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松山店
2023/09/11

愛媛県松山市 骨董品の買取|九谷焼|蔵や倉庫に眠っている磁器 査定鑑定お任せください

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はじめに

こんにちは。骨董品や美術品の査定・買取を行っている買取専門店『くらや松山店』です。愛媛県松山市周辺で〈九谷焼〉の買取を希望されている方は、是非『くらや松山店』をご利用ください。

 

『くらや松山店』では、九谷焼の買取のご相談を多く承っております。九谷焼の壺などは店頭への持ち込みも多く、高価買取実績も多数あります。遺品整理や生前整理、実家の片付けや蔵の掃除で九谷焼を見つけたという方は、一度当店で査定してみませんか?

 

ひと口に九谷焼と言っても、贈答品の花瓶から有名作家が手掛けた作品まで、その種類は様々です。出張買取でお客様のご自宅へお伺いする際にも、木箱に入った皿や茶碗、向付等を見かける機会は多く、また蔵や倉庫の片づけの際に出てきた大量の九谷焼の査定依頼をお受けすることもあります。

 

磁器である九谷焼は耐久性もあり、日常使いの食器として昔から重宝されていました。花瓶や香炉、抹茶椀等、お道具として制作されたものは大事に保管されている場合が多いのですが、日常的に使用されていた九谷焼の食器は箱に入れられてないことが殆どです。

 

売却ができることを知らず、「リサイクルショップで安く処分してしまった」「ごみ処分業者に依頼して捨ててしまった」という話もよく耳にします。特に箱に入ってない食器類などの場合は、「価値なんてないだろう…」と思われる方も多いでしょう。

 

骨董品・美術品の買取専門店『くらや松山店』では、買取経験が豊富なプロの鑑定士が九谷焼の査定・高価買取を行っています。近年注目されている作家の作品から古い時代のものまで、九谷焼のご売却を検討されている方は是非『くらや松山店』へご相談ください。

 

さて今回は、〈九谷焼〉の買取に関するお話です。九谷焼の歴史をはじめ、様々な絵付けの種類や実際にあった買取エピソードなどもご紹介していきたいと思います。九谷焼をはじめ、骨董品・美術品・陶磁器の買取を希望される方は是非最後までお付き合いください。

九谷焼の歴史

〈九谷焼〉とは、現在の石川県の南部で制作されている〈色絵磁器〉を指します。非常に色彩が豊かであること、絵付けの美しいものが多いことが特徴です。赤・黄・緑・紫・紺青の色絵の具で絵付けされたものは〈九谷五彩〉とも呼ばれ、絵画的な美しい装飾を生み出します。

 

九谷焼の歴史は古く、その始まりは江戸初期の1655年頃なのだそう。九谷焼の誕生には、当時の加賀の支藩・大聖寺藩の初代藩主〈前田利治〉が大きく関わってきます。前田利治(まえだとしはる)は戦国時代の武将〈前田利家〉の孫にあたる人物で、茶人としても有名だったようです。

 

領内の九谷で陶石(磁器の原料)が採掘されたことを機に、前田利治は陶芸家〈後藤才次郎〉に肥前有田(現在の佐賀県)で有田焼の作陶技術を学ばせ、九谷に窯を開きました。これが九谷焼の始まりといわれています。

 

しかし、その窯は1700年初頭に突如閉窯へ…。現在でも閉窯になった理由は分かっておらず、真相は迷宮入りなのだそうです。この僅か50年余りの期間に制作された九谷焼は〈古九谷〉とも呼ばれ、美術品として高く評価されています。

 

九谷窯の閉窯からおよそ100年後、京焼の名工で文人画家でもあった〈青木木米〉を招待し、金沢に春日山窯が築かれました。春日山窯の開窯を皮切りに、加賀藩の各地ではその後多くの窯が開かれます。

 

代表的な窯としては、〈吉田屋窯〉〈宮本屋窯〉〈永楽窯〉〈小野窯〉などが挙げられるでしょう。どの窯にも独自の特徴があり、各々の絵付け技法を用いた色彩豊かな作品が次々と生み出されていきました。

 

江戸後期以降、大聖寺藩・加賀藩領内では古九谷の技法を受け継ぎながら新しい作風がうち立てられました。この時期に誕生した九谷焼は、〈再興九谷〉と呼ばれています。この〈再興九谷〉の言葉が生まれた後、〈古九谷〉という呼称が広まったようです。

