店舗ブログ
今治店
2022/03/30

愛媛県今治市 ガラス工芸品の買取|ドーム ラリック|華麗な装飾時代を彩った巨匠たち

1:50 am

はじめに

こんにちは。西洋アンティークやガラス工芸品の買取を行っている買取専門店『くらや今治店』です。愛媛県でドームやラリックなどが手掛けたガラス製品の買取を希望される方は、一度『くらや今治店』で査定をしてみませんか?

 

今回は、フランスを代表するガラス工芸家〈ドーム兄弟〉と〈ルネ・ラリック〉についてのお話です。前回登場したガレをはじめ、ドームやラリックの作品は買取市場において大変人気のあるアイテム。今でも世界中にコレクターが存在し、高価買取も期待できます。

 

彼らが活躍したアール・ヌーヴォー、アール・デコ全盛期は一体どんな時代だったのか、ドームやラリックが手掛けた作品はなぜこんなにも世界中の人々を魅了するのか、歴史を紐解きながら探っていきましょう。

アール・ヌーヴォーとアール・デコ

アール・デコは、1910年代から1930年代にかけてヨーロッパ及びアメリカを中心に流行した装飾様式です。幾何学図形をモチーフにした直線的で合理的なデザイン、原色による対比表現が最大の持ち味と言えます。

 

アール・デコという名前の由来は、1925年にパリで開かれた現代装飾・工業美術国際展の略称〈Les Arts Decos〉から来ているのだとか。別称として〈1925年様式〉とも呼ばれます。

 

アール・ヌーヴォーで注目された美しい装飾の多い手作りの製品は、一般庶民にとってなかなか手に入れることができない高価なものでした。そこで機能的且つシンプルな製品を求める声が高まり、コストを抑えた機械による量産スタイルが再度見直されることに。

 

機械でも再現できるシンプルなデザイン、これがアール・デコの最たる特色。曲線や装飾を多用したアールヌーボーとは異なり、アール・デコは直線的で現実的なデザインが多く見られます。

ドーム兄弟

ドーム兄弟は、アール・ヌーヴォー期に活躍したフランスのガラス工芸家です。兄はオーギュスト(Auguste Daum)弟はアントナン(Antonin Daum)という名で、二人揃って〈ドーム兄弟〉と呼ばれています。

 

ガレ同様、植物を主題にしたものが多くあるドームの作品。様式こそ似ていますが、哲学的なインパクトを与えるガレに対し、ドーム兄弟の作品からはノスタルジックな絵画を鑑賞しているかの様な印象を受けます。

 

ドームの作品には、色ガラスの粉をまぶしつける〈ヴィトリフィカシオン〉という技法が多く用いられていることも特徴的。ガラスの肌に様々な色を発色させ、絶妙なニュアンスを作り出すことができる技法です。

 

ドームが描く写実的で静かな図柄は、さながら一枚の風景画。仕上げの丁寧さにも定評があり、塩入れのような小さな日用品にも繊細な絵付けが施されています。

ドームの歴史

兄オーギュストと弟アントナンが生まれたのは、フランスのロレーヌ地方ビチュ。普仏戦争に勝利したドイツ帝国の支配から逃れるべく、ドーム家はナンシー地方へ移住しました。

 

ガラスの産地として知られるナンシーには、この当時から幾つものガラス工房があったそうです。その中のひとつ〈ヴェルリー・サント・カトリーヌ〉をドーム兄弟の父(ジャン・ドーム)が買収したことを機に、ドーム家のガラス製造の歴史がスタートします。

 

当初は食器や花瓶などの日用的なガラス製品を製造していましたが、ガラス職人としては素人同然だった父ジャンの経営は振るわず。後に大学で法律を学んだオーギュストを経営に招きましたが、経営は軌道に乗ることのないままジャンは他界しました。

 

ジャンの死後、兄オーギュストは弟アントナンを工房に迎え、工房経営はドーム兄弟によって引き継がれることに。主にテーブルウェアなどの日用品を製造していた二人に転機が訪れたのは、1889年パリ万博でのことでした。

 

同じナンシー出身のエミール・ガレによる、芸術性豊かなガラス製品を初めて目の当たりにしたドーム兄弟は、美術工芸品としてのガラス作りを開始します。ガレに感化された二人の才能はたちまち開花し、1894年にナンシー装飾美術展・リヨン博覧会で金賞を受賞するに至ったのです。

 

ドーム兄弟は優秀な装飾画家やガラス職人を登用し、先にも登場したヴィクトリフィカシオンなど独自の装飾技法も開発します。こうしてドーム兄弟は、エミール・ガレと肩を並べるガラス工芸家としてその名を世に知らしめていったのです。

 

1900年のパリ万博では大賞を受賞。翌年には、エミール・ガレが発起人となって結成されたナンシー派の副会長に弟アントナンが推されるなど、ドーム兄弟は故郷ナンシーの産業発展にも貢献しています。

 

兄オーギュストがこの世を去ったのは、1909年のこと。弟アントナンが他界したのは1930年のことでした。アール・ヌーヴォーの巨匠、エミール・ガレと共に異彩を放ったドーム兄弟。ふたりの死後もその意志は受け継がれ、現在では高級クリスタルメーカーとしてナンシーの地で操業が続けられています。

ルネ・ラリック

1:50 am

ルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代に渡って活躍したガラス工芸家です。アール・ヌーヴォー全盛期には宝飾職人として名声を博し、アール・デコ期にはガラス職人として類い稀なる才能を発揮しました。

 

