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2026.08.09
松山店

【大洲市】茶道具の出張買取|千家十職・永楽善五郎とは?|買取専門店 くらや 松山店

8:57 am

第1章|ご実家に残されていたお茶道具のご相談

ご実家の片付けや遺品整理、生前整理を進める中で、「実家にお茶道具がたくさん残っている」「祖母が長年使っていた茶碗やお道具を整理したい」といったご相談をいただきます。

愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、茶道具をはじめ、掛軸、陶磁器、骨董品、美術品、煎茶道具など、幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。

お茶道具には、茶碗や棗、水指、茶杓、香合、建水などさまざまな道具があり、一見すると似たように見える作品でも、作者や製作年代、共箱の有無によって評価が異なります。また、家元の書付がある場合は、しっかりとした評価を期待できます。

今回ご紹介するのは、大洲市にお住まいのお客様からいただいた、お茶道具の出張買取のエピソードです。祖母の残したお茶道具の中に、永楽善五郎作の茶碗が見つかりました。

 

お客様からは、
「祖母が長年お茶を習っていて、茶道具がたくさん残っています。家族や身内でお茶をしている者がおらず、処分を検討しています。一度見に来ていただけませんか。」
とご連絡をいただきました。

後日、ご都合に合わせてご自宅へお伺いすると、茶箪笥には茶碗や棗、水指などのお道具が丁寧に保管されていました。一点ずつ拝見していく中で、共箱に書付の入った永楽善五郎の茶碗が見つかりました。

永楽善五郎は、茶道の世界では長い歴史を持つ名跡として知られ、代々「善五郎」の名を受け継ぎながら数多くの茶陶を製作してきました。茶道をされている方には馴染みのある名前ですが、茶道に触れる機会の少ない方にとっては、初めて耳にする名前かもしれません。

次章では、千家十職の一つとして茶の湯の文化を支え続けてきた永楽善五郎について、その歴史や作品の特徴をご紹介いたします。

8:57 am

第2章|千家十職・永楽善五郎とは?

永楽善五郎は、千家十職の一つである「土風炉・焼物師」を代々務めてきた陶工の名跡です。「永楽善五郎」という一人の作家を指す名前ではなく、歴代の当主が受け継いできた襲名名であり、現在まで十七代にわたって続いています。

千家十職とは、表千家・裏千家・武者小路千家の三千家に関わり、それぞれの家元の好みや茶会の用途に合わせて茶道具を製作してきた十の職家を指します。樂吉左衛門の茶碗、大西清右衛門の釜、中村宗哲の漆器、駒沢利斎の指物など、それぞれの家が専門とする分野を受け持ち、茶の湯の文化を道具の面から支えてきました。永楽家は、その中で土風炉や茶碗、水指、香合、花入、菓子器などの焼物を手掛けています。現在のように「千家十職」という呼び名が定着したのは明治時代以降とされていますが、それ以前から各職家と千家との関係は長く続いてきました。

永楽家の歴史は室町時代にまでさかのぼり、初代の宗禅を祖とします。もともとは西村姓を名乗り、初代から九代までは主に土風炉を製作していました。土風炉とは、炭火を入れて釜の湯を沸かすために用いられる土製の風炉です。現在は茶碗や水指などの華やかな茶陶を思い浮かべる方も多い永楽家ですが、その始まりは茶の湯に欠かせない土風炉を作る職人の家系でした。

初代宗禅は奈良で焼物を製作し、晩年には茶人・武野紹鴎の求めに応じて土風炉を作ったと伝えられています。その後、二代の時代に当時の茶の湯の中心地であった堺へ移り、三代の頃に京都へ移住したとされています。以後、永楽家は京都を拠点としながら、茶の湯の発展とともに歩みを重ねていきました。

永楽家に大きな転機が訪れたのは、江戸時代後期の十代・了全の時代です。九代までは土風炉の製作を中心としていましたが、了全は茶碗をはじめとする茶陶にも製作の幅を広げました。永楽家が千家に出入りするようになったのも、了全の時代からといわれています。

