
もくじ
ご実家の片付けや遺品整理を進める中で、茶碗や水指、棗、茶入、茶杓など、たくさんのお茶道具が見つかることがあります。
愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、お茶道具をはじめ、煎茶道具、掛軸、陶磁器、書道具、骨董品、美術品など、幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。伊予市をはじめ、愛媛県内各地から遺品整理や生前整理、ご実家の片付けに伴うご相談も承っています。
特にお茶道具の場合、実際に使われていたご本人が亡くなられたあと、ご家族がお茶をされていないため、価値や作者が分からないまま何十年も保管されていることは珍しくありません。
「祖父がお茶をしていたことは知っているけれど、自分たちは使い方も分からない。」
「木箱に入った茶碗や水指がたくさんあるけれど、何を残せばよいのか分からない。」
このようなご相談をいただくこともあります。
ご家族が大切にされていた道具だからこそ、すぐに処分することができず、そのままご両親の代へ、さらに子供や孫の代へと受け継がれていくこともあります。しかし、世代が変わるほど、誰が使っていたものなのか、どこで購入したものなのかといった情報は少しずつ分からなくなってしまいます。
そして、自分の代になって初めて「このまま残してしまうと、今度は自分の子供たちが整理することになる」と考え、遺品整理を始められる方もいらっしゃいます。
今回ご紹介するのも、伊予市にお住まいのお客様からいただいた、まさにそのようなご相談でした。
おじい様が残されたお茶道具を、ご両親は使うことなく、そのまま大切に保管されていたそうです。その後、ご両親も亡くなられ、お客様ご自身の代へと受け継がれました。
「自分もお茶をしていないので価値は分からない。でも、このまま自分の子供たちに残してしまうのではなく、自分の代で一度きちんと整理しておきたい。」
そのようなお気持ちから、今回ご相談くださいました。
残されていたお茶道具は、茶碗や水指、花入などさまざまで、一つ一つ確認を進めていきました。
その中には、大樋焼の水指をはじめ、杓立、茶碗、花入など、いくつもの大樋焼の作品がありました。これだけまとまって残されていたことから、おじい様が大樋焼を気に入って集められていたことがうかがえました。
今回は、そんなおじい様が大切にされていたお茶道具の中から「大樋焼」に注目してご紹介したいと思います。
大樋焼は、江戸時代に加賀の地で始まり、茶の湯との深い関わりの中で受け継がれてきた焼物です。
次章では、大樋焼がどのようにして誕生したのか、その歴史や特徴、そして代々受け継がれてきた大樋長左衛門について詳しくご紹介します。
大樋焼の歴史は、江戸時代前期の寛文6年(1666年)に始まります。
当時、加賀藩五代藩主・前田綱紀は、茶の湯を広めるため、京都から裏千家四代・仙叟宗室を金沢へ招きました。その際、仙叟に同行して金沢へやってきたのが、後に初代大樋長左衛門となる土師長左衛門です。
土師長左衛門は、千利休とともに楽茶碗を生み出した長次郎を始祖とする楽家の四代・一入に学んだ陶工でした。金沢へ移った長左衛門は、仙叟の指導のもと、金沢郊外の大樋村周辺で採れる土を使い、茶碗をはじめとするお茶道具を制作するようになります。この「大樋村」が、大樋焼の名前の由来となりました。
京都で培われてきた楽焼の技法を基礎としながら、加賀の土地や茶の湯の文化の中で独自の発展を遂げていったのが大樋焼です。
大樋焼の大きな特徴の一つが、轆轤(ろくろ)を使わず、手で土を成形する「手捏ね」による制作です。また、大樋焼を象徴するものとして知られているのが、深みのある褐色をした「飴釉」です。飴釉は初代の時代から用いられ、現在まで大樋焼を代表する釉薬として受け継がれています。
初代大樋長左衛門は、仙叟の指導を受けながら、茶碗だけでなく、水指や香炉、香合などさまざまなお茶道具を制作しました。海老や渦、寿老人など、初代の時代に用いられた意匠の中には、その後の歴代へ受け継がれていったものもあります。
