
皆様は、「メゾチント」という版画技法をご存じでしょうか。
絵画と聞くと、油彩画や日本画を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、美術作品には版画というジャンルもあり、日本国内はもちろん海外でも高く評価されている作品が数多く制作されています。
版画には、大きく分けて木版画・石版画(リトグラフ)・孔版画(シルクスクリーン)・銅版画などの種類があります。それぞれ制作方法や表現方法が異なり、同じモチーフであっても技法によって作品の印象は大きく変わります。
今回ご紹介するメゾチントは、その中でも銅版画の代表的な技法の一つです。
銅版画は、銅板に刻んだ溝へインクを詰め、高い圧力をかけて紙へ刷り取る「凹版(おうはん)」と呼ばれる版画技法です。非常に繊細な線や滑らかな陰影を表現できることから、古くから多くの芸術家に親しまれてきました。
銅版画にはさまざまな制作技法があり、それぞれ異なる魅力があります。
エッチングは、防蝕剤を塗った銅板に針で線を描き、その後、酸で腐食させて線を作る技法です。自由な描線を表現しやすく、多くの銅版画家が用いています。
ドライポイントは、ニードルで銅板を直接引っかいて描く技法です。削られた部分にできる「バリ」と呼ばれる金属のめくれにインクが残ることで、柔らかく温かみのある線が生まれます。
ビュラン(エングレーヴィング)は、ビュランという専用の彫刻刀で銅板を直接彫り進める技法で、非常に精密でシャープな線を表現できることが特徴です。
また、アクアチントは、松脂などの粒子を利用して銅板を腐食させることで、線だけではなく面による濃淡を表現する技法です。水彩画のような柔らかな陰影を表現できることから、エッチングと組み合わせて制作される作品も数多くあります。
そして、今回のテーマであるメゾチントは、これらとは少し異なる制作方法が用いられます。
まず、ロッカー(ベルソー)と呼ばれる専用の道具で銅板全体に無数の細かな傷を付けます。この状態で刷ると、画面全体が深い黒一色になります。そこからスクレーパーやバニッシャーを使って傷を削ったり磨いたりすることで、少しずつ光の当たる部分を作り出し、白から灰色、そして黒へと続く美しい階調を表現していきます。
一般的な版画が「線を描いて形を作る」ことを基本とするのに対し、メゾチントは黒の中から光を削り出すように画面を仕上げていく点が大きな特徴です。そのため、深みのある黒と、写真のようになめらかなグラデーションを生み出すことができます。
その美しい表現から、メゾチントは「黒の技法(マニエール・ノワール)」とも呼ばれています。一方で、制作には非常に手間と時間がかかるため、数ある銅版画技法の中でも高度な技術を要する技法として知られています。
そのメゾチントの世界で、日本を代表する版画家として知られているのが浜口陽三です。
浜口陽三は、日本だけでなく海外でも活躍し、カラー・メゾチントという独自の表現を確立したことで知られています。
次章では、日本を代表するメゾチント作家・浜口陽三の生涯や作品の魅力について詳しくご紹介いたします。
浜口陽三(はまぐち ようぞう)は、1909年(明治42年)に和歌山県有田郡広村(現在の広川町)で生まれました。20世紀を代表する銅版画家の一人として知られ、特にメゾチント技法を用いた作品は、日本だけでなく世界でも高く評価されています。
浜口家は、江戸時代から続く醤油醸造会社「ヤマサ醤油」の創業家として知られる名家です。父・濱口儀兵衛はヤマサ醤油十代目社長を務めており、家業を継ぐ道もありましたが、陽三は幼い頃から美術の世界に興味を持ち、芸術家の道を志しました。
1927年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科へ入学します。しかし、洋画家・梅原龍三郎の助言を受け、1930年に同校を中退し、単身フランス・パリへ渡りました。当時のパリは世界中から芸術家が集まる芸術文化の中心地であり、浜口陽三は油彩画や水彩画を制作しながら創作活動を続けます。この頃には版画だけでなく、幅広い表現方法を模索していました。
1937年には自由美術家協会の創立に参加し、この年、最初の銅版画作品《猫》をドライポイント技法で制作しています。しかし、その後まもなく第二次世界大戦の影響を受けて帰国することとなり、本格的に銅版画へ取り組み始めたのは戦後の1948年頃からでした。1951年には東京・銀座のフォルム画廊で日本初となる銅版画の個展を開催し、日本の銅版画界でも注目される存在となります。
1953年、再びフランスへ渡った浜口陽三は、パリを拠点にメゾチントの研究をさらに深めます。そして1955年頃、それまで黒一色で表現されることが一般的だったメゾチントに色彩を取り入れた「カラー・メゾチント」という独自の表現を確立しました。これは従来の技法を単に色刷りにしたものではなく、メゾチント特有の深い黒と滑らかな階調を生かしながら、赤や青、黄色などの色彩を繊細に重ねる高度な技法でした。この表現は世界でも例が少なく、浜口陽三を代表する作風として現在まで高く評価されています。
その実力は数々の国際展でも認められていきます。1957年には、第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞するとともに、第4回サンパウロ・ビエンナーレでは、日本人として初めて版画部門の大賞(グランプリ)を受賞します。その後も1961年のリュブリャナ国際版画ビエンナーレでグランプリを受賞するなど、世界各国の国際版画展で数々の賞を受賞し、日本を代表する版画家としての地位を確立しました。
