- 骨董品佐賀店2021/03/05
骨董品・美術品、遺品整理の高価買取
もくじ
こんにちは。火縄銃や刀装具をはじめ、刀剣類の買取をしている買取専門『くらや佐賀店』です。本日は、以前当店で買取依頼をいただいた〈火縄銃〉と〈刀剣〉について、実際のエピソードを交えてお話ししていきたいと思います。
先日、お客様より〈刀剣〉と〈火縄銃〉の出張買取依頼をいただきました。亡くなったお父様がお持ちだったお品物で、骨董美術がお好きだったお父様が生前にご購入されていたのだそうです。
ご依頼主のお客様は引越しを控えられており、「せっかくなので一緒に見てほしい」とのことで、壷や食器類の査定依頼も承りました。食器類などは処分するつもりだったそうですが、カップボードの中には箱の無い〈井上萬二〉の小皿やぐい呑み、〈源右衛門〉の茶器などがあり、当店にてお買取となりました。
〈刀剣〉や〈火縄銃〉だけでなく、食器・茶器類にも幅広く値をお付けできたため、合計買取金額は引越し費用にあてられるほどの高額に。お客様にもお喜びいただける結果となりました。
今回ご依頼のあった刀剣には〈拵え〉が付いておらず、抜き身に鞘のみという状態でした。本来刀剣には、鞘に納めて保管するための〈拵え〉〈刀装具〉というものが付属します。
刀剣の見どころは、刀身だけでなく〈拵え〉や〈刀装具〉にもあるのです。今回は、火縄銃に関するお話と、〈拵え〉〈刀装具〉の種類と役割についてご紹介していきたいと思います。
火縄銃は、天文12年(1543年)頃に日本に伝わったとされる最初期の火器です。現在日本においては〈銃砲刀剣類所持等取締法〉の規制対象にあり、登録がされていれば骨董品として所持することができます。
また、火縄銃と刀剣に共通してあるものが〈銘〉です。火縄銃を作製する〈鉄砲鍛冶〉職人も、刀剣と同じく作製にあたった銃に銘を切ります。この銘などから、作製時期や時代を測ることが出来るのです。
火縄銃は、発射する弾丸の重さ=口径で用途が変わりました。現在のライフル銃には、銃身内に螺旋状の溝を切り弾丸の速度を向上させる〈ライフリング〉がありますが、当時の火縄銃はそれが無い〈滑空銃〉であったため、射程距離・威力共に口径の大きいものが有利でした。
口径が小さなものは、使用する火薬量も少ないため威力は低くなります。その反面、反動が少なく取り扱いは簡単でした。
口径が大きいものほど使用する火薬量は多くなり、発射する弾丸も大きいため威力は高くなります。しかし銃自体も大きくなるため非常に重く、また反動も大きいため扱いも簡単ではありませんでした。
弾丸重量3匁~5匁程度 口径10mm~
この火縄銃は、威力が低くなりますが安価で製造でき、反動も小さいことから動員兵への支給銃として使用されました。他には猟銃としても使用されていたようです。
鉄砲に対する防具がおろそかであった時代には、十分な威力が発揮できたため大量に生産されています。
弾丸重量6匁程 口径15㎜~
弾丸の重量および威力は上がりましたが、扱いが難しくなってしまうという欠点も。細筒に対抗する防具である〈当世具足〉や〈竹束〉に対応するために、威力が求められ作製されました。
弾丸重量10匁程 口径20㎜前後
下級武士ではなく士分が装備したといわれる火縄銃で、中筒よりもさらに高威力・高反動のため、修練を積んだ侍が使用していたのだそう。大変に重く取り回しが悪いため、必要な時以外は奉公人に持たせていたと言われています。
細筒や中筒よりも、銃身が短いことが特徴です。
馬上で使用するために片手で扱えるように調整されました。現代でいう拳銃のようなものですが、短筒と言ってもそれなりの大きさがあるため、取り回しは悪かったようです。
名称が似ているため、火縄銃と混同されることが多いものですが、〈大鉄砲〉〈大筒〉は現代でいうところの〈大砲〉として扱われていました。攻城戦における門や壁の破壊、海戦などに用いられ、ほとんどが発射台や地面に据え付けて発射されていたようです。
種子島に伝来した鉄砲を様々な努力で国産化し、量産に成功したのは腕の良い鍛冶師がいたからだと言われています。下記に挙げるのは、著名な鉄砲鍛冶師です。
近江国国友村で、鉄砲が初めて作成された際の鍛冶職人。作製した鉄砲を室町幕府に献上し、その後量産体制を整え鉄砲の一大産地を築きました。
長篠の戦で投入された鉄砲は、国友製だったそうです。
名乗りの意味は〈能(よく)當(あたる)〉。代々続いた国友藤兵衛家の鍛冶銘で、国友一貫齋が有名です。
種子島に伝来した火縄銃の複製を依頼され、作製したことで知られています。その後大阪の堺に移り住み、堺は後に鉄砲の一大産地として栄えることに。
火縄式銃砲は、戦乱の世に作製された実用重視の火縄銃と、装飾を重視した火縄銃があります。戦乱が落ち着いてきた頃に出現したのが、細工技術を盛り込んだ火縄銃。銃身に象嵌が施されたり、銃床に金工細工が嵌め込まれたりと豪華絢爛です。
現在骨董古美術品として扱う火縄銃は、その美しさや保存状態の良しあしが査定の際の評価ポイントとなるでしょう。
刀身を収めるための道具には、大別して〈拵え(こしらえ)〉と〈白鞘〉があります。刀剣を保管するために用いられるものが〈白鞘〉です。服でいうところの〈寝間着〉のような物で保管の為に用いられる鞘の事です。
