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2026.07.18
松山店

【東温市の出張買取】斎藤清とは?世界が評価した版画家の魅力をご紹介|買取専門店 くらや 松山店

3:56 pm

第1章|【東温市へ出張買取】斎藤清の版画をご相談いただきました

愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、版画をはじめ、日本画、洋画、掛軸、骨董品、美術品などの店頭買取・出張買取を行っております。東温市をはじめ、愛媛県内各地から、ご実家の整理や遺品整理、生前整理をきっかけに、美術品に関するご相談を数多くいただいております。

先日、東温市にお住まいのお客様より、「父が集めていた版画が何点かあるので、一度見に来てもらえませんか。」と、出張買取のご依頼をいただきました。

後日、ご都合を合わせてお客様のご自宅へお伺いし、作品を拝見させていただきました。

お話を伺うと、お父様は木版画がお好きで、百貨店で開催される美術展や作家の個展、地元の画廊へ足を運ぶことを楽しみにされていたそうです。気に入った作品と出会うたびに少しずつ購入され、長年大切に飾られていたとのことでした。

今回ご相談いただいた版画は10点近くあり、その中には畦地梅太郎や池田修三の木版画も含まれていました。版画を拝見すると、お父様がさまざまな版画家の作品を少しずつ収集されていたことが伝わってきました。その中で、特に目を引いたのが、日本を代表する版画家・斎藤清の木版画でした。

「父は斎藤清の作品が好きで、百貨店で開催された個展へ行った時に購入したと聞いています。以前は実家の玄関に飾っていましたが、父が亡くなってから実家を整理することになり、自宅へ持ち帰りました。しかし、マンションなので飾る場所がなく、このまましまっておくより、作品を大切にしてくださる方へ繋げられたらと思い相談しました。」

と、お客様がお話しくださいました。

作品を確認すると、額装の状態も良く、版画本体にも大きな傷みは見られませんでした。版画は作家名だけではなく、作品名や制作年代、エディション(限定番号)、サインの有無、保存状態など、さまざまな要素を総合的に確認することが重要です。一点ずつ丁寧に拝見し、現在の市場での評価についてもご説明させていただきました。お客様にもご納得いただき、無事にご成約となりました。

近年では、ご実家の整理や遺品整理をきっかけに、絵画や版画についてご相談いただく機会が増えています。作者や価値が分からない作品の中にも、美術市場で高く評価されている作家の作品が含まれていることがあります。

ご自宅に長年大切に保管されている絵画や版画がございましたら、処分を検討される前に、ぜひ買取専門店 くらや 松山店へご相談ください。

 

3:56 pm

第2章|世界に認められた版画家・斎藤清の歩み

斎藤清は、1907年(明治40年)、福島県河沼郡会津坂下町に生まれました。4歳の頃に家族とともに北海道夕張へ移り、その後は小樽などで生活します。幼い頃から絵を描くことが好きだった斎藤清は、学校を卒業した後、薬局への奉公や北海道ガスでの仕事を経て、看板店で働くようになりました。

看板制作の仕事では、文字の配置や配色、遠くから見ても伝わる構図などが求められます。この時期に身につけたデザイン感覚は、後に斎藤清の版画を特徴づける、大胆に整理された構図や色彩表現にもつながったと考えられています。

1929年(昭和4年)頃から、図画教師であった成田玉泉にデッサンや油彩画を学び、1931年(昭和6年)、24歳で上京しました。東京では宣伝広告の仕事に携わりながら、独学で油絵の制作を続けます。翌1932年には、油彩画の「高圓寺風景」が白日会展に初入選。その後も東光会展や国画会展などへの出品を重ね、当初は油彩画家として活動していました。

斎藤清が本格的に木版画へ進むきっかけとなったのは、1936年(昭和11年)、29歳の時に目にした洋画家・安井曽太郎の木版画でした。その作品に強く刺激を受け、ほぼ独学で木版画の制作を始めます。同年には日本版画協会展へ出品して初入選し、翌1937年には国画会展の版画部門にも初入選しました。油彩画から版画へと表現の中心を移した斎藤清は、木版の木目やかすれを生かしながら、形を大胆に単純化した独自の作風を築いていきます。

