Blog 店舗ブログ
  • TOP
  • 店舗ブログ
  • 【大洲市で日本刀の出張買取】遺品整理で見つかった「長清」の刀|松山ゆかりの刀工をご紹介
2026.09.17
松山店

【大洲市で日本刀の出張買取】遺品整理で見つかった「長清」の刀|松山ゆかりの刀工をご紹介

6:04 am

第1章|【大洲市へ出張買取】遺品整理で見つかった日本刀

ご家族が亡くなられた後、ご実家の遺品整理を進めていると、長年しまわれたままになっていた骨董品や古い道具が見つかることがあります。

愛媛県松山市イオンスタイル松山の3階にある買取専門店 くらや 松山店では、骨董品や美術品をはじめ、掛軸、茶道具、陶磁器、書道具、古銭、日本刀、刀装具など、幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。

今回ご紹介するのは、大洲市にお住まいのお客様からいただいた、遺品整理に伴う出張買取のご相談です。

ご家族が残されたものを整理されており、骨董品や古い道具など、さまざまなものがあるため一度見に来てほしいとのことで、当店の鑑定士が大洲市のご自宅へお伺いしました。

残されていたものを一つずつ確認していく中で、日本刀が見つかりました。

お客様にお話を伺うと、ご家族が所有されていた刀で、ご自身では詳しいことは分からないとのことでした。

また、

「刀をこのまま家に置いておくのも少し怖くて……。自分の後に引き継ぐ人もいないので、今回の遺品整理を機会に一緒に整理したいと思っています。」

とのことでした。

実際に日本刀の買取では、このようなお話を伺うことがよくあります。ご家族から受け継いだものの、自分自身は刀に詳しくなく、どのように手入れや保管をしておけばよいのか分からない。また、お子様やお孫様などに引き継ぐ予定もなく、このまま自宅に残しておくことに不安を感じているという方もいらっしゃいます。

日本刀は、一般的な骨董品とは異なり、持ち運ぶこと自体に不安を感じる方も少なくありません。そういった場合は、くらや 松山店の出張買取を是非ご利用ください。

日本刀は、同じように見えるものでも、制作された時代や刀工、銘、刀身の出来、保存状態などによって評価が異なります。また、刀身だけではなく、鞘や鍔、柄などで構成される拵が残されている場合には、刀装具も評価の対象となります。

今回見つかった刀は白鞘に収められていました。刀身の状態を確認するとともに、茎(なかご)に刻まれた銘を確認していきます。

そこに確認できたのが、「豫州松山住長清」という銘です。

「豫州(予州)」とは伊予国、現在の愛媛県にあたる地域を指す名称です。「松山住」とあることからも分かるように、今回の刀は松山にゆかりのある刀工によって作られたものでした。

確認した内容をもとに、今回の刀について、銘や刀身の状態、評価のポイントなどをお客様へご説明しました。お客様も、ご家族が残された刀について詳しいことはご存じなかったため、説明を聞きながら一つひとつ確認されていました。

また、刀以外にも遺品整理で残されていた骨董品や古い道具などを確認し、それぞれについても内容や評価をご説明しました。

最後に買取内容をご案内し、お客様にもご納得いただき、今回確認させていただいたものは無事に成約となりました。

「このまま刀を家に残しておくのは不安だったので、今回一緒に整理できてよかったです」とお話しいただき、遺品整理をきっかけとした今回の出張買取を終えることができました。

 

今回確認した「長清」は、江戸時代の松山で活躍した刀工の一人です。また、当時の松山では長清のほかにも、長国や国輝などの刀工が活躍し、刀剣製作の技術が受け継がれていました。

では、「豫州松山住長清」と銘を切った長清とは、どのような刀工だったのでしょうか。

次章では、長清を中心に、江戸時代の松山で活躍した刀工について詳しくご紹介します。

 

6:04 am

第2章|「豫州松山住長清」とは?松山藩に仕えた刀工

今回の刀に刻まれていた「豫州松山住長清」という銘。

長清は、江戸時代前期に伊予松山で活躍した刀工です。当時の松山には藩に仕えて刀を鍛える刀工がおり、長清もその一人でした。

愛媛県史によると、長清は藤四郎長清と号し、松山藩主・蒲生忠知の扶持鍛冶を務めていたとされています。

寛永11年(1634年)に蒲生忠知が亡くなった後、松山には松平定行が入りますが、長清はその後も引き続き扶持鍛冶を務め、十三石五人扶持を受けていました。そして万治元年(1658年)9月に亡くなったと伝えられています。