 

九谷焼の大きな転機は、なんといっても1873(明治6)年に開催されたウィーン万国博覧会でしょう。この万博に出品された九谷焼作品は数多くの賞を受け、〈ジャパン・クタニ〉としてその名を世に知らしめました。

 

時を同じくして小野窯〈九谷庄三〉の〈彩色金襴手〉も話題となり、明治期には多くの九谷焼が海外へ輸出されていきました。この頃欧米で流行していた〈ジャポニズム〉の後押しもあり、九谷焼の人気は世界的なものとなっていったのです。

 

大正から昭和にかけては、青粒(あおちぶ)・彩釉(さいゆう)・釉裏金彩(ゆうりきんさい)等といった新しい絵付け技法も生み出され、1975(昭和50)年には九谷焼が国の伝統工芸品として認定されました。

九谷焼の様々な絵付けや技法

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前項でお話しした通り、九谷焼には様々な絵付けや技法が存在し、その特徴も多種多様です。ここからは、九谷焼の代表的な作風をご紹介していきましょう。

古九谷

1655年~1700年頃までに作陶された九谷焼の総称。その絵柄の構図などは、狩野派の名匠〈久隅守景〉による指導を受けたのだとか。その特徴として、五彩(赤・黄・緑・紫・紺青)を用いていることや、大胆な構図・力強く豪快な線や塗りなどが挙げられます。

 

五彩のうち、赤の釉薬を使わずに製造された〈青手〉と呼ばれる作品もあります。

春日山窯 木米(もくべえ)風

春日山窯の〈木米風〉は、その名の通り青木木米の指導により作陶された九谷焼です。京焼の名工として評判だった青木木米は、九谷焼復興のために加賀藩から招待されました。

 

木米風作品の特徴としては、下地の全面に赤色が使われていること、その上に五彩を用いて中国風の人物や文様が描かれていることなどが挙げられるでしょう。青木木米は中国古陶磁に傾倒していたようで、それが作品に大きく影響したと考えられます。

吉田屋窯 吉田屋風

九谷焼の特徴である五彩のうち、赤の釉薬を使わず〈四彩〉で描かれているのが〈吉田屋風〉の大きな特徴です。また、磁器全体に絵柄や模様を埋め尽くすように釉薬で絵付しているのも、吉田屋風ならでは。

 

古九谷の〈青手〉を踏襲した様式といわれている技法で、〈青九谷〉とも呼ばれています。

宮本屋窯 飯田屋風

〈飯田屋風〉は宮本屋窯の陶工〈飯田屋八郎右衛門〉が編み出した絵付け技法で、〈八郎手〉とも呼ばれています。吉田屋風とは真逆で、赤色の釉薬で人物や文様が描かれており、所々に金彩が施されていることが特徴です。

 

発色の濃淡や線の太さを巧みに使いわけることで生まれる、繊細な描写が印象的。〈赤九谷〉と称賛されたこの絵付け技法は、明治に入ってからの赤絵金彩の礎になったとも言われています。

九谷本窯 永楽風

九谷本窯の〈永楽風〉は、名匠〈永楽和全〉による京焼の金襴手(きんらんで)を用いた技法です。下地の全面を赤で塗り、その上に金色だけで花鳥獣虫が一筆書きされています。描かれる文様は非常に精巧で、美しく豪華な印象を与えます。

 

永楽和全は大聖寺藩に招待され、僅か3年の間に九谷焼の製造における多大な功績を残しました。九谷本窯が別称として〈永楽窯〉と呼ばれているのは、このためです。

小野窯 庄三(しょうざ)風

小野窯の〈庄三風〉は、1832(天保3)年に若杉窯から小野窯へと移ってきた〈九谷庄三〉によって生み出された技法です。古九谷・吉田屋・赤絵・金蘭手すべての技法を取り入れた〈彩色金蘭手〉という画風で、繊細かつ絢爛豪華な花鳥人物山水が特徴です。

 

ウィーン万博に庄三風の作品が出品されたこと、明治期に輸出された九谷焼の中でも庄三風の作品の評判が非常に良かったことなどから、〈ジャパン・クタニ〉として世界中にその名を轟かせました。

青粒(あおちぶ)