1940年(昭和15年)には、後に斎藤清を象徴する題材となる「会津の冬」の制作をはじめました。1942年には東京・銀座の鳩居堂で初めての版画個展を開催し、故郷である会津の雪景色などを描いた作品が注目を集めます。1944年からは朝日新聞社に勤務し、文字やカットの仕事を手掛けながら版画制作を続けました。

戦後、斎藤清の評価を大きく高めたのが、1949年(昭和24年)に開催された第1回サロン・ド・プランタン展でした。出品作「ミルク」が1等賞を受賞し、海外でも作品が紹介されるようになります。

さらに1951年(昭和26年)、ブラジルで開催された第1回サンパウロ・ビエンナーレに「凝視(花)」を出品し、サンパウロ日本人賞を受賞しました。この受賞は、戦後の日本人作家による国際展での重要な成果となり、斎藤清の名が広く海外へ知られるきっかけとなりました。当時は日本国内よりも先にアメリカなど海外で評価が高まり、その評価が日本へ伝わる形で国内での知名度も上昇していきます。

1954年には朝日新聞社を退社し、版画制作に専念。1956年にはアメリカ国務省などの招きで渡米し、各地で個展や木版画の実技指導を行いました。翌1957年には、第2回リュブリアナ国際版画ビエンナーレやアジア・アフリカ諸国国際美術展でも受賞しています。その後もアメリカ、メキシコ、フランス、オーストラリア、タヒチ、インドなどを訪れ、各地で見た風景や建築物を斎藤清独自の感覚で作品にしました。

1970年(昭和45年)には神奈川県鎌倉市へ移り、同年、連作「会津の冬」の最初の20点を発表しました。1987年(昭和62年)、80歳の時に鎌倉を離れ、福島県柳津町へ移住。晩年は再び会津の自然と向き合いながら制作を続けました。

国内外での長年の活動が評価され、1981年には勲四等瑞宝章を受章し、1995年には文化功労者に選ばれています。1997年(平成9年)1114日、90歳で生涯を閉じました。同年には柳津町に、斎藤清の作品を専門に収蔵・展示する「やないづ町立斎藤清美術館」が開館しています。

看板制作で培った構成力、日本の木版画が持つ素材感、そして西洋美術の近代的な造形感覚を融合させた斎藤清の作品は、現在も国内外で高く評価されています。次章では、その長い画業の中から生まれた代表作や、人気の高いシリーズについて詳しくご紹介します。

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第3章|斎藤清を代表する作品・人気シリーズをご紹介

斎藤清は、生涯を通じて1,400点を超える版画作品を制作したといわれています。その作品は故郷・会津の風景だけではなく、鎌倉や京都、海外の街並み、花や猫など幅広い題材に及びます。

その中でも、現在も高い人気を誇る代表作やシリーズをご紹介いたします。

 

「会津の冬」シリーズ

斎藤清を代表する作品として最も知られているのが、「会津の冬」シリーズです。

1940年頃から制作が始まり、1970年以降には連作として本格的に発表され、晩年まで描き続けられました。全115点にも及ぶこのシリーズは、まさに斎藤清のライフワークといえる作品群です。

雪深い会津地方の古民家や寺院、山村の風景を題材にした作品は、白い雪と力強い黒のコントラストが印象的です。一見すると静かな雪景色ですが、軒先に干された洗濯物や人影、家々の佇まいからは、その土地で暮らす人々の温もりや生活の息遣いまで感じられます。

現在でも「会津の冬」は斎藤清作品の中で最も人気が高く、美術館でも代表作として紹介されています。

 

「門」・「鎌倉」シリーズ

1970年に鎌倉へ移り住んだ斎藤清は、寺院や山門を題材にした作品を数多く制作しました。

建長寺や円覚寺をはじめとする歴史ある寺院の門を大胆な構図で描き、木版画ならではの陰影や質感を巧みに表現しています。

建物そのものを写実的に描くのではなく、形を整理し、余白を生かした画面構成によって、日本建築の静けさや精神性を感じさせる作品へと仕上げていることが、このシリーズの大きな魅力です。

