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日暮里店
2023/04/13

東京都荒川区 骨董品の買取|六古窯|伝統古窯 日本の陶磁器の査定はお任せください

7:00 am

はじめに

こんにちは。骨董品・古美術品の査定・買取を行っている買取専門店『くらや日暮里店』です。東京都で骨董品の鑑定を希望される方は、買取経験が豊富なプロの鑑定士が在籍する『くらや日暮里店』へ是非ご相談ください。

 

「蔵の掃除をしていたら、骨董好きだった祖父が集めていた陶磁器を発見した」「実家で見つけた茶色い壺には、一体どんな価値があるのだろう」「共箱に書かれている作家を調べたら、有名な陶芸家だった」など、実は価値があるのでは…?と思いながらも、骨董品を持て余してしまっている方は多いはず。

 

古いものには、底知れぬ価値が潜んでいます。そしてその価値を正しく見極められる鑑定士には、そうそう巡り合えないものです。骨董品や古美術品の査定・鑑定は、専門の知識を持った『くらや日暮里店』の目利きの鑑定士へご依頼ください。

 

さて、今回は〈日本の陶磁器〉についてのお話です。日本人と陶磁器の関わりは古く、遡ること縄文時代。ある時は食糧保存のための生活用具として、またある時は祭祀用具として、焼き物は人間の営みに不可欠なものとしてその役割と文化を深めてきました。

 

とりわけ、瀬戸・越前・常滑・信楽・丹波・備前の焼き物は〈日本六古窯〉と呼ばれ、この6つの地域は現在もなお生産が続けられている代表的な日本の陶磁器の生産地です。六古窯で焼き上げられる陶磁器は、それぞれの産地の特色を生かした独特なものになります。

 

次の章より、六古窯について更に詳しくお話ししていきましょう。高価買取が期待できる作家などもご紹介していきますので、日本の陶磁器の査定・買取を希望される方は是非最後までお読みください。

日本の陶磁器 代表的な六古窯について

〈日本六古窯〉は、2017(平成29)年に日本遺産に認定されました。これきっかけに、瀬戸・越前・常滑・信楽・丹波・備前の六市町は〈六古窯日本遺産活用協議会〉を発足。それぞれの産地で育まれてきた技術と文化を見つめ直し、ものづくりの根源を再考する取り組みがなされています。

 

日本の陶磁器といえば、伊万里焼、有田焼、九谷焼などを連想する人が多いでしょう。実はこれらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島から諸大名が連れ帰った陶工たちが伝えた、磁器に始まる近世的な陶磁器なのです。

 

越前焼、常滑焼、信楽焼、丹波焼、備前焼は、釉薬を使わずに焼かれる素朴な味わいが特徴と言えます。瀬戸焼のみ、釉薬を掛けて焼成する施釉陶器です。

 

地域によって特徴が分かれる日本の陶磁器は、細かく分類すると代表的なものだけでも数十種類はあります。その中でも生産量・流通量ともに群を抜いているのが、この六古窯なのです。

 

どこのご家庭にもある、茶色い壺や花瓶。それらの中には、六古窯で焼かれた陶磁器がどれか必ずひとつはあるはず。ご自宅に眠る茶色い壺の秘めたる価値、気になりませんか…?

六古窯それぞれの特色

瀬戸焼

愛知県瀬戸市周辺で作られている瀬戸焼。世界屈指の陶磁器の産地として有名ですが、瀬戸の地域で陶磁器がつくられるようになったのは鎌倉時代のこと。木節粘土や蛙目粘土など良質な粘土が採取できるこの土地は、環境にも恵まれていると言えます。

 

瀬戸周辺では5世紀前半に須恵器が生産されていたとされており、古代から中世にかけ名古屋市東部の約20km四方に渡り1000基以上の窯がつくられたそうです。この窯跡は〈猿投窯〉(正式名称は猿投山西南麓古窯跡群)と呼ばれ、後に日本三大古窯のひとつとして数えられるようになりました。

 