仙叟が金沢を離れ京都へ戻った後も、初代長左衛門は金沢に残り、作陶を続けました。こうして大樋焼は加賀の茶の湯文化とともに根付き、歴代の大樋長左衛門へと受け継がれていくことになります。
二代、三代は初代の作風を色濃く受け継ぎながら大樋焼の伝統を守り、四代は歴代の中でも初代に次ぐ名工と評されています。その後も歴代によって技術や作風が受け継がれ、大樋焼は加賀を代表する茶陶として歩みを続けました。
しかし、その長い歴史が常に順調だったわけではありません。
明治維新によって加賀藩という大きな後ろ盾を失うと、大樋焼も大きな転換期を迎えます。七代の時代には一時廃窯となりますが、明治17年(1884年)に再興。その後、明治28年(1895年)には八代大樋長左衛門が大樋焼を継承し、茶陶としての伝統を次代へとつないでいきました。
そして、八代からその伝統を受け継いだのが、九代大樋長左衛門(1901~1986)です。
九代は八代大樋長左衛門の次男として生まれ、石川県立工業学校窯業科を卒業した後、父のもとで作陶に取り組みました。昭和2年(1927年)、八代の没後に九代大樋長左衛門を襲名します。
九代は、初代以来の手捏ねによる茶陶や飴釉といった大樋焼の伝統を守りながら、長年にわたり作陶を続けました。昭和5年(1930年)には宮中・大宮御所の茶室用品、昭和10年(1935年)には宮中・大宮御所の秋泉御茶室用茶碗の御用命を受けています。戦後には日本伝統工芸展への入選を重ね、日本工芸会正会員としても活動し、昭和35年(1960年)には金沢市文化賞を受賞しました。
九代の後を継いだのが、十代大樋長左衛門(1927~2023)です。東京美術学校(現在の東京藝術大学)工芸科を卒業し、昭和62年(1987年)に十代大樋長左衛門を襲名しました。
十代は歴代から受け継いだ茶陶の伝統を大切にしながら、造形作家としても活動の幅を広げ、大樋焼に新たな表現を取り入れていきました。その功績は高く評価され、日本藝術院会員、文化功労者を経て、平成23年(2011年)には文化勲章を受章しています。晩年には「大樋陶冶斎」として活動し、令和5年(2023年)、95歳で亡くなりました。
そして現在、大樋焼の伝統を受け継いでいるのが、十一代大樋長左衛門(年雄)です。
十一代は昭和33年(1958年)に生まれ、伝統的な茶陶の世界を受け継ぎながら、現代的な造形や表現を取り入れた作品を国内外で発表しています。現在は日本藝術院会員を務め、大樋美術館の館長としても、大樋焼の歴史や加賀の茶の湯文化を伝える活動を続けています。
さらに大樋家では、次の世代となる奈良祐希も陶芸家・建築家として活動しており、360年にわたって受け継がれてきた伝統に新たな表現を加えながら、その歴史は現在も続いています。
大樋焼というと飴釉の茶碗を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、歴代によって茶碗、水指、花入、香合など、茶席で用いられるさまざまなお道具が制作されています。
初代が金沢の地で作陶を始めてから約360年。大樋焼は、楽焼の流れをくむ茶陶として、加賀の茶の湯文化と深く結びつきながら、歴代の大樋長左衛門によって守り伝えられてきました。そして、その伝統は現在も新しい表現を取り入れながら次の世代へと受け継がれています。
次章では、伊予市のお客様からご相談いただいた、おじい様が大切にされていたお茶道具の出張買取エピソードをご紹介します。
今回、伊予市のお客様からご相談いただいたのは、おじい様が残されたお茶道具の出張買取でした。
おじい様は生前にお茶をされており、さまざまなお茶道具を集められていたそうです。しかし、その後ご両親はお茶をされることがなく、道具は長い間そのままの状態で大切に保管されていました。
