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日暮里店
2023/05/15

東京都荒川区 竹久夢二の買取|掛け軸 絵画 木版画|恋多き天才画家 絵葉書 ポスターも査定します

2:58 am

はじめに

こんにちは。掛け軸や絵画、木版画などといった骨董古美術品の査定・買取を行っている買取専門店『くらや日暮里店』です。東京都荒川区周辺にお住いのお客様で、油彩画・水彩画・リトグラフ・シルクスクリーンなどのご売却を検討されている方は、一度『くらや日暮里店』で査定してみませんか?

 

当店には、掛け軸や絵画に精通する目利きの鑑定士が在籍しております。真贋判定や査定経験を重ねて培った審美眼と、独自に構築した良質な販売経路を駆使し、お客様の大切なお品を高価買取いたします。店頭でのお買取はもちろん、査定のみを希望されているお客様や出張買取をご所望のお客様も、どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

冒頭に掲載している写真は、東京都荒川区ご在住のお客様よりお買取した〈竹久夢二〉の美人画です。元々この作品は、生前出版社に勤められていた御父様が所有されていたのだとか。仕事柄著名な文化人と交流する機会の多かった御父様は、明治から昭和初期頃に活躍していた画家や小説家がお好きだったらしく、その時代が題材となった古い作品を集めていたそうです。

 

写真の作品は数十年前に御父様が購入されたもので、お客様曰く「ずっと実家に飾ってあった木版画で、父らしいコレクションだと思っていた」とのこと。坐辺師友(身の回りの環境によって人は作られるという考え)を座右の銘としていた御父様らしく、ご自宅には優れた画家や小説家の作品がたくさん並んでいた、とお話しされていました。

 

真っ青な海を背景に、優しい眼差しでこちらを見つめる女性。しなやかでアンニュイな雰囲気を纏う女性像は竹久夢二の真骨頂で、それが存分に発揮された一枚です。出来栄え、保存状態ともに申し分なく、お客様もご納得の査定額をお出しすることができました。

 

肉筆画や掛け軸、木版画はもちろん、絵葉書やポスターも需要が高く、二次流通の市場において高評価となることの多い〈竹久夢二〉は、伊藤深水や鏑木清方らとならび、近代の日本画壇における美人画の大家として大変有名です。うりざね顔に哀愁漂う姿で表現される独特な女性像は、一度見れば強く印象に残るでしょう。

 

大正ロマンを代表する天才画家・竹久夢二の人物像を知れば、お手持ちの作品にもひと味違った感想を抱くかもしれません。掛け軸や絵画だけでなく、本記事の写真を見て「こんな感じの絵葉書が実家にあった」と思い出した方、竹久夢二の画集やポスターをお持ちの方は、これを機に『くらや日暮里店』で査定してみませんか?

竹久夢二の生い立ち

1884(明治17)年9月16日、岡山県邑久郡本庄村で生を享けた〈竹久夢二〉。本名は茂次郎(もじろう)といい、造り酒屋を営む父・菊蔵と母・也須能の間に次男として生まれました。茂次郎が誕生する前年に兄が夭折し、事実上の長男として育てられたそうです。

 

1899(明治32)年、16歳になった茂次郎は神戸中学校へ入学。同年12月には中退し、翌1900(明治33)年に一家で福岡県遠賀郡八幡村へ転居します。酒造業をたたみ、八幡製鉄所で職を得た父・菊蔵に同行した茂次郎でしたが、18歳の頃に家出をし上京することとなりました。

 

苦学の末、19歳で早稲田実業学校専攻科に入学した茂次郎は、新聞社へスケッチを投稿しはじめます。寄稿したコマ絵〈筒井筒〉が一等入選したのは、茂次郎が22歳の時のことでした。画家を志す多くの若者が美術学校に通い絵画の基礎を学ぶ一方で、竹久夢二のこの経歴は異例ともいえるでしょう。

 

〈夢二〉という筆名を使い始めたのも、この頃だったようです。周りからは〈モーさん〉という愛称で呼ばれていた茂次郎でしたが、実のところその呼び名は好んでいなかったと言われています。夢二という名には、〈民衆が主役となる新しい時代の詩人を夢見て〉という思いが込められているのだとか。

 

竹久夢二の名が世に出はじめた大正は、生活が豊かになり、多くの人が雑誌を読めるようになった時代でした。そうした中で竹久夢二は、服装や化粧の参考になるような〈身近な憧れの女性象〉を表現していくようになりました。