浜口陽三の作品には、さくらんぼ、ぶどう、レモン、西瓜、キャベツ、貝殻、ガラス器、水差しなど、私たちにとって身近な静物が数多く登場します。一見すると身近な題材ですが、静寂の中に漂う緊張感や、闇から光が浮かび上がるような独特の空間表現は、他の版画家にはない浜口陽三ならではの魅力です。
1981年にはアメリカ・サンフランシスコへ移り住み、その後も制作活動を続けました。1996年に帰国し、2000年の91歳でその生涯を閉じます。現在でも作品は国内外の美術館に数多く収蔵されており、東京都中央区には「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」が設けられるなど、その功績は今なお高く評価されています。
次章では、松前町のお客様からご相談いただいた、お父様が大切にされていた浜口陽三のメゾチント作品の買取エピソードをご紹介いたします。
今回ご紹介するのは、関西にお住まいのお客様からいただいた、松前町のご実家への出張買取のご相談です。
お客様から最初にいただいたお問い合わせは、
「父が集めていた絵が何点か残っているのですが、一度見に来てもらえませんか。作者の名前は分かるものもありますが、価値があるのか全く分からなくて……。」
という内容でした。
普段は関西にお住まいのため、松前町へ帰省できる日程が限られているとのことでした。そこで、お客様がご実家の片付けをされる日に合わせて予定を調整し、後日、松前町のご実家へお伺いしました。
ご実家では、ご家族で家具や衣類、書類などを一つずつ確認しながら片付けを進められていました。お父様が残された絵画は、応接間や廊下に飾られていたもののほか、タトウ箱に入れたまま押し入れに保管されていたものもありました。
お話を伺うと、お父様は若い頃から絵画がお好きで、美術展や画廊などで、気に入った作品を少しずつ購入して、飾って楽しんでいたそうです。ただ、お客様ご自身は関西で生活されていたこともあり、どの作品をいつ、どこで購入したのかまでは詳しく聞いていなかったといいます。
「父が絵を好きだったことは知っていました。生前、浜口陽三の絵があることは聞いていました。しかし、家族の中には絵に詳しい者がいないので、処分する前に一度見てもらおうという話になりました。」
そうお話しされながら、お客様が見せてくださった作品の中に、浜口陽三のメゾチントがありました。
作品を拝見すると、作品には浜口陽三ならではの深い黒の中に、静かに浮かび上がる貝殻が描かれていました。写実的でありながら幻想的にも感じられる表現は、メゾチントならではの滑らかな階調がよく生かされた作品でした。
お客様に確認すると、
「この絵は、父の部屋に長く飾ってあったと思います。ほかの絵は何度か掛け替えていましたが、これはあまり動かしていなかった気がします。」
とのことでした。
版画作品を評価する際には、作者名や作品名、制作年代、技法、エディションナンバー、直筆サインの有無、保存状態などを確認します。また、同じ作家の作品であっても、図柄や大きさ、代表作かどうかによっても評価は異なります。
今回の作品についても、細部までしっかり確認させていただきました。長年飾られていた作品でしたが、目立つシミや大きな退色は少なく、全体的に良好な状態が保たれていました。
お客様に、作品の状態、浜口陽三がどういった作家だったかをご説明させていただきました。
お客様は、
「父が気に入って飾っていた理由が少し分かった気がします。何も分からないまま処分しなくてよかったです。」と安心された様子でした。
「関西へ持ち帰っても飾る場所がありませんし、実家も片付けなければいけないので買取をお願いします。」とのことで、無事に成約となりました。
ご実家の片付けでは、絵画や骨董品が見つかっても、ご家族が作者名や購入時の経緯をご存じないことは珍しくありません。特に、遠方にお住まいの場合は、限られた帰省期間の中で片付けを進めなければならず、作品を一つずつ調べることが難しい場合もあります。
そのようなときは、お気軽に買取専門店 くらや 松山店へご相談ください。1点1点丁寧に査定させていただきます。
今回は、松前町のお客様よりご相談いただいた浜口陽三のメゾチント作品をご紹介するとともに、メゾチントという版画技法や、浜口陽三の生涯についてもご紹介いたしました。
版画作品は何部も摺られる印刷物になりますので、「版画だから価値は高くない」と思われる方もいらっしゃいます。しかし、作家や作品によっては、美術市場で高く評価されているものも数多くあります。
ご家族が大切にされてきた作品の中にも、思いがけない価値を持つものが含まれている場合があるかもしれません。
愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、浜口陽三をはじめ、畦地梅太郎、斎藤清、平山郁夫、片岡球子などの版画作品、日本画、洋画、掛軸、茶道具、骨董品、美術品など幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。
「父や母が集めていた絵画がたくさんある。」
「作者は分かるけれど価値が分からない。」
「実家の片付けで版画が見つかったので見てほしい。」
このようなご相談がございましたら、お気軽に買取専門店 くらや 松山店までお問い合わせください。鑑定士が一点一点丁寧に拝見し、現在の評価について分かりやすくご説明いたします。