中世の時代に唯一釉薬を施し焼かれた瀬戸焼は、庶民にとって縁遠い高級品。生産方法が従来の穴窯から大窯へと変わり、製造の中心が椀や小皿類といった日用品が中心となったのは室町時代に入ってからのことでした。この頃までにつくられたものは一般的に〈古瀬戸〉と呼ばれています。

 

釉薬で器全体が覆われていることから、高級感のある見た目が特徴である古瀬戸。中には、高台の手前まで釉薬が施されているものもあり、上流階級の人々を中心に愛用されていました。

 

古瀬戸をはじめ、著名な陶芸作家が手掛けた瀬戸焼は二次流通の市場においても大変人気のある陶磁器です。人間国宝〈加藤土師萌〉や、日展の入賞歴を持つ〈加藤重高〉、加藤重高の父で陶磁史研究家の〈加藤唐九郎〉などが手掛けた作品は、高価買取が期待できます。

 

瀬戸焼の査定・買取なら、骨董品に精通したプロの鑑定士が在籍する『くらや日暮里店』に是非お任せください。

越前焼

福井県丹生郡越前町で焼かれる越前焼。福井県には200基以上の古窯跡があると言われています。その始まりは、平安時代末期頃に常滑焼の技術が導入されたことがきっかけなのだそう。初期の古備前は、形状や質感が常滑焼のそれとよく似ているものが多いです。

 

越前町の周辺は、奈良時代から平安時代にかけて須恵器の産地だったことも判明しており、古くから陶磁器づくりが盛んな地域であったことが伺えます。使われる土には鉄が多く含まれ、防水性が高いという特性も。釉薬を用いない焼締陶器が主で、赤土を生かした素朴な風合いが特徴です。

 

箆で線を引いたような越前焼独自の文様や、櫛を使って装飾した櫛描きなどが見られるようになったのは南北朝時代からのこと。室町時代には大量生産が行われるようになり、北は北海道から南は島根まで、日本海側の各地へ多くの越前焼が運ばれたのでした。

 

瀬戸焼などの台頭に押され、江戸時代から昭和初期にかけてはその人気に陰りを見せたものの、戦後に建設された越前陶芸村を皮切りに窯元の数が増え、1986(昭和61)年には伝統工芸品にも指定されました。

常滑焼

7:00 am

愛知県常滑市を中心に焼かれる、常滑焼。猿投窯を汲む常滑焼のはじまりは、平安時代末期頃のことでした。この時代にあった穴窯の数は、知多半島全域で3000基以上とも言われています。

 

赤茶色に焼き上げる技法で常滑焼を代表するのが、〈朱泥〉と呼ばれる赤茶色の急須です。朱泥の煎茶具は中国・明の時代に生産されるようになり、日本においては幕末頃から大正時代にかけて流行しました。

 

日本における朱泥急須は、中国八古窯の一つ〈宜興窯〉で焼かれる紫砂壺に倣ってつくられたのだそうです。常滑の朱泥急須の誕生は、需要が低迷していた常滑焼の救世主となり、産地初の人間国宝を誕生させるなどその発展に大きく貢献しました。

 

〈三代 山田常山〉は、常滑焼(急須)の人間国宝として広く知られる陶芸家です。卓越した技術とセンスが光る三代 山田常山の作品は、高価買取が期待できるでしょう。

信楽焼

滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる信楽焼。常滑焼の技法の影響を色濃く受け、甕や壺、すり鉢などが焼成されるようになったのは鎌倉時代後期頃のことでした。

 

千利休が茶道を大成した安土桃山時代。素朴な風合いの信楽焼は侘茶の精神性と通じると考えられ、茶人から注目を集めるようになりました。この時代の優品は、芸術的価値を高く評価された信楽焼の茶器で占められていたそうです。

 

陶芸家としても活躍した〈北大路魯山人〉は、信楽の良質な土を気に入り、たびたび信楽へ足を運んでいたと言われています。信楽焼作家の中でも圧倒的な知名度を誇る北大路魯山人の作品は、高額査定が期待できるでしょう。

 

また、国内外で人気の高い焼き締め作家〈神崎紫峰〉や、滋賀県の指定文化財保持者の認定を受けている〈高橋春斎〉なども需要のある信楽焼作家です。お持ちの方は、『くらや日暮里店』で一度査定してみませんか?