 

やがて独特の情感を湛えた〈夢二式美人〉と呼ばれる美人画のスタイルを確立し、次々に画集を発表。雑誌の表紙から広告、便箋、封筒、うちわ、浴衣などといった日用品までデザインを手掛けるようになり、テレビやラジオがない時代だったにも関わらず、日本中に〈竹久夢二〉の名を轟かせたのでした。

 

画壇に属することのなかった竹久夢二は、日本の郷愁と⻄欧のモダニズムが混在した、いわゆる〈和洋折衷〉を自由に表現するようになりました。洋雑誌などからゴッホ、ロートレック、ゴーギャン、ムンク、ルドンらの図版を切り抜き、スクラップブックにして熱心に研究していたようです。

日本画、水彩画、油彩画、木版画など多岐に渡る分野で才能を開花させた竹久夢二でしたが、海外から帰国後に結核を患い病臥。1934(昭和9)年、50歳を目前にしてその生涯に幕を下ろしました。

竹久夢二と3人の女性

絵を描く際、実感の手掛かりが無いと描けなかったという竹久夢二。一世を風靡した夢二式美人画が誕生した背景には、彼を慕う女性たちの存在があったようです。

 

多くの女性と浮名を流したことでも知られる竹久夢二の作品には、自身の経験を基にして生み出されたものが幾つもあります。中でも、〈岸たまき〉〈笠井彦乃〉〈お葉〉3人の女性が与えた影響は非常に大きいものでした。

岸たまき(他万喜)

竹久夢二の生涯のうちで、唯一戸籍に入った女性です。早稲田大学近くの絵葉書店で働いていたたまきに一目惚れした竹久夢二は、毎日店に通い詰め、出会いから僅か数カ月で結婚。その後同棲と別居を繰り返す約10年の間に3人の子供をもうけています。

 

竹久夢二は生前、たまきについて〈大いなる眼の殊に美しき人〉と表していたそうです。夢二式美人画は、そんなたまきをモデルにして誕生しました。

笠井彦乃

日本橋紙問屋の娘・笠井彦乃は美術学生で、出会う前から夢二の大ファンでした。当時18歳だった彦乃は、親から交際を反対されるも夢二との同棲を開始。ところがその翌年、彦乃が結核を患っていることが発覚します。彦乃は25歳という若さで逝去し、その後夢二は絵を描くことが出来ないまでに落胆したそうです。

 

竹久夢二の代表作〈黒船屋〉は、彦乃がモデルであるとも言われています。

お葉

〈お葉〉は夢二による愛称です。生まれは秋田県ですが、12歳の頃にスカウトされ上京。東京美術学校の裸婦モデルとして活動をはじめ、洋画家・藤島武二の名作〈芳惠〉のモデルを務めたことでも知られています。

 

彦乃と死別し、友人からお葉を紹介された夢二は再び絵筆をとることに。当初〈黒船屋〉のモデルを依頼されるも、夢二の描く女性像の中に彦乃の面影を見たお葉は失望し、自殺を図ったのだそう…。一命こそ取りとめたものの、夢二との恋路にはその後終止符を打ちました。

 

 

竹久夢二の人生に大きく関わった、たまき、彦乃、お葉。彼女達との出会いと別れが、竹久夢二の独特な世界観に深みを与えたのでした。

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竹久夢二の作風

夢二式美人画の特徴として、色白のうりざね顔、大きな瞳、曲線的で華奢な肢体、憂いを帯びた表情、艶やかな衣装などが挙げられます。きりっとした美人ではなく、どこか儚げで伏し目がちな女性像と、異国情緒豊かな色使いも特徴的です。

 

竹久夢二の絵に描かれる女性の服装を真似る女性も登場し、絵画というジャンルを超えた人気ぶりが伺えます。とりわけ着物に対する拘りは強く、道行く人々の着こなしなどをよく観察していたそうです。

 

体のラインはS字の曲線で表現され、これもまた女性の美しさを引き立たせます。ほっそりとくねる肢体に対し、少し大きめに手足が描かれるのも竹久夢二独特の手法です。

竹久夢二の代表作

明治から大正というロマンと抒情が色濃く反映した時期に登場し、〈大正の浮世絵師〉とも称された画家・竹久夢二の代表作を幾つかご紹介していきたいと思います。

黒船屋

1919(大正8)年に制作された〈黒船屋〉は、竹久夢二の最高傑作とも言われる作品。画家キース・ヴァン・ドンゲンの〈黒猫を抱ける女〉を参考にした構図が印象的です。

 

