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松山店
2021/02/10

愛媛県松山市 浮世絵の買取|歌川広重 喜多川歌麿 葛飾北斎|ゴッホも模写した浮世絵

10:14 am

はじめに

こんにちは。浮世絵・絵画などの買取をしている買取専門店『くらや松山店』です。
現在、愛媛県の愛媛県美術館にて〈大広重展 -東海道五拾三次と雪月花 叙情の世界―〉という展覧会が開催されています。

 

〈歌川広重〉は、葛飾北斎と並び日本だけでなく世界でも知られる有名な浮世絵師です。本展示会では名作〈東海道五拾三次〉のほか、色々な作品が展示されています。私はまだ見に行けていませんが、2021年3月21日まで開催されているそうなので、必ず見に行きたいです。ご興味のある方は是非、愛媛県美術館へ。

 

話が少し逸れましたが、今回は〈浮世絵〉についてご紹介していきたいと思います。浮世絵とは、そもそもどういったものなのでしょうか?浮世絵の歴史をはじめ、有名作家や人気作家(高価買取が期待できる作家)のご紹介、高額査定のポイントなどをお話しできればと思います。

浮世絵とは

〈浮世絵〉とは、簡単に言うと「江戸時代に誕生した日本画のジャンルの一つ」です。浮世絵には大きく2つの種類があります。

 

一つ目は絵師が直接筆で書いた〈肉筆浮世絵〉、二つ目は〈木版画〉です。木版画は更に、〈一枚摺〉と〈版本〉に分類分けされています。今回は、主に〈木版画の浮世絵〉についてご紹介していきましょう。

 

浮世絵の〈浮世〉とは、〈現在の世の中〉という意味があります。その語源は〈憂世〉。「憂世はつらくて暗い世の中」という意味なのです。

 

徳川家康が天下統一して江戸幕府を開くまで、日本は戦国時代ということもあり〈憂世〉の真っ只中。それが江戸時代になり、庶民の暮らしが安定してくると、漢語の〈浮世(ふせい)〉の影響を受け〈儚い世の中〉という意味の〈浮世〉に変化していきます。

 

この〈浮世〉には、「儚い世の中なら浮かれて暮らす」という俗世の考えも含まれているのだとか。この様な変化を経て、当時の人々の生活や人物、風景などを描いた絵を〈浮世絵〉と呼ぶようになっていったのです。

 

一言に〈浮世絵〉と言っても、様々なジャンルがあります。

 

■美人画
■名所絵
■武者絵
■役者絵
■幽霊画
■鯰絵
■春画
■戯画 等々

 

その他にもたくさんのジャンルが存在し、浮世絵を見ることで当時の様子や文化を知ることができるのです。浮世絵は、歴史資料としての役割も果たしています。

分業制だった浮世絵

浮世絵の制作方法は、一人の画家が描くのではなく〈分業制〉で制作されていたことも特徴です。作業内容によって、〈版元〉〈絵師〉〈彫師〉〈摺師〉に分けられます。どうしても〈絵師〉が注目されるため、分業で作られていると知って驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

さて、ここからは各職人の仕事内容についてご紹介していきたいと思います。

版元

プロデューサー的な役割を担っていた〈版元〉。資金調達から企画、完成後の販売や管理などを行っていました。

 

版元として代表的な人物は、葛飾北斎の富嶽三十六景を手掛けた〈西村屋与八〉、東洲斎写楽を輩出した〈蔦屋重三郎〉です。

絵師

〈絵師〉は浮世絵の元となる絵を描く職人。〈葛飾北斎〉〈歌川広重〉〈歌川国芳〉など、浮世絵と聞いてすぐに思い浮かぶ名前は、ほとんどが絵師と言えるのではないでしょうか。

彫師

〈彫師〉とは、絵師の描いた絵を版木に彫っていく職人です。浮世絵の制作において最も重要な部分を担っており、細かい描写の表現は彫師の手腕によって変わってくるほど。

 

多色の浮世絵ほど色版をたくさん作らなければならず、非常に大変な作業でした。

摺師

浮世絵を紙に摺る職人が〈摺師〉。現在の印刷会社の役割を担っていました。

 

浮世絵の当時の価格は〈そば一杯〉と同じとされていて、美術品という捉え方ではなく庶民の娯楽文化の一つでした。これほど安く販売することが可能だったのは、版画という方法で作成することで、大量生産ができたことが大きな要因となっています。

浮世絵の歴史

10:14 am

ここからは〈浮世絵の歴史〉のお話です。
当初は絵入本の挿絵でしかなかった浮世絵版画が、一枚の独立した絵画作品となったのは江戸時代に入った頃のこと。そのきっかけを作ったのは、〈見返り美人図〉で有名な〈菱川師宣〉です。