そして、ご両親が亡くなられた後、お客様が遺品整理を進めることになり、「自分もお茶をしていないので、どの道具に価値があるのか分からない。このまま残しておくと、いずれ子供たちが整理しなければならなくなるので、自分の代できちんと整理しておきたい」と、ご相談いただきました。
後日、ご都合に合わせて伊予市のご実家へ伺い、残されていたお茶道具を一つ一つ確認させていただきました。
茶碗や水指、花入などさまざまなお茶道具が残されていましたが、その中で目に留まったのが、複数の大樋焼です。水指、杓立、茶碗、花入などがあり、九代大樋長左衛門による作品も多く残されていました。
一つ一つ確認を進めていくと、九代大樋長左衛門による水指の共箱には、表千家の即中斎の書付がありました。
お客様は書付の意味もご存じではなく、おじい様が習っていた流派が表千家だったことも初めて知ったようで、驚かれるとともに、「祖父が習っていた流派を知ることができてよかった」と喜ばれていました。
家元による書付は、その道具の格や評価にも関わる大切な要素です。今回の水指についても、作品の状態や共箱、書付などを確認しながら査定を進めていきました。
そのほかの大樋焼やお茶道具についても一つ一つ確認し、それぞれの内容をご説明させていただきました。
お客様にも、おじい様が残されたお茶道具の中にどのような作品があったのかを知っていただくことができ、査定内容にもご納得いただき、無事にご成約となりました。
長い間ご実家に残されていたお茶道具でしたが、おじい様が大切にされていたものを、ご自身の代できちんと整理することができたと、お客様にも喜んでいただけました。
今回の伊予市での出張買取では、おじい様が大切にされていたお茶道具をご相談いただきました。
おじい様が亡くなられた後、ご両親はお茶をされていなかったものの、たくさんのお茶道具をそのまま大切に残されていました。そして、ご両親も亡くなられたことで、今度はお客様ご自身がそれらを受け継ぐことになりました。
このように、祖父母が残したものをご両親の代では整理せず、そのまま子供や孫の代まで受け継いでいるというケースは、実際の買取のご相談でも珍しいことではありません。
「父が残したものだから捨てられなかった」「何か価値があるかもしれないので、そのまま残していた」「自分には分からないから手を付けられなかった」など、整理せずに残されている理由もさまざまです。
しかし、そのまま年月が経ち、今度は自分自身が年齢を重ねたことで、「このままでは自分の子供たちが整理することになる」「自分たちにも分からないものを、さらに次の世代へ残したくない」と考え、整理を始められる方もいらっしゃいます。
今回のお客様も、「自分の代で何とかしておかないと、子供たちに迷惑をかけてしまう」というお気持ちから、おじい様が残されたお茶道具の整理を決められました。
長年残されてきたものを整理することは、単に物を減らすということだけではありません。
今回のように、一つ一つ確認していくことで、おじい様が大樋焼を好んで集められていたことが分かったり、即中斎の書付から、おじい様が習っていたお茶の流派を知るきっかけになったりすることもあります。
ご家族には価値や詳細が分からなくなっていても、残されているものを確認していくことで、その方がどのようなものを好み、どのような趣味を楽しまれていたのかが見えてくることがあります。遺品整理には、そうしたご家族の知らなかった一面に触れる機会もあるのではないでしょうか。
買取専門店 くらや 松山店では、大樋焼をはじめとするお茶道具のほか、掛軸、陶磁器、書道具、煎茶道具、骨董品、美術品など、さまざまなご相談を承っております。
「祖父母の代から残っていて、何があるのか分からない」「両親もそのまま保管していたので、自分たちにも価値が分からない」といった場合も、一つ一つ確認いたします。
量が多く店頭まで持って行くことが難しい場合には、出張買取も承っております。伊予市をはじめ、愛媛県内各地へ鑑定士が伺いますので、ご実家の片付けや遺品整理、生前整理などでお困りの際は、買取専門店 くらや 松山店へお気軽にご相談ください。