
もくじ
「父の遺品整理を進めているのですが、掛軸が何本も出てきました。父が集めていたものだと思うのですが、私たちが見ても何が書かれているのか分かりません。一度見に来てもらえませんか。」
今回ご紹介するのは、西予市にお住まいのお客様からいただいた、遺品整理に伴う掛軸の出張買取のエピソードです。
愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、掛軸をはじめ、書画、骨董品、美術品、茶道具、陶磁器など、幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。近年は、西予市をはじめ愛媛県内各地から、遺品整理やご実家の片付けをきっかけに、「掛軸がたくさん残っている」「誰が書いたものなのか分からない」「価値があるものなのか見てほしい」といったご相談をよくいただきます。
後日、お客様のご都合に合わせてご自宅へお伺いしました。お話を伺うと、お父様は昔から掛軸や骨董品が好きで、古美術店や骨董市などで気に入った作品を少しずつ集められていたそうです。一方で、お父様が集められたものだけでなく、おじい様の代から受け継がれてきた掛軸もあり、どれがいつ頃手に入れたものなのか、ご家族でも詳しくは分からなくなっていました。遺品整理を進める中で、押し入れや物置から桐箱に収められた掛軸が何本も見つかり、ご家族で確認してみたものの、達筆な文字が並んでいるため、誰の書なのか、どのような意味が書かれているのか判断できなかったとのことでした。「父は『これは大切なものだから』と言っていましたが、詳しいことは何も聞いていないんです。処分する前に、一度専門の方に見てもらったほうがいいと思いまして。」
そうお話しくださったお客様は、お父様が大切にしていた掛軸がどのようなものなのか知りたいというお気持ちが強かったご様子でした。
実際に掛軸を一本ずつ拝見すると、禅僧の墨蹟や漢詩を書いた作品など、さまざまな掛軸がありました。その中の一本が、乃木希典による書でした。書かれている内容や署名、筆遣いなどを確認して、お客様へ乃木希典が明治時代を代表する軍人であり、現在でも歴史上の人物として広く知られていることを説明したところ、
「父が大切にしていた理由がようやく分かりました。私たちは誰の書なのか全く分からなかったので、教えていただけて安心しました。」と喜ばれていました。
今回は掛軸だけでなく、ご実家に残されていた骨董品についてもあわせて拝見させていただきました。すべての商品を丁寧に確認し、査定内容をお伝えしました。ご家族皆様にご納得いただき、無事に成約となりました。
遺品整理では、このように作者や由来が分からないまま保管されている掛軸が見つかることも少なくありません。しかし、作者が判明することで、ご家族にとって故人がどのような思いで大切にされていたのかを知るきっかけになります。私たちは、そのような掛軸の背景も大切にしながら、一点ずつ丁寧に拝見しております。
掛軸は、書家の作品だけが評価の対象になるわけではありません。歴史上の人物や軍人、政治家、僧侶などの書が残されていることも多く、評価される掛軸は数多くあります。また、作品そのものだけでなく、保存状態や箱の有無、由来なども大切な確認ポイントとなります。
次章では、今回の出張買取でも見つかった、明治時代を代表する軍人として知られる乃木希典について、人物像やその生涯、現在でも書が評価されている理由についてご紹介いたします。
乃木希典(のぎ まれすけ)は、1849年(嘉永2年)に江戸の長府藩邸で生まれた、明治時代を代表する陸軍軍人です。父は長府藩士で、幕末の動乱の中で成長しました。若い頃には学問を志し、松下村塾の創始者として知られる玉木文之進のもとで学んだ時期もあります。その後、第二次長州征討に参加し、明治維新後の1871年(明治4年)には陸軍少佐に任官しました。
明治維新後も、国内では士族の反乱が相次ぎ、乃木希典は萩の乱や西南戦争に従軍しました。西南戦争では歩兵第14連隊長心得として戦いましたが、戦闘の混乱の中で軍旗を失うという出来事を経験しています。乃木はこのことを長く自らの責任として受け止め、その後の生き方にも大きな影響を与えたとされています。
その後は軍人として昇進を重ね、1887年(明治20年)には川上操六らとともにドイツへ留学し、戦術や軍制について学びました。帰国後は軍の要職を歴任し、1894年(明治27年)に始まった日清戦争では歩兵第1旅団長として従軍します。旅順攻略などに参加した後、1896年(明治29年)には第3代台湾総督に就任し、軍務だけでなく行政にも携わりました。