 

本の挿絵を描く絵師だった菱川師宣は、1670年頃から絵だけを一枚摺するようになります。これが絵画作品としての浮世絵の誕生の瞬間でした。当時の浮世絵は黒一色で、〈墨摺絵(すみずりえ)〉と呼ばれていました。

 

菱川師宣の死後、17世紀後半に登場したのが〈彩色版画〉。これに携わっていたのが、江戸時代前期に活躍した浮世絵師であり版元の〈奥村政信〉でした。

 

彩色版画には、墨摺絵に直接筆で朱色の絵具(丹)を彩色した〈丹絵(たんえ)〉、染料の紅を使用して色を付けた〈紅絵(べにえ)〉、墨に膠(にかわ)を混ぜて光沢を出した〈漆絵(うるしえ)〉などといったものがあります。これらの技法は職人の手で一枚ずつ彩色していくものだったため、墨摺絵と違い大量生産はできませんでした。

 

18世紀の中頃(1744年頃)には、〈紅摺絵〉という技法が開発されました。色ごとの版を制作し、墨摺絵に重ね摺りしていく技法です。

 

紅摺絵の登場でカラーの浮世絵は大量生産が可能にはなりましたが、用いられる色は2~3色程度。その理由はいろいろとあるようですが、当時の使われていた紙が多色摺りに耐えることができず、2色から3色摺りが限界だったようです。

 

その後、1765年にはたくさんの色が使われた〈錦絵〉が誕生します。皆さんが思い浮かべる浮世絵は、おそらく殆どがこの〈錦絵〉ではないでしょうか?錦絵の誕生に関わったのは、江戸時代中期に美人画で人気を博した〈鈴木春信〉という絵師です。

 

当時の日本では、旗本の間で絵暦交換会が流行していました。「もっと鮮やかで今までにないものを作ってほしい」との依頼を受け、鈴木春信が多色摺りの作品を制作したのが〈錦絵〉の始まりです。

 

錦絵の制作にあたっては、多色摺りに耐えるべく丈夫な和紙が使われました。これは〈越前奉書紙〉というもので、白く厚みがあり発色が良いとされる和紙です。こうした様々な技術の向上によって作り上げられた〈錦絵〉は、鑑賞する人々の心を捉え一気に広がりを見せていくこととなりました。

 

ここでひとつ豆知識を。
〈見当がつかない〉や〈見当違い〉といった言葉を、日ごろ使う場面がありますよね。この〈見当〉という言葉は、浮世絵に使われていた言葉でした。

 

浮世絵における〈見当〉とは、重ね摺りをする際に絵がずれないよう木版つけられる目印のことを指します。現在使われる〈見当違い〉などの語源は、実はここからきているのです。

海外から注目を浴びる浮世絵 ~ジャポニスム~

1856年頃、浮世絵は貿易がきっかけとなり海外でも注目を浴びることとなります。当時鎖国をしていた日本ですが、長崎の出島では海外との貿易が行われていましたよね。

 

この時海外へは、日本で作られた陶器等が輸出されていました。その陶器の緩衝材(包装紙)に、たまたま浮世絵が使われていたのです。それを偶然見つけたヨーロッパの画家が感銘を受け、浮世絵は世界に広まったとされています。

 

初めて浮世絵を見たヨーロッパの画家たちは、きっと衝撃を受けたことでしょう。1867年に開催されたパリ万博を皮切りに、〈ジャポニスム(Japonisme)〉というブームが巻き起こります。これがヨーロッパの印象派の画家たち与えた影響は、大きなものでした。

 

〈クロード・モネ〉〈エドガー・ドガ〉等、巨匠と呼ばれる画家も浮世絵の影響を受けています。実際に浮世絵が描かれている作品で有名なのは、〈フィンセント・ファン・ゴッホ〉の〈タンギー爺さん〉です。

 

現在、現存する浮世絵の多くが海外で保管されています。当時の日本では、安価な浮世絵は大衆娯楽文化の一つであり、大事に保管されるということはあまりありませんでした。海外に渡ったきっかけが〈緩衝材〉だったということも、その事実を表す逸話と言えるでしょう。

 

ヨーロッパにおいては、浮世絵は美術品として扱われ大事に保管されてきました。海外に多くの浮世絵があるのは、こういったことが影響しているのではないでしょうか。

有名作家・人気作家

10:14 am

ここからは、浮世絵の代表的な作家をご紹介していきます。

喜多川歌麿

喜多川歌麿(1753年~1806年没)は、美人画で有名な浮世絵師です。当時の美人画では全身が描かれるのが一般的でしたが、歌麿は上半身や顔を大きく描く〈大首絵〉という手法を採用した、最初の絵師と言われています。

 

代表作〈寛政三美人〉〈ビードロを吹く娘〉

東洲斎写楽

東洲斎写楽(生没年不詳)は、当時の版元〈蔦屋重三郎〉によって輩出された浮世絵師です。実際の活動期間は10カ月間程で、その間145点の作品を版行しましたがその後忽然と画業から去りました。謎が多い絵師ですね。

 

代表作〈三世大谷鬼次の奴江戸兵衛〉

葛飾北斎

どなたでも一度は、葛飾北斎(1760年~1849年没)の浮世絵を目にしたことがあるのではないでしょうか?

