
ご実家の片付けや遺品整理を進める中で、「長年飾っていた絵画を整理したい」「作者が分からない日本画があるので見てほしい」といったお問い合わせをいただきます。絵画は、百貨店の美術展や画廊で購入された作品、ご親族から受け継いだ作品などさまざまで、ご家族には価値や作者が分からないまま保管されていることも少なくありません。
愛媛県松山市のイオンスタイル松山3階にある買取専門店 くらや 松山店では、日本画や洋画、版画をはじめ、掛軸、骨董品、美術品、陶磁器、茶道具など、幅広いジャンルの店頭買取・出張買取を行っております。砥部町をはじめ、愛媛県内各地からも、美術品に関するさまざまなご相談をいただいております。
今回ご紹介するのは、砥部町にお住まいのお客様からいただいた、遺品整理に伴う出張買取のご相談です。
お客様からは、
「祖母が亡くなり、実家の片付けを進めています。応接間に飾ってある日本画が何点かあるのですが、私たちでは作者も価値も分かりません。一度見に来ていただけますか。」
とのお問い合わせをいただきました。
後日、ご自宅へお伺いすると、応接間には長年飾られていた日本画が数点あり、その中の一枚に目が留まりました。雪景色の中に古寺を描いた落ち着いた作品で、額の裏面には作者名が記載されたシールが貼られていました。シールには「雪景大和・純男」と記されており、作者が日本画家・後藤純男であることが分かりました。
今回は、日本各地の古寺や日本の風景を数多く描いた日本画家・後藤純男についてご紹介していきます。
後藤純男(ごとう すみお)は、昭和から平成にかけて活躍した日本画家です。日本各地の古寺や四季の風景、北海道の厳しい自然、中国の雄大な山河などを題材に、重厚でスケールのある作品を数多く残しました。
1930年、後藤純男は千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬、現在の野田市にある真言宗の寺院に生まれました。父親が真言宗の住職であったことから、幼い頃より仏教が身近にある環境で育ち、中学生の頃には僧侶になるための修行も始めています。一方で、幼少期から絵を描くことが好きで、次第に画家への道を志すようになります。
学校を卒業した後は東京美術学校、現在の東京藝術大学への進学を目指しましたが、二度の受験はいずれもかなわず、その後、日本画家の山本丘人に師事して本格的に絵を学び始めます。1949年には山本丘人の紹介によって、日本美術院同人であった田中青坪にも師事しました。東京藝術大学を卒業した画家ではありませんが、後年には同大学美術学部の教授を務め、長年にわたり後進の指導にも携わっています。
後藤純男は、埼玉県や千葉県の小学校・中学校で教員として働きながら制作を続け、1952年、再興第37回院展に出品した「風景」で初入選を果たしました。この入選を機に教員生活を終え、画家として生きていくことを決意します。当時は身近な田園や農村を題材にした作品を描いていましたが、1950年代半ばからは関西や四国にある真言宗の寺院を巡り、現地でスケッチを重ねるようになりました。仏門に生まれ育った経験は、その後、古寺を重要な題材として描き続けることにもつながったと考えられます。
1960年頃からは北海道各地を訪れ、層雲峡を中心とする渓谷や滝、切り立った岩壁などを取材しました。色数を抑えながら、岩肌や樹木、流れ落ちる水を力強く描いた作品には、北海道の自然が持つ厳しさや静けさが表されています。1965年には「寂韻」、1969年には「淙想」で日本美術院賞・大観賞を受賞し、1974年には日本美術院同人に推挙されました。さらに、1976年には「仲秋」で文部大臣賞、1986年には「江南水路の朝」で内閣総理大臣賞を受賞するなど、院展を中心に高い評価を受けています。
後藤純男を代表する題材の一つが、奈良や京都にある古寺の風景です。法隆寺や室生寺をはじめ、長い歴史を持つ寺院を春の桜、秋の紅葉、冬の雪などとともに描き、建物そのものだけでなく、その場所に積み重ねられてきた年月や静かな空気まで作品に表しました。特に雪に包まれた大和の古寺は、後藤純男が晩年まで繰り返し描いた題材として知られています。
また、1979年に初めて中国を訪れてからは、毎年のように中国各地へスケッチ旅行に出かけました。江南地方の水郷や農村、桂林の山々、歴史的な建築などを描き、日本の古寺とは異なる広大な風景にも制作の幅を広げていきます。1988年には高野山東京別院へ「高野山の四季」、1993年には奈良の長谷寺へ「夏冬山水」、1999年には高幡不動尊金剛寺へ「桂林山水朝陽夕粧」の襖絵を奉納しました。