 

「京都」・「奈良」シリーズ

日本の古都を題材とした作品も、斎藤清の人気シリーズの一つです。

京都では清水寺や南禅寺、桂離宮などの歴史ある建築物を、奈良では古寺や仏像など、日本文化を象徴する題材を数多く描いています。

歴史ある街並みや寺社仏閣を独自のデザイン感覚で表現した作品は、日本人はもちろん、海外の美術愛好家からも高く評価されています。

 

「猫」シリーズ

斎藤清は会津の風景だけでなく、猫を題材にした作品も数多く残しています。丸みのある体つきや鋭い眼差しを大胆な構図で表現した猫の版画は、現在でも高い人気を誇ります。インテリアとして飾られることも多く、美術愛好家だけでなく幅広い世代から支持されています。

 

「凝視」シリーズ

斎藤清作品の中でも印象的なのが、「凝視(ぎょうし)」シリーズです。

花や人物、そして猫などを題材に、「見つめる」というテーマを表現した作品群で、鋭い視線と大胆な構図が特徴です。

特に「凝視(猫)」は現在でも非常に人気が高い代表作の一つです。愛らしさだけではなく、猫の存在感や生命力まで表現した作品として、多くのファンを魅了しています。

 

海外を描いた作品

斎藤清は海外を訪れた際にも、現地の風景を数多く作品として残しています。

メキシコやパリ、タヒチ、ニューヨークなど、それぞれの街並みや人々の暮らしを独自の感性で描き、日本の風景とは異なる魅力を表現しました。

どの作品にも共通しているのは、対象を細かく描き込むのではなく、形を大胆に整理し、木版画ならではの質感や色彩を生かした斎藤清独自の世界観です。

このように、斎藤清の作品はシリーズごとに異なる魅力を持っています。そのため、同じ斎藤清の版画でも、作品名やシリーズ、制作年代、サイズ、エディション、保存状態によって評価は大きく異なります。

ご自宅に保管されている版画の価値が分からない場合は、作品を一つひとつ丁寧に見極めることのできる専門店へ相談することが大切です。

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第4章|斎藤清の版画のご売却は買取専門店 くらや 松山店へご相談ください

本記事では、東温市のお客様よりご相談いただいた斎藤清の版画の買取エピソードをはじめ、版画家としての歩みや代表作・人気シリーズについてご紹介しました。

斎藤清は、日本の創作版画を代表する作家として国内外で高い評価を受けており、現在でも多くの美術愛好家やコレクターから支持されています。そのため、現在でも市場で高く評価されているものが少なくありません。

一方で、版画は同じ作家の作品であっても、作品名やシリーズ、制作年代、エディションナンバー、サインの有無、保存状態などによって評価が大きく異なります。また、購入時の保証書や作品証明書、黄袋や差し箱などの付属品が残っている場合には、鑑定の際の参考となりますので、作品と一緒にお持ちください。

「父や母が大切にしていた版画なので価値が分からない。」
「百貨店で購入した作品があるけれど、現在の評価を知りたい。」
「飾る機会がなくなり、長年しまったままになっている。」

このような版画がございましたら、処分される前に一度ご相談ください。

買取専門店 くらや 松山店では、木版画をはじめ、リトグラフ、シルクスクリーン、銅版画等、さまざまな版画作品の店頭買取・出張買取を行っております。作品一点からのご相談はもちろん、絵画や掛軸、美術品をまとめて整理したい場合も、一点ずつ丁寧に拝見し、それぞれの価値を見極めます。

東温市をはじめ、愛媛県内はもちろん、四国地方を中心に出張買取にも対応しております。版画や美術品の整理をご検討の際は、ぜひ買取専門店 くらや 松山店へお気軽にご相談ください。

骨董品・美術品、遺品整理の高価買取なら買取専門店の
【KURAYA】松山店へご相談ください。

買取専門店 くらや 松山店
電話089-950-4334
営業時間10:00~19:00
住所愛媛県松山市天山1丁目13-5 イオンスタイル松山3階
アクセス 伊予鉄道横河原線 いよ立花駅より徒歩7分

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