〈青粒〉は大正時代に編み出された比較的新しい技法で、本来は絵付けのアクセントとして使われる脇役的な存在でした。青い点(粒)で文様を描いていく手法で、立体感のある独特な手触りが特徴となっています。

 

青粒の他に〈白粒〉〈金粒〉なども存在します。青粒を使った有名作家としては、〈二代仲田錦玉〉〈三代仲田錦玉〉が挙げられるでしょう。

彩釉(さいゆう)

〈彩釉〉は、九谷焼の特徴である五彩で絵や文様を描くものではありません。五彩の釉薬で磁器全体を塗り器肌に光沢を持たせ、さらに色を重ねることで美しい色のグラデーションを生み出します。

 

〈三代徳田八十吉〉〈四代徳田八十吉〉らは、彩釉を得意とする有名作家です。〈三代徳田八十吉〉は国の重要無形文化財(彩釉磁器)保持者(人間国宝)に認定されています。

釉裏金彩(ゆうりきんさい)

〈釉裏金彩〉とは、金箔や銀箔を器に貼りつけ、その上から透明度の高い釉薬をかけて焼き上げる技法です。金箔の上に釉薬を塗ることで柔らかく温かみのある色彩へ変化し、従来の金襴手等の豪華さとは違った味わいがあります。

 

釉裏金彩の作品は、加賀の伝統工芸である金箔と九谷焼が見事に融合した逸品です。〈吉田美統〉は釉裏金彩の代表的な作家で、国の重要無形文化財(釉裏金彩)保持者(人間国宝)に認定されています。

九谷焼の買取エピソード

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先日、出張買取でお客様宅へ伺った際の買取エピソードです。「倉庫を取り壊すことになったので、中に買取できるものがないか見てほしい」とのご相談で、店頭にて出張買取の日時等をお打合せしました。

 

お客様曰く、「箱に入っているものもあれば、入っていないものもある。祖父母の代からずっと倉庫に置いてあるものなので、古い時代のものだと思う。割れているものもあるけれど、捨てる前に一度見てもらいたくて…」とのことでした。

 

後日お客様のご指定の場所へ伺うと、件の倉庫から九谷焼の食器類を多数発見!木箱には購入された年(明治~昭和)も書かれていました。木箱の中を見てみると、赤絵九谷の皿や、〈九谷朝日製〉と書かれた茶碗や食器類、輪島塗の御膳やお椀などが入っているのを確認できました。

 

お客様によれば、「昔は大きな家で蔵もあった」そうですが、その家は現在取り壊しが終わり売却も済んでいるのだとか。取り壊す前に古いもの好きの御父様が出来る限り持ち出し、倉庫の中に大切に保管しておいたのだそう。

 

査定を希望されていたのは当時使用していた食器類で、本来は10人揃えや20人揃えとなっているもの。全て数が揃っているものもありましたが、長年の使用や持ち運びによる衝撃で割れていたり、数が足りないものも多く見受けられました。

 

全ての状態を確認し査定額をお伝えしたところ、「捨てようと思っていたものに値段がつくなんて…!」と大変驚かれているご様子でした。当初はそれなりに量もあった為、「自分で捨てるのも難しいから業者に頼んで引き取ってもらおうか」とも考えていたそうです。

 

業者に依頼していたらかかったであろう処分代も浮き、今回得られたお金は「倉庫の取り壊し費用の足しにできる」と、とても喜んでいただくことができました。

最後に

今は物を捨てるにもお金がかかる時代。ご自宅の蔵や倉庫、押し入れなどに古い皿やお碗、茶器などといった陶磁器類が眠っていませんか?買取専門店『くらや松山店』に在籍するプロの鑑定士が、しっかりと価値を見極め高価買取いたします。

 

一見価値が無いように見えるものでも、プロの目から見ればお宝だった!なんてことも。「古いし値段なんて付かないだろう」「捨ててしまった方が楽だし…」と思われている方は、一度『くらや松山店』で査定だけでもしてみませんか?

 

「査定してもらいたいものがたくさんあって、店舗まで持って行けない」「重たくて家の外まで運び出せない」など、様々な理由でご来店が難しい方へは、当店の〈出張買取〉をお勧めしております。まずはお気軽にお問合せください。

 

査定・相談・出張費用は全て無料です。皆様のご来店・お電話を心よりお待ちしております。

 

 

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店舗:くらや 松山店

住所:愛媛県松山市天山1丁目13-5 イオンスタイル松山3階

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