 

生涯の間に30回の改号をしたり、90年の生涯で93回の転居をしたりと、奇人としても知られています。富士山の浮世絵が有名ですが、美人絵・戯画・春画など様々な作品を残しており、世界的にも著名な絵師です。

 

代表作〈冨嶽三十六景〉〈諸国滝廻り〉〈富嶽百景〉

歌川広重(初代)

歌川広重(初代)(1797年~1858年没)は、葛飾北斎と並び、江戸後期を代表する浮世絵師。〈東海道五十三次〉など名所絵を得意としていましたが、役者絵や美人画など歌川広重も様々なジャンルで活躍した絵師です。

 

〈歌川広重〉という名は襲名され、その後5代目まで続いています。

 

代表作〈東海道五十三次〉〈名所江戸百景〉

歌川国芳

歌川国芳(1798年~1861年没)は、江戸後期を代表する浮世絵師と言えるでしょう。それまでの常識にとらわれない、大胆な構図や作風で人気を博す絵師です。

 

大判錦絵三枚を一つのキャンバスと捉えて描いた、迫力のある作品を多く残しています。

 

代表作〈相馬の古内裏〉〈通俗水滸伝豪傑百八人〉

渓斎英泉

渓斎英泉(1791年~1848年没)は、江戸時代の後期に活躍をした浮世絵師です。独自の妖艶な美人画を得意としており、春画や名所絵でも人気の作品を残しています。

 

代表作〈時世美女競 東都芸子〉

月岡芳年

月岡芳年(1839年~1892年没)は、歌川国芳に師事し、幕末から明治にかけて活躍をした浮世絵師です。残酷な描写や殺戮現場を描いた〈無惨絵〉の描き手としても有名。

 

さらには歴史絵・美人画・風俗画・合戦絵など様々な浮世絵を発表し、生涯での作品数は1万点にも及ぶのだそう。浮世絵が衰退していく時代にあって、〈最後の浮世絵師〉とも言われています。

 

代表作〈英名二十八衆句〉〈奥州安達がはらひとつ家の図〉

浮世絵の高額査定のポイント

さて、ここまでは浮世絵の歴史や著名な絵師達をご紹介してきましたが、浮世絵の高価査定ポイントとは一体どこにあるのでしょうか?

 

まず最初に、浮世絵の〈作家〉が一番大事な査定ポイントとなります。人気作家の作品は当然高評価となりますが、名前の知られていない作家の作品は高額査定にはなりにくいでしょう。

 

人気作家の作品であっても、図柄や構図によって査定価格は変わってきます。作家によって、それぞれ人気の〈画風〉というものが存在するのです。

 

次に、作品の〈状態〉を見ます。浮世絵は江戸時代から明治にかけて制作されており、100年以上も経過しています。浮世絵の状態が査定額に及ぼす影響は大きいでしょう。

 

経年による劣化はどうしても出てきます。綺麗な状態の物は高評価になりますが、シミ・ヤケなどがある場合はマイナス評価となってしまいます。

 

また、浮世絵の裏から別の紙を貼り補強されている〈裏打(うらうち)〉がある作品も、評価が下がってしまうポイントです。裏打がされていると、「補修をしないといけない何らかのダメージが浮世絵にあった」と判断されてしまいます。

 

浮世絵は2枚や3枚で1セットになっている作品が多いので、枚数が揃っているかも大事な査定ポイントです。他にも、作品が初版の物かどうか・江戸や明治に作られたオリジナル作品か・大正・昭和に作られた復刻作品かどうかの判断でも、査定額は大きく変わります。

おわりに

浮世絵・古美術品の買取専門店『くらや松山店』では、専門の鑑定士がお客様の大切なお品物を、1点1点丁寧に鑑定致します。蔵を片付けていて出てきた浮世絵や、遺品整理などで出てきた浮世絵などがございましたら、是非『くらや松山店』までご相談ください。

 

店舗への持ち込みが難しい場合には、出張買取も承っております。ご相談・査定は無料で行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。

 

お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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