後藤純男の作品は、岩絵具を幾重にも塗り重ねた重厚な画面と、細部まで丁寧に描き込まれた風景が特徴です。実際の風景をそのまま写すのではなく、何度も現地へ足を運んで描いたスケッチをもとに構成し、雪や霧、光、夕暮れなどによって変化する風景の表情を一つの作品にまとめています。
1997年には、北海道上富良野町に後藤純男美術館を開設しました。2016年に、院展に出品した「大和の雪」により恩賜賞・日本芸術院賞を受賞し、同年10月、86歳で亡くなりました。現在でも、後藤純男の作品は百貨店の個展や画廊で購入されたものが一般のご家庭にも数多く残されています。そのため、遺品整理やご実家の片付けをきっかけにご相談いただく機会も多く、日本画の買取市場でも評価の高い作家の一人です。
今回ご相談いただいたのは、おばあ様が長年大切にされていた日本画です。お客様によると、以前から応接間に飾られていたそうですが、いつ、どこで購入したものなのかまでは分からず、ご家族の中にも詳しい方はいらっしゃらないとのことでした。
「祖母が絵を見るのが好きで、家には何点か飾っていました。これは昔から応接間にあったものですが、私たちには作者も分からないので、今回の片付けを機に見てもらおうと思いました。」
とのことでした。
額装された作品を確認すると、雪に包まれた古寺が描かれており、静かな冬の風景が落ち着いた色調で表されていました。額の裏面には共シールが貼られていました。「雪景大和・純男」と書かれていて、作者が後藤純男であることが分かりました。また、作品を収めるタトウ箱も残されており、おばあ様が大切にされてきたことがうかがえました。
後藤純男は、奈良や京都の古寺、北海道の自然、中国の山河などを数多く描いた日本画家です。その中でも、雪景色の中に寺院を配した作品は、後藤純男らしさがよく表れた題材の一つとして知られています。今回の作品も、大和の古寺を雪景色とともに描いたもので、後藤純男を代表する題材の作品であることがわかりました。
お客様に作品についてお尋ねすると、おばあ様はこの絵を特に気に入っていたようで、季節によって絵を掛け替えるときも、この雪景色の作品だけはそのまま飾られていたそうです。
日本画を確認する際は、作者だけでなく、描かれている題材、作品の大きさ、制作年代、保存状態、額装の状態などを総合的に見ていきます。長期間飾られていた作品では、日焼けや色あせ、湿気によるシミ、絵具の剥落などが見られることもあります。
今回の作品は、応接間に長く飾られていましたが、作品には大きな傷みは見られず、額装も比較的きれいな状態でした。画題も後藤純男の代表する画題であることや、共シールやタトウ箱も残されており、それらも確認したうえで査定を進めました。
査定内容をご説明すると、お客様は、
「祖母が残したものなので、どのような絵なのか分かってよかったです。片付けの途中で処分せず、見てもらって正解でした。」
と安心されたご様子でした。
その後、応接間や和室に飾られていたほかの絵画や掛軸についても順番に拝見し、それぞれ作者や状態についてご説明しました。ご家族で相談された結果、今回は後藤純男の日本画を含む数点をお売りいただきました。
日本画は、作者だけでなく、作品の題材や制作年代、大きさ、保存状態、付属品の有無など、さまざまな要素を総合的に確認しながら評価を行います。同じ作家の作品であっても、描かれている題材やシリーズによって評価が異なります。その作家の代表的な画題であれば、高い評価が期待できます。また、共シールやタトウ箱などが残されている場合は、作品の評価や真贋などを確認するうえでの、重要なポイントとなります。
今回ご相談いただいた後藤純男の日本画も、長年応接間に飾られていた作品でしたが、保存状態が良く、共シールやタトウ箱も残されていました。こうした付属品や作品の状態を一つひとつ確認し、総合的に評価させていただきました。
ご実家の片付けや遺品整理では、「作者が分からない」「古い絵だから価値はないと思う」「飾ったままなので傷んでいるかもしれない」と思われている作品の中に、美術市場で評価されている作家の作品が含まれていることも少なくありません。また、日本画だけでなく、洋画、版画、掛軸、陶磁器、茶道具、骨董品などが一緒に残されていることも多いと思います。そんなときには、まとめてご相談いただくことをおすすめします。
買取専門店 くらや 松山店では、後藤純男をはじめとする日本画のほか、東山魁夷、平山郁夫、片岡球子、加山又造、中島千波、千住博など、さまざまな日本画作品のご相談を承っております。店頭買取はもちろん、砥部町をはじめ愛媛県内各地への出張買取にも対応しておりますので、ご実家の片付けや遺品整理、生前整理で日本画や美術品の整理をご検討の際は、お気軽に買取専門店 くらや 松山店までご相談ください。