 

鉄銭の価値はというと、発行当時は銅銭1文と等価値とされ流通していたようです。しかし時代の変化と共に価値を失っていき、明治30年には通用停止となってしまいました。

古銭の価値はどうやって決まるの?

希少性の有無や金銀としての資産的な価値の有無など、古銭の査定ポイントは様々です。その古銭の材質や摩耗具合、作られた際の出来栄え、刻印の種類や保管状態など確認するべきところはたくさんあります。

 

発行当時そのままの状態で保管されている場合は、高評価となる場合が多いです。一方で、汚れている・くすんでいるなどの理由で古銭を洗ったり磨いたりすると、価値が落ちてしまうことがありますのでご注意ください。

 

古銭には〈うぶ品〉という考え方があります。これは、流通当時に何らかの理由で保管されており、人手に渡ることなく蔵などで眠っていた古銭のことです。中には紐などでくくられた状態のまま残っているものもあります。

 

紐などがあった場合は切ったり洗ったりせず、買取店などにお持ちいただく際には見つけたままの状態でお持ち込みください。〈うぶ品〉は非常に価値が高いものです。

 

『くらや佐賀店』では出張買取も行っております。大量の古銭が発見された場合や動かすのが難しいという場合には、ぜひ一度『くらや佐賀店』までご連絡ください。

7:06 am

レプリカについて

レプリカもその種類は様々です。江戸時代に各藩が密造した貨幣〈密造銭〉などは、コレクターにとって収集の対象となるため査定価値が上がる品も存在します。

 

最初からレプリカとして販売されているものも多いです。通貨としての役目を終え貨幣価値を失った古銭は、置物・飾り・コレクション用のレプリカが大量に作られるので、手にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか?このような場合は、古銭としての価値ではなくレプリカとしての価値をみて買取を行います。

 

レプリカかどうかを鑑定する一番簡単な方法は、〈材質の判別〉です。小判などのレプリカは金メッキ製品として作られることが多く、材質に本物の金は含まれません。また、小判と同様に観賞用としてのレプリカがたくさん出回っているのが一分銀。こちらも本物の銀は含まれていません。

 

その他にも古銭のレプリカは大量に流通しているので、ご自身で真贋の判断が付かないものがありましたら、買取専門『くらや佐賀店』にぜひ一度お問合せください。専門知識を持った鑑定士がしっかりと仕分けをいたします。

古銭の買取価格はどうやって決まるの?

希少価値

大判や小判などの金銀貨幣で、改鋳などで失われてしまい希少性が上がったものや、保存状態がよく鋳造当時の形をよく残しているものなどは、数万~数百万円の高額査定になることも。前述した〈密造銭〉や〈藩銭〉と呼ばれるものなどは、銅銭であっても希少価値が高いとみなされ、買取価格が高額になる場合があります。

保存状態

ほぼ全ての古銭について言えることですが、鋳造後流通せず保管されていたなどの理由で、人の手に触れられていない貨幣は高額査定となることが多いです。反対に、たくさんの人手に渡り摩耗が激しいもの、錆がひどく文字が読み取れないものなどは評価が低くなってしまうことも…。

うぶ品

ブログの途中でも少し触れましたが、うぶ品は保管されていた状態で判断をします。改築や大掃除などで古い蔵を開けた際に、積年の埃などがあり当時から人の手に触れていないと判断できるものは、高価買取も期待できるでしょう。

7:06 am

まとめ

古銭の種類は多種多様であるため、現代を生きる私たちにとっては一見してその価値が分からないのは致し方ないことです。その価値は保存状態や鋳造年代によって変わるため、一口には語れないところも古銭の面白さと言えるかもしれません。

 

師走に入り何かと忙しくなる季節ですが、ご自宅や蔵の中に後世になって価値が出てくるお品物が今まさに眠っているかもしれないと考えると、年末の大掃除も楽しくなりそうですね。

 

古銭や骨董品などが見つかった際には、ぜひ買取専門『くらや佐賀店』にご連絡ください。ひとつひとつ丁寧に査定し、しっかりとその正しい価値を見極めて買取をいたします。プロの鑑定士による査定・相談はもちろん無料です。

 

皆様のご来店、お問合せを心よりお待ちしております。

 

 

↓↓ くらや 佐賀店はこちらです ↓↓

 

佐賀県佐賀市で金貨や銀貨、穴銭など古銭の高価買取

 

<出張買取対応エリア>
佐賀県
佐賀市、鳥栖市、神埼市、唐津市、伊万里市、多久市、小城市、武雄市、嬉野市、鹿島市、基山町、みやき郡、上峰町、吉野ヶ里町、有田町、大町町、江北町、白石町、太良町
福岡県
大牟田市、大川市、柳川市、久留米市、八女市、筑後市、みやま市
熊本県
熊本市、荒尾市、玉名市 など
周辺町村の方もどうぞ

 

店舗:くらや佐賀店

住所:佐賀県佐賀市本庄町袋297-1
電話:0120-322-510
営業:10:00~19:00
定休:水曜日

一覧に戻る

この店舗別買取ブログ

片づけ始める前にご相談ください

賢い遺品整理・蔵整理

眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。

遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。

さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。

  • KURAYAにご相談ください

    • どのように物が売れるのか知りたい
    • 骨董品などの遺品整理に困っている

    買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。

    買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。

査定・買取依頼する
簡易WEB査定