天明8年(1788年)に京都で起きた天明の大火では、永楽家の工房も焼失しました。了全はその後、工房を立て直し、土風炉だけでなくさまざまな焼物を製作できる体制を整えます。また、後に十一代となる保全を養子に迎えて育てるなど、現在につながる永楽家の基盤を築きました。

歴代の中でも特に名工として知られているのが、十一代・永楽保全です。保全は了全の養子となり、文化14年(1817年)に善五郎を襲名しました。京焼の名工として知られる青木木米や仁阿弥道八と並び、江戸時代後期を代表する陶工の一人に数えられています。

保全は、交趾や祥瑞、仁清写、金襴手など、中国や日本の古陶磁を手本とした幅広い作品を製作しました。単に古い作品をそのまま再現するのではなく、永楽家ならではの色彩や意匠を加え、茶席で使いやすい道具として仕立てていることが特徴です。

文政10年(1827年)には紀州徳川家の御庭焼である偕楽園焼に招かれ、作陶に携わりました。その働きにより「河濱支流」の金印と「永樂」の銀印を拝領したとされています。この「永樂」の印が、後に家名となる永楽姓の由来です。ただし、保全自身の時代には西村姓を名乗っており、正式に永楽姓へ改めたのは十二代・和全の時代でした。初代から九代までを西村姓、十代以降を永楽姓と単純に分けて説明されることもありますが、正確には十二代和全が明治初期に永楽姓へ改姓し、後世になって了全や保全も永楽の名を付けて呼ばれるようになったものです。

十二代・永楽和全は保全の長男として生まれ、天保14年(1843年)に善五郎を襲名しました。父・保全から受け継いだ技術を基礎としながら、色絵や金襴手、染付、交趾など幅広い作風を展開しています。加賀藩や大聖寺藩の御庭焼にも携わり、九谷焼の製作にも影響を与えました。明治4年(1871年)に永楽姓へ改めたことで、以後、永楽善五郎の名が正式に受け継がれていきます。

近代の永楽家を代表する陶工としては、十六代・永楽即全もよく知られています。即全は十五代・正全の長男として生まれましたが、父が早くに亡くなったため、幼い頃に十六代を継承しました。長い作陶生活の中で、仁清写、乾山写、交趾、祥瑞、金襴手、染付など、永楽家に伝わる幅広い技法を受け継ぎ、数多くの茶道具を製作しています。

即全の作品は、歴代の意匠や技法を踏まえながら、茶席での使いやすさにも配慮されている点が特徴です。茶碗だけでなく、水指、香合、食籠、蓋置、皆具、鉢や皿など製作の種類も幅広く、現在の茶道具市場でも目にする機会の多い歴代の一人です。

十七代は、十六代即全の長男として昭和19年(1944年)に京都で生まれ、東京藝術大学大学院で学んだ後、平成10年(1998年)に十七代永楽善五郎を襲名しました。その後は永楽家の伝統的な色絵や金襴手の技法を受け継ぎながら、現代的な感覚を取り入れた作品も発表しています。現在は隠居名の「永楽而全」を名乗っています。

永楽善五郎の作品には、交趾、仁清写、乾山写、祥瑞、染付、金襴手など、さまざまな技法が用いられています。交趾は黄、緑、紫などの鮮やかな釉薬を用いた焼物で、香合や水指、蓋置などによく見られます。仁清写は、江戸時代の陶工・野々村仁清の色絵や意匠を手本としたもので、華やかな絵付けと上品な色使いが特徴です。乾山写は尾形乾山の作風を写したもので、草花や季節の風物を描いた茶碗や鉢などが製作されています。

また、祥瑞や染付では、白い素地に呉須を用いて文様を描き、金襴手では赤や緑などの色絵に金彩を組み合わせます。永楽家は一つの作風だけを守り続けてきたのではなく、中国陶磁や京焼の名品を研究し、千家の家元の好みや茶会の目的に応じて、幅広い道具を製作してきました。交趾や金襴手、仁清写をはじめとする多彩な作風は、永楽家を代表する特徴の一つです。