江戸時代の松山では、長清だけでなく、さまざまな刀工が活躍しました。

その中でも知られているのが、三好藤四郎長国です。

長国は加藤嘉明の抱え工となって松山で作刀し、「豫州松山住長国」などの銘を残しています。現在でも長国の脇差が愛媛県指定有形文化財として残されており、松山における刀剣製作の歴史を知るうえでも重要な作品となっています。

次にご紹介するのが、「和泉大掾藤原国輝」です。

国輝も江戸時代の松山を代表する刀工として知られ、その名は後代まで受け継がれていきました。

愛媛県史では、初代国輝は幼名を太郎兵衛といい、初銘を「金長」としたと記されています。その後「和泉大掾国輝」を名乗り、松山で鍛刀にあたりました。

国輝の名跡はその後も代々受け継がれ、松山における刀剣製作の歴史を支える刀工の一つとなっていきます。

その技術の高さを現在に伝えているのが、大山祇神社に残されている「太刀 銘 和泉大掾藤原國輝」です。

この太刀は、松山藩主・松平定喬が国輝に命じて製作させ、大山祇神社へ奉納したもので、三尺五寸に及ぶ長大な刀身を持ちます。刀身だけでなく、松山の金工・盛国が制作した金具を用いた拵も備えた太刀一式で、現在は愛媛県指定有形文化財となっています。

このように江戸時代の松山では、長清、長国、国輝をはじめとする刀工たちが刀を鍛え、松山独自の刀剣文化が受け継がれてきました。

現在の愛媛県で暮らしていると、松山にこうした刀工たちが存在していたことを知る機会は、それほど多くないかもしれません。しかし、今回のように遺品整理で残されていた一本の刀から「豫州松山住長清」という銘が確認されることで、江戸時代の松山で刀を鍛えていた刀工の存在を身近に感じることができます。

日本刀を見る際には、刀身の美しさや状態だけでなく、茎にどのような銘が刻まれているのかを確認することも大切です。そこには刀工の名前だけでなく、作刀された地域や時代など、その刀の背景を知るための手掛かりが残されていることがあります。

今回確認した「豫州松山住長清」も、まさに愛媛・松山の刀剣文化につながる銘の一つといえるでしょう。

6:04 am

第3章|太刀・刀・脇差・短刀、日本刀にはどんな種類がある?

一言で「日本刀」といっても、すべてが同じ形や長さをしているわけではありません。代表的な区分として、「太刀(たち)」「刀(かたな)」「脇差(わきざし)」「短刀(たんとう)」があり、それぞれに特徴があります。

今回は、日本刀の代表的な4つの種類についてご紹介します。

 

・太刀(たち)

太刀は、主に平安時代後期から室町時代にかけて多く作られた日本刀です。

武士が馬に乗って戦う騎馬戦が中心だった時代に発達したもので、腰の帯などから吊り下げるようにして身につけます。このことを「佩く(はく)」といい、一般的には刃を下に向けた状態で佩用します。

後に普及する「刀」が刃を上に向けて腰帯に差すのに対し、太刀は刃を下に向けて吊るすという違いがあります。

太刀には反りがあり、長い刀身を持つものも多く、古い時代に作られたものの中には美術品として高く評価されている作品も数多く残されています。

また、神社などへ奉納するために作られた太刀もあります。第2章でご紹介した大山祇神社の「太刀 銘 和泉大掾藤原國輝」も、その一例です。

 

・刀(かたな)

一般的に「日本刀」と聞いて、多くの方が思い浮かべる形が「刀」ではないでしょうか。

刀は特に室町時代以降に広く用いられるようになり、太刀とは異なり、刃を上に向けて腰の帯に差して携帯するのが大きな特徴です。

太刀を「佩く」というのに対して、刀は腰に「差す」という違いがあります。

刀の刃長は、基本的に二尺(約60.6cm)以上となります。

江戸時代になると、武士は刀と脇差を組み合わせた「大小」を差す姿が一般的となりました。時代劇などで見かける、腰に長い刀と短い刀の二本を差した武士の姿を思い浮かべると分かりやすいでしょう。