特別な装飾などがなく質素な作りの白鞘は、朴の木という素材で作られています。手入れなどが必要な際は、二つに割れて刀身を取り出すことが出来るようになっているのが特徴です。刀身についての覚書や書付が記されていることもあります。
白鞘が〈寝間着〉だとすると、〈拵え〉は〈外行きの服〉とも言えるでしょう。実際に腰に差して使う場合は、〈拵え〉に刀剣を収めます。
ハバキは、刀身の刃の部分と刃の無い部分の境目に取り付ける、金属で出来た部品です。刀身に合わせて一つ一つ作られるもので、刀剣の〈下着〉のような存在。
鞘に納めたときに、刀身を浮かせて固定する役割があります。ハバキが無ければ、鞘に納めても固定できず刀身は鞘から抜けてしまいます。
〈白鞘〉〈拵え〉に納める時にも必要になるのがハバキです。一振り一振り特性にあわせてぴたりと合うハバキを作る必要があるため、〈ハバキ師〉〈白銀師〉と呼ばれる専門職人の手によって作製されています。
〈鍔〉は柄と刀身の境目に位置する刀装具です。握り手を護る役割があります。刀装具の中でも人気の高いもので、鍔のみを集めているコレクターもいるほどです。
実用を重視したものばかりでなく、鍔職人の技術を凝らした細工が見どころとも言えます。透かし鐔・金や銀の象嵌が施されたもの・彫金師が作成したものなどがあり、見た目にも非常に華やかです。
鍔には表裏があり、刀を腰に差した際に相手に見える側が表となります。大きなものは太刀や大刀用で、一回り小さなものは小刀・脇差用です。
鍔は、刀鍛冶や甲冑師(よろい職人)が余った材料を使って作るのが一般的でしたが、後年には鍔を専門に作る〈鍔師〉が現れ、細かな細工の鍔が作られるようになりました。
〈柄〉とは、刀の持ち手の部分です。朴の木に鮫皮を巻き、上から組み紐や組糸を巻いて作ります。
〈鮫皮〉と書きますが、巻くのはエイの皮です。皮表面の小さな粒が滑り止めの役割を果たしており、粒が大きいほど高級品とされていました。組み紐は、ひし形を作るように巻き込むことで滑り止めとしての役割を果たすものです。
刀剣に欠かせない〈柄〉を補強・装飾する職人は、〈柄巻師〉と呼ばれました。
〈目貫〉は、柄と刀身を固定する〈目釘〉を飾る金具です。柄を巻き込む際に両側に挟み込まれます。凝った細工を施したものが多く、目貫のコレクターがいる程です。
元々は滑り止めとしての役割を持っていた目貫ですが、技術が高まるにつれて草花や動物模した細かな細工が施されるようになり、装飾としての意味合いを強く持つようになります。作製にあたっていたのは、〈金工師〉と呼ばれる金属細工を専門とする職人でした。
〈鞘〉は刀身を納めている部分のことで、白鞘と同じ朴の木で作られます。雨や霧に強くなるよう、漆が塗られていることも特徴です。
身分の高い貴族や豪族が持つ鞘には、〈蒔絵塗〉や〈朱漆塗〉など、豪華な細工が施されました。蒔絵塗は、金などの色粉で文様を描き漆で固めたもの、〈朱漆塗〉は朱色で表面に艶を出したものです。
他にも、きらきらとした貝殻の内面を貼り付け、漆で固定した〈螺鈿細工〉といったものもあります。これらは全て刀の鞘を専門に作る職人〈鞘師〉が作製しており、高い技術をもって作る細工が見所です。
〈小柄〉は鞘の横に取り付けてある小刀で、片刃の刃物のことを指します。携帯ナイフのようなもので、木を削るなどの実用的な役割の他に、彫金を施し装飾として魅せることも。
金工師の技術の粋を集めて作られた小柄は、コレクター人気の高いものがたくさんあります。
〈笄〉は小柄の反対側に取り付けてあるものです。髪を掻き上げたり、髷の中がかゆくなった時に掻く道具として使用されましたが、中には先端に耳かきが付いたものもあります。笄も後年は装飾の意味合いが強まり、豪華な細工の品が増えているのも注目です。
小柄・笄は、〈櫃(ひつ)〉と呼ばれる鞘に作ったスペースに納められています。刀を抜かなくても取り出せるようにと、鍔には小柄笄用の穴があけられているのも特徴です。
刀剣の見どころは刀身だけでなく、当時の技術の粋を凝らして作られた〈刀装具〉にもあるということが伝わったでしょうか。刀剣をお持ちの方の中には、交換用もしくはコレクション用として刀装具をお持ちの方が多くいらっしゃいます。
刀剣類に全く触れる機会がなかった方から見れば、刀装具の価値は分かりにくいでしょう。「刀剣を大事にしていた親族が、一緒に保管していた部品の山がある」「価値があるのかどうか分からない」といった場合は、ぜひ一度『くらや佐賀店』にご相談ください。1点1点、丁寧に査定させていただきます。
刀剣類のご売却をお考えのお客様の中には、「持ち出すのが不安…」「たくさんあって持って行けない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?『くらや佐賀店』では、ご自宅等に直接お伺いし、査定から買取までを行う〈出張買取〉も承っておりますので、お気軽にご連絡ください。
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