丹波焼

兵庫県丹波篠山市付近で焼かれる丹波焼。時代とともに呼び名が変化していった丹波焼ですが、1978年に伝統的工芸品指定を受けたのを機に〈丹波立杭焼〉を公称としています。

 

主要な窯が並ぶ立杭地区は地形と気候に恵まれ、陶磁器の乾燥には最適な土地。土作りから焼成までを一貫して手掛ける丹波焼の窯元は、その殆どが数名規模なのだそうです。

 

平安時代末期から鎌倉時代にかけて発祥し、江戸時代初期の頃には油壺や塩鉢などといった日用品が多く製作されました。江戸時代中期から末期にかけては、茶碗や茶入など茶器全般がつくられるようになり、徳利にいたっては50種類以上もの作品が生み出されたのだとか。

 

日本六古窯のなかでも〈自然釉が最も美しい〉と言われる丹波焼。深い緑色を発色する窯変は〈灰被り〉と呼ばれます。火の加減によって模様や色合いが変わるため、作品ひとつひとつの仕上がりが異なるのも丹波焼の魅力と言えるでしょう。

 

丹波焼は蒐集家も多く、二次流通の市場においても需要が高い陶磁器です。江戸時代以前に焼かれた古丹波をはじめ、兵庫県無形文化財に指定されている作家〈森本陶谷〉や、丹波焼の歴史の中で最も古い直作窯の窯元〈正元直作〉などが手掛けた作品は、高価買取が期待できるでしょう。

備前焼

岡山県備前市の伊部で生産されている陶器、備前焼。〈伊部焼〉とも呼ばれる備前焼の発祥は、平安時代から鎌倉時代初期頃のことだったそうです。釉薬を用いない渋い焼き上がりは古の茶人達を魅了し、安土桃山時代には茶器の名品が数多く焼かれました。

 

備前焼には特有の神秘的な焼き色や柄がありますよね。胡麻をまぶしたような粒模様の〈胡麻〉をはじめ、襷のような朱色の線が入った〈緋襷〉、丸い焼けむらができた〈牡丹餅〉など、独特の呼称が存在するのも大きな特徴です。

 

使い込むほどに味が出ると言われる備前焼。国内外問わず愛好家も多く、人間国宝の作品や古備前は高額査定も望めるでしょう。〈金重陶陽〉を筆頭に、〈藤原啓〉とその長男〈藤原雄〉、〈山本陶秀〉〈伊勢崎淳〉といった人間国宝や、人気作家〈隠崎隆一〉〈安倍安人〉が手掛けた備前焼の査定なら、『くらや日暮里店』の鑑定士にお任せください。

まとめ

今回は、日本の陶磁器の中でも〈六古窯〉にスポットを当てお話ししました。原材料が土である焼き物は、古ければ古いほど状態の維持が難しいものです。受け継いだものや遺品整理で発見した場合は、早めに鑑定士のもとへお持ちいただくことをお勧めします。

 

人間国宝など著名な作家が手掛けた作品は、共箱に入れられ世に出ることが主です。共箱に記された作家名や作品名は、査定評価をする上で大切な鑑定ポイントとなります。共箱や栞などといった付属品をお持ちの方は、ご一緒に査定へお出しください。

 

買取経験を多く持ち、真贋判定にも長けている『くらや日暮里店』の鑑定士なら、お客様の大切な骨董品の正しい価値を見極めることができます。お手持ちの焼き物などを手放す際には、是非一度『くらや日暮里店』へご相談ください。

 

査定・相談・出張買取にかかる費用は全て無料です。皆様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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店舗:くらや 日暮里店
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