茶の湯では、ただ有名な作者の道具を使用するのではなく、季節や茶会の趣旨、取り合わせるほかの道具との調和も大切にされます。春の草花を描いた茶碗、夏に涼しさを感じさせる水指、祝いの席に用いる金襴手の道具など、茶道具にはそれぞれ使われる時季や場面があります。永楽家は、家元から示された好みや意匠を形にするだけでなく、長く受け継がれてきた名品を写し、現代の茶席で使える道具として伝えてきました。茶の湯は古い形式を守るだけではなく、それぞれの時代に合った姿を模索しながら受け継がれてきた文化であり、永楽家の歩みからもその一端を知ることができます。

今回、大洲市のお客様からご相談いただいた茶碗にも共箱が残され、さらに家元の書付が入っていました。次章では、おばあ様が残されたお茶道具を出張買取した際のエピソードをご紹介します。

8:57 am

第3章|家元の書付が添えられた永楽善五郎の茶碗を確認

今回ご相談いただきお伺いした、大洲市のご実家では、おばあ様が長年大切にされてきたお茶道具が茶箪笥や押し入れに丁寧に保管されていました。

お客様のお話では、おばあ様は長年茶道を続けられており、お稽古だけでなく茶会にも参加されていたそうです。そのため、お道具は使用後にきちんと手入れをして大事にしていたとのことでした。

一点ずつ拝見していく中で、永楽善五郎の銘が入った茶碗が収められた共箱が見つかりました。さらに共箱には、家元(鵬雲斎)の書付が添えられていました。

茶道具では、作品そのものだけでなく、共箱や箱書、家元の書付なども重要な評価ポイントとなります。家元の書付は、その道具について家元が箱書を行ったもので、簡単にいうと、家元がいい道具と認めた証の道具ということです。

今回の茶碗も、作品の状態に加え、共箱や書付の内容を確認しながら評価を進めました。茶碗本体には目立つ欠けやニュウなども見られず、金彩や絵付けの状態も良好でした。また、共箱や共布も一緒に保管されていたことから、おばあ様が長年大切に扱われてきたことがうかがえました。

そのほかのお茶道具についても、丁寧に確認していきました。作者や箱書、保存状態を確認しながら、お客さまへ査定内容をご説明しました。

お客様は、

「祖母が大切にしていたお茶道具を、一つひとつ丁寧に見ていただいて安心しました。買取をよろしくお願いします。」

とお話しいただき、無事に成約となりました。

8:57 am

第4章|お茶道具の買取は買取専門店 くらや 松山店へ

永楽善五郎の作品は、歴代によって作風や製作年代が異なります。また、茶碗だけでなく水指や香合、蓋置、菓子器などさまざまなお道具が製作されています。そして、共箱や家元の書付の有無、保存状態などによっても評価は大きく変わります。

ご実家の片付けや遺品整理、生前整理を進める中で、「祖母が使っていた茶道具が残っている」「価値が分からないので見てほしい」といったご相談は少なくありません。茶道具は一見すると、何に使うか分からない道具や価値があるように見えないものもあります。しかし、お茶道具でお買取りができないものはありません。単品で評価の難しいものでも、お茶道具一式として評価ができます。なので、ご自身の判断で処分してしまう前に、一度専門知識を持つ鑑定士へご相談いただくことをおすすめいたします。

買取専門店 くらや 松山店では、永楽善五郎をはじめ、茶道具全般の店頭買取・出張買取を行っております。茶碗や水指、棗、茶杓、香合など一点からでも丁寧に拝見し、それぞれの価値を分かりやすくご説明いたします。

お茶道具の整理をご検討の際は、ぜひ買取専門店 くらや 松山店までお気軽にご相談ください。

 

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【KURAYA】松山店へご相談ください。

買取専門店 くらや 松山店
電話089-950-4334
営業時間10:00~19:00
住所愛媛県松山市天山1丁目13-5 イオンスタイル松山3階
アクセス 伊予鉄道横河原線 いよ立花駅より徒歩7分

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