1904年(明治37年)に日露戦争が始まると、乃木希典は陸軍大将に昇進し、第3軍司令官として旅順攻囲戦を指揮しました。旅順は強固な要塞であり、攻略までには長い時間と多くの犠牲を要しました。乃木自身も、長男の勝典と次男の保典をこの戦争で失っています。旅順陥落後には、ロシア軍のステッセル将軍と水師営で会見し、敗軍の将の名誉に配慮した対応でも知られています。
日露戦争後は軍事参議官を務め、1907年(明治40年)には明治天皇の意向を受けて学習院院長に就任しました。学習院では、皇族や華族の子弟を含む生徒たちの教育に携わり、質素な生活を送りながら、自ら行動で示す教育を重んじたといわれています。軍人としてだけでなく、教育者としての一面を持っていたことも、乃木希典という人物を理解するうえで欠かせません。
1912年(大正元年)7月30日に明治天皇が崩御し、同年9月13日に大喪の礼が行われました。その日、乃木希典は妻の静子とともに自刃しました。この出来事は当時の日本社会に大きな衝撃を与え、その後、乃木希典は軍人としての功績だけでなく、明治という時代を象徴する人物の一人として語られるようになります。
乃木希典は生前、漢詩や書にも親しみ、揮毫を求められる機会も多かったとされています。戦没者の慰霊碑や墓碑銘、知人に贈った書などが各地に残され、現在でも掛軸や額装作品として伝わっています。
次章では、乃木希典をはじめとする軍人や政治家の書が、なぜ現在でも評価の対象となるのか、掛軸を確認する際のポイントとあわせてご紹介いたします。
掛軸と聞くと、書家や禅僧が揮毫した作品を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、実際には歴史上の人物や軍人、政治家が残した書も数多く現存しており、骨董品や歴史資料として評価されています。
乃木希典もその一人で、生前は多くの人から揮毫を依頼され、漢詩や言葉を書いた掛軸、色紙、扁額などを数多く残しました。そのため、現在でも遺品整理やご実家の片付けの際に見つかることがあり、鑑定のご相談をいただくことがあります。
また、評価の対象となるのは掛軸だけではありません。乃木希典をはじめとする歴史上の人物が書いた手紙や書簡、はがきなどは、内容や宛先から、人物像や時代背景を知る手掛かりとなり、歴史資料として価値を評価されます。
軍人や政治家の書を拝見する際には、まず誰が書いたものなのかを確認します。署名や落款、書かれている内容、筆跡などを確認し、作品全体を総合的に判断します。また、共箱や識箱、作品の由来が分かる資料などが残されている場合には、査定の参考になりますので、一緒に確認の上、評価させていただきます。
一方で、「乃木希典の書だから必ず高く評価される」「歴史上の人物の作品だから価値が高い」というわけではありません。保存状態や表装の傷み、シミや折れの有無に加え、真筆であるかどうかも重要な確認ポイントです。歴史上の人物の書には複製や印刷による作品も存在するため、一つひとつ丁寧に確認する必要があるのです。
乃木希典以外にも、西郷隆盛や伊藤博文、東郷平八郎など、近代日本を代表する軍人や政治家の書が現在まで受け継がれています。
「誰が書いたものか分からない」「古い掛軸だから価値はないだろう」と判断して処分してしまうのはおすすめできません。ご家族も気付かなかった歴史上の人物の書や手紙が見つかることもあり、鑑定士が確認することで作者や資料的な価値が判明するケースもあるからです。
遺品整理やご実家の片付け、生前整理をきっかけに、掛軸についてのお問い合わせを多くいただきます。
「誰が書いたものなのか分からない。」
「古い掛軸だから価値はないと思う。」
「シミや傷みがあるので買取は難しいのではないか。」
こういって、ご自身の判断で処分してしまったというお話もよく聞きます。
掛軸は、一見すると無名に思える作品の中に、歴史上の人物や著名な書家、僧侶の書が含まれていることもあります。また、真筆であるかどうか、保存状態、表装、箱書や共箱の有無など、さまざまな要素を総合的に確認する必要があります。
さらに、掛軸とあわせて保管されていた手紙や書簡、色紙、短冊などの資料がある場合は、一緒に拝見させていただくことで、より正確な評価につながります。
買取専門店 くらや 松山店では、掛軸をはじめ、書画、骨董品、美術品、茶道具、陶磁器など幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。西予市をはじめ、愛媛県内各地への出張買取にも対応しておりますので、ご実家の片付けや遺品整理で掛軸や骨董品が見つかりましたら、お気軽にご相談ください。
今回ご紹介した乃木希典の掛軸のように、ご家族では作者や価値が分からない作品であっても、調べていくことで人物や時代背景が明らかになります。当店では、一点ずつ丁寧に拝見し、作品の背景も大切にしながら評価しております。掛軸の整理をご検討の際は、ぜひ買取専門店 くらや 松山店へご相談ください。