ラリックのガラス工芸品には繊細で複雑な模様が施されており、作品を目にした人からは「まるで彫刻のようだ」と称されるほど。そんなラリックがガラス制作に身を投じたのは、なんと50歳を超えてからのことでした。

 

ラリックは、作品のテーマとして〈女性の美と自然の美〉を掲げていました。動植物や昆虫をはじめ、エジプトの神像、ギリシャ神話の女神などといったモチーフが多いのも特徴です。宝飾職人だった時代にも、そしてガラス職人となった後も生涯このテーマは一貫されています。

ラリックの歴史

ルネ・ラリック(Rene Lalique)が誕生したのは1860年。フランス・シャンパーニュ地方マルヌ県アイという小さな村で生まれました。ラリックが2歳の頃に家族でパリへ移住しましたが、バカンスのたびにこの村を訪れては豊かな自然の風景をスケッチしていたそうです。

 

1876年、ラリックが16歳の時に父親を亡くします。その後、母親からの助言を受け宝飾デザイナーへ弟子入り。ラリックの師となったのは、当時パリで一流の宝飾職人と言われていたルイ・オーコックでした。

 

オーコックの下で働きながら夜はパリの装飾美術学校で学んだラリックは、1878年から2年間イギリスのサイデナム・カレッジへ留学。金細工や装飾などの技術を身に付け、着々と宝飾職人への道を歩み続けます。

 

パリのヴァンドーム広場にアトリエを構えたのは、1885年のこと。カルティエやブシュロンなどといった名だたる宝飾店へ作品を提供し、フランスの有名舞台女優を顧客に持つなど、ラリックの制作活動は軌道に乗っていきました。

 

最高の宝飾職人として名を馳せたラリックでしたが、ある出来事がきっかけで大きな転機を迎えることに。ラリックのアトリエの近くに店を構えていた香水商フランソワ・コティから「共に仕事をしないか」と誘われ、この頃からガラス工芸に力を入れるようになりました。

 

当初ラリックが任されていたのは、香水瓶に貼るラベルのデザイン。ところが、「香水瓶も作らせてほしい」とラリックの方から新たに提案を持ち掛け、香水瓶を製作することになりました。この時に誕生したのが香水瓶〈シクラメン〉です。

 

パリのコーム・ラ・ヴィルにガラス工場を構え、本格的にガラス職人としての道を歩み始めたラリックでしたが、1912年以降は一切宝飾に手を付けなくなります。シンプルなラインを強調するファッションの流行を受け、かつては女性たちの憧れだった豪華なラリックの宝飾品が時代に合わなくなったことがその理由です。

 

ガラス工芸家へと転身したラリックの才能はみるみる開花し、香水瓶や花瓶からテーブルウェアなどといった日用品まで様々に手がけます。1925年の現代装飾美術・産業美術展では、パリ市の依頼でガラス製の噴水を制作。このほかにも、豪華客船やオリエント急行の客車、レストラン、ホテル、邸宅などのインテリア・装飾などに携わり、幅広い分野で活躍を続けました。

 

日本でラリックの作品が見られるのは、東京都庭園美術館。国の重要文化財に指定されているこの美術館では、ラリックが手掛けたガラス扉やシャンデリアを見ることが出来ます。

 

ガラスは、どんな形をも創り出すことのできる無限の可能性を秘めたもの。時代の流れに合わせガラスのように変幻自在に進化し続けたラリックの作品は、今もなお世界中で愛されています。

西洋アンティークの買取

アール・ヌーヴォーの中心的な存在であったドーム兄弟。そして宝飾作家からガラス工芸家へと転身した、アール・デコを代表する作家ルネ・ラリック。彼らが生み出した作品に魅了され収集しているコレクターは、現在もごまんと存在します。

 

アール・ヌーヴォーやアール・デコのガラス工芸品は、買取市場において非常に人気のあるアイテム。高価買取も期待できますので、捨ててしまう前に一度査定してみませんか?作家名やブランド名が不明な場合でも、『くらや今治店』の鑑定士がしっかりとその価値を見極めます。

 

骨董品の正しい価値は、一見して分かりにくいものです。とりわけ西洋アンティークに関しては、専門の知識を持った鑑定士もそう多くは存在しません。「実家の片付けをしていたら、古そうなガラス工芸品を見つけた」「亡くなった母が好きで集めていたものだから、捨てるのは気が引けて…」など、処分にお困りの西洋アンティークがありましたら『くらや今治店』へ是非ご相談ください。

 

「壊してしまいそうで、なかなか外へ持っていけない」「量がたくさんあって運ぶのが大変」とお悩みのお客様は、当店の出張買取をご利用ください。査定・相談・出張費用は全て無料です。

 

皆様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

↓↓ くらや 今治店はこちらです ↓↓

 

愛媛県今治市で西洋アンティークやガラス工芸品など、骨董品の高価買取

今治市周辺の出張査定、出張買取も対応いたします!!

 

〈対応エリア〉
今治市、越智郡上島町、大島、伯方島、大三島、生口島、因島、弓削島、広島県尾道市、広島県三原市

 

などにお住いのお客様は出張買取も対応しています!!

 

店舗:くらや 今治店

住所:愛媛県今治市馬越町4-8-1 イオン今治店 1F

電話:0898-78-1188

営業時間:10:00~19:00

定休日:なし

一覧に戻る

この店舗別買取ブログ

片づけ始める前にご相談ください

賢い遺品整理・蔵整理

眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。

遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。

さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。

  • KURAYAにご相談ください

    • どのように物が売れるのか知りたい
    • 骨董品などの遺品整理に困っている

    買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。

    買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。

査定・買取依頼する
簡易WEB査定