近藤富枝の小説〈待てど暮らせど来ぬひとを〉では、この作品のモデルは17歳のお葉ということになっています。しかし、黒船屋に描かれた女性像には彦乃の面影がそのまま投影されていたというのは、〈竹久夢二と3人の女性〉の章で述べた通り。女性にすがるように身を預ける黒猫は、竹久夢二自身ではないかとも言われています。

青山河

1932(昭和7)年頃に制作された作品。画面からはみ出さんばかりに大胆に描かれた裸婦が目を引きます。夕暮れ時の背景にそびえるのは、群馬の榛名山です。竹久夢二は晩年、榛名湖の湖畔にアトリエを構え多くの絵を遺しました。晩年の作品には山が描かれるという特徴があるのですが、これは何故なのでしょうか。

 

かつて竹久夢二は彦乃このことを符丁で〈山〉と呼び、彦乃からは〈河〉と呼ばれ、人目を忍び恋文を交わしていたのだとか。〈山〉は彦乃を表していたのでしょう。〈青山河〉が描かれた屏風の裏面には、竹久夢二の筆で〈山は歩いて来ない。やがて私は帰るだろう。榛名山に寄す〉という言葉が書かれています。

立田姫

1931(昭和6)年頃に制作されたと言われる〈立田姫〉は、竹久夢二本人が〈自分の一生涯における総くくりの女〉と語った作品です。富士山を背景に、赤い着物姿の女性が真後ろに振り向いたポーズをとっています。竹久夢二が得意とした、S字曲線の体躯も印象的です。

 

2014(平成26)年には、竹久夢二生誕130年を記念して〈立田姫〉の着物が再現され話題に。この作品は現在、岡山県の夢二郷土美術館に収蔵されています。

高評価となるのは…?

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竹久夢二が描いた美人画は、蒐集家や美術愛好家から大変人気が高く、現在も変わらず需要があります。楽譜の装丁や雑誌の挿絵、ポスター、半襟のデザインなど、今で言うところのグラフィックデザイナーとしても活躍していたことから、竹久夢二が手掛けた作品はまだまだ日本中に埋もれているはずです。

 

高評価となるのは、竹久夢二ならではのアンニュイな女性像が描かれた出来栄えの良い作品。〈黒船屋〉に見るような猫などといった動物が一緒に描かれている作品や、大きなサイズの掛け軸などをお持ちの方は、是非一度『くらや日暮里店』へお問い合わせください!

 

竹久夢二直筆の肉筆画はもちろん、大正時代のオリジナルまたは復刻の木版画・リトグラフなら、保存状態や大きさ等にもよりますが高評価が期待できるでしょう。また、竹久夢二の挿絵や装丁が使われている〈婦人グラフ〉〈晴夜〉〈露地のほそみち〉〈セノオ楽譜〉などといった書籍・雑誌はもちろん、木版画を元につくられた当時の絵葉書や詩画集、ポスターなども『くらや日暮里店』では高価買取しております。

まとめ

絵画や掛け軸などといった骨董古美術品の査定・鑑定は、その価値を正しく見極められる鑑定士に依頼することをお勧めします。竹久夢二の作品だけでなく、お手持ちの絵画や掛け軸、木版画、リトグラフ、シルクスクリーンの価値が気になってきたという方は、これを機に一度『くらや日暮里店』で査定してみませんか?

 

思い入れのある大切な作品だからこそ、その価値をしっかりと正しく見極めてほしいものですよね。買取専門店『くらや日暮里店』には、掛け軸や絵画の査定・買取経験が豊富なプロの鑑定士が在籍しております。

 

「遺品整理中の部屋から、価値あるものを全て見つけてほしい」というご依頼や、「掛け軸や骨董品が幾つも置きっぱなしになっている実家。どこから片付けたらいいのか…」といったご相談も大歓迎です。お気軽にお問い合わせください。

 

当店の鑑定士がお客様のご自宅等に直接お伺いし、査定から買取までを一貫して行う〈出張買取〉は、リピーターの方も多く大変ご好評いただいているサービスです。様々な理由でご来店が難しいという方、荒川区外など遠方にお住いの方は是非一度ご利用ください!

 

査定・相談・出張費用は無料です。お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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