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佐賀店
2019/09/20

佐賀県佐賀市 日本刀の買取り|刀剣 脇差|肥前の名工・肥前忠吉とその一派

日本刀 脇差 買取り 買取専門店 くらや佐賀店

 

 

肥前忠吉作の日本刀刀剣などの

 

買取専門店『くらや佐賀店』です。

 

 

先日、脇差をお買取りいたしましたので

 

ご紹介します。

 

お亡くなりになったお父様が

 

大事にされていた脇差ですが、

 

品質を維持しつつ知識が無い中での保存は難しい為、

 

買取りをしてもらえないでしょうか。との事。

 

慎重に査定させていただき、

 

お買取りとさせていただきました。

 

 

今回は、肥前刀とも呼ばれ珍重される

 

肥前の名工・肥前忠吉とその一派について

 

お話しします。

 

 

以前は現在の佐賀県と隣県の長崎も含めた

 

広大な領域が一つの国とされており、

 

旧国名を肥前国と言いました。

 

中世期を通して九州は戦乱の絶えない地域で、

 

肥前も内外との戦の連続でした。

 

戦国時代に群雄割拠の九州で活躍した

 

佐賀の武将と言えば、

 

龍造寺隆信やその後を継いだ鍋島直茂が有名ですね。

 

 

さて、その戦乱も終わった江戸時代、

 

肥前国佐賀には鍋島家が藩主を務めた

 

佐賀藩が置かれました。

 

佐賀藩では、

 

ご当地佐賀の刀工であった

 

橋本新左衛門(初代肥前忠吉)を

 

藩の専属刀鍛冶である藩工として取立て、

 

橋本家は初代である忠吉の名を継ぎ、

 

代々藩工の家として栄えました。

 

 

初代肥前忠吉

 

新刀最上作最上大業物の一工に数えられる名工です。

 

 

師事した山城国の刀工一派である

 

埋忠派の影響もあり、

 

山城国の古名刀である来派の刀にも見えるような

 

古色漂う作刀をすることに定評があったようです。

 

 

また、30年以上に及ぶ長い作刀期間の中で、

 

色々と試行錯誤したのか

 

時期によって作風が変わるため、

 

一概に初代肥前忠吉の作はこう、

 

と言うのは難しいですが、

 

初代肥前忠吉とその一派である

 

子孫の刀全体に言えることは

 

鉄が良いということが挙げられます。

 

 

これは藩のお抱え刀工であったため、

 

資金面で余裕があったからか

 

良質の鉄を用いて安定した作刀ができたようです。

 

 

そして忠吉系とも呼ばれる忠吉一派は代々、

 

刀の銘を切る際に刀銘ではなく太刀銘を切り、

 

刃文も江戸期の流行りであった乱れ刃ではなく

 

直刃を好んで焼くなど、

 

当時の日本刀の主流であった打刀ではなく

 

古い時代の太刀を意識した作風で、

 

刀の姿が美しい物が多いことも一派を

 

肥前刀と言えば第一に

 

佐賀の忠吉系とされる理由なのです。

 

 

上記の理由から、

 

佐賀藩士のみならず他藩からも

 

忠吉系の刀は需要があり

 

藩の政策として盛んに輸出したことから

 

各代の肥前忠吉の刀が現存しています。

 

 

 

肥前忠吉を銘に切る刀工は8代を数え、それぞれ

 

初代忠吉(寛永頃)

 

二代忠吉(慶安頃)

 

三代忠吉(万治頃)

 

四代忠吉(元禄頃)

 

五代忠吉(宝暦頃)

 

六代忠吉(寛政頃)

 

七代忠吉(享和頃)

 

八代忠吉(安政頃)

 

と、幕末まで脈々と忠吉の名は受け継がれています。

 

 

初代は有名ですが、

 

二代目から四代目までは

 

業物以上に格付けされており評価も高いです。

 

 

また同じ忠吉という銘でも、

 

江戸時代に流行した刀工の持つ受領名という

 

官位が異ります。

 

時期によって忠吉の銘を切らない物もあり、

 

必ずしも忠吉と切るとは限らない物ですが

 

代を割り出すのは容易です。

 

 

例えば、

 

初代忠吉が製作初期に用いた五字銘と呼ばれる

 

《肥前国忠吉》銘は

 

古作然とした名作が多く有名ですが、

 

このほかに極めて短い間に使用した《秀岸》銘、

 

脂の乗った時期に用いた《肥前国住人忠吉》銘、

 

そして晩年に武蔵大掾という官位を受領し名を

 

忠吉から忠広へ改名して《武蔵大掾藤原忠広》

 

または《肥前国住藤原忠広》などと

 

晩年にかけて多くの種類の銘を切っていますが、

 

全て初代忠吉同一人物です。

 

 

この初代忠吉の初期銘である《肥前国忠吉》銘は

 

二代目を除いて各代で使用されます。

 

また、藤原姓を切るのも一派の特徴です。

 

 

二代目の忠吉は、

 

最後まで《忠吉》を名乗らず《忠広》を名乗り、

 

近江大掾を受領したため《近江大掾忠広》で

 

知られています。

 

 

三代目の忠吉は、

 

陸奥大掾及び陸奥守を受領し《陸奥大掾忠吉》や

 

《陸奥守忠吉》で知られています。

 

 

このように各代に特徴があり、

 

加えて作風にも差異があり銘だけでなく

 

作風でも代の判断が付きます。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

以上、佐賀の肥前刀についてでした。

 

 

買取りの際は、鑑定書などがないか、

 

登録証はちゃんと付いているかご確認の上、

 

経験豊富なプロの鑑定士にお任せください。

 

 

皆様からのお電話・ご来店を、

 

心よりお待ちいたしております。

 

 

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