 

・脇差(わきざし)

脇差は、刀よりも短い刀剣です。

刃長は一尺を超え二尺未満の刀剣が、脇差として区分されています。

江戸時代には、長い刀と脇差を組み合わせた「大小」が武士の代表的な装いとなりました。

刀と比べると、脇差は価値が低いように思われるかもしれませんが、誰が作ったのか、いつ頃作られたのか、刀身の出来や保存状態はどうなのかといったさまざまな要素が評価ポイントとなります。そのため、脇差であっても著名な刀工による作品や出来の優れたものなどは高い評価となります。

2章で触れた三好藤四郎長国の作品にも、愛媛県指定有形文化財となっている脇差が残されています。

 

・短刀(たんとう)

短刀は、その名前の通り、刀や脇差よりも短い刀剣です。

刃長が一尺以下の刀剣が短刀として区分されています。

短刀は古くから護身用などとして用いられ、鎌倉時代にはすでに優れた作品が数多く作られていました。

著名な刀工が手掛けた短刀も数多く存在し、作者や時代、出来、保存状態などによって高い評価になる短刀も数多くあります。

 

このように、日本刀には太刀、刀、脇差、短刀などの種類があります。

ただし、日本刀の評価は種類や長さだけで決まるものではありません。刀工や銘、制作された時代、刀身の出来、保存状態など、さまざまな点を確認して評価していきます。

今回、大洲市での遺品整理をきっかけにご相談いただいた「豫州松山住長清」の刀も、銘を確認することで、江戸時代の松山で活躍した刀工へとつながる一本であることが分かりました。

6:04 am

第4章|まとめ|日本刀・刀装具の買取ならくらや 松山店へ

今回は、大洲市のお客様から遺品整理に伴う出張買取をご依頼いただき、その中から見つかった「豫州松山住長清」の刀をご紹介しました。

遺品整理やご実家の片付けでは、これまでご家族が大切にされてきた日本刀が見つかることがあります。しかし、ご自身は刀に詳しくなく、「どのような刀なのか分からない」「手入れや保管の方法が分からない」「今後引き継ぐ人がいない」といった理由から、売却を検討される方も少なくありません。

日本刀は、刀工や銘、制作された時代、刀身の出来、保存状態などによって評価が異なります。また、刀身だけではなく、拵や鍔、目貫、小柄、縁頭などの刀装具も評価の対象となります。

ご実家の片付けなどで刀と一緒に保管されていたものがある場合は、「これは必要ないだろう」と判断して処分せず、できるだけそのままの状態でご相談ください。

また、日本刀の売却には「銃砲刀剣類登録証」が必要です。遺品整理で日本刀が見つかった際には、まず登録証が一緒に保管されているかをご確認ください。

くらや 松山店では、日本刀をはじめ、脇差、短刀、鍔、目貫、小柄などの刀剣・刀装具の買取を行っております。また、槍、甲冑、火縄銃など、古い武具についてもご相談いただけます。

日本刀は、「お店まで持って行くのが怖い」「どのように持ち運べばいいのか分からない」という方もいらっしゃると思います。

そのような場合には、出張買取をご利用ください。

くらや 松山店では、大洲市をはじめ、松山市、今治市、西条市、新居浜市、四国中央市、宇和島市、西予市、八幡浜市、伊予市、東温市など、愛媛県内各地へお伺いしております。

日本刀だけでなく、遺品整理やご実家の片付けで見つかった骨董品、掛軸、茶道具、陶磁器、書道具、古銭なども、買取専門店 くらや 松山店へ一緒にご相談ください。

ご家族から受け継がれた日本刀や刀装具を、一点ずつ確認させていただきます。

骨董品・美術品、遺品整理の高価買取なら買取専門店の
【KURAYA】松山店へご相談ください。

買取専門店 くらや 松山店
電話089-950-4334
営業時間10:00~19:00
住所愛媛県松山市天山1丁目13-5 イオンスタイル松山3階
アクセス 伊予鉄道横河原線 いよ立花駅より徒歩7分

松山店の他の記事を見る