須田寿(すだひさし)
須田寿(本名:門井寿)は1906年5月に
東京で生まれました。
1913年に精華小学校に入り、在学中から
日本画家で遠い親戚であり、日本美術院の
再興にも関わった下村観山のアトリエに
足を運び続けます。
その後、成蹊中学校へ進学し、18歳で卒業。
川端画学校への入学を経て
1926年に東京美術学校西洋画科へ入ると、
小説『当世書生気質』の挿絵で知られている
長原孝太郎に学びました。
また在学中には
1930年に第11回帝国美術院展覧会において
出品した『裸婦』が初入選となり、
その次の年に親戚である須田家の養子となっています。
以降も帝国美術院展覧会への出品は行い
第12回に東京美術学校の卒業制作として行った
『髪』が入選。
翌々年の『三人』や1934年第15回での
『庭園小景』などもあります。
29歳に立陣社の活動意図に共感し第2回展において
『秋日』を出展。
また1940年には創元会の第1回目展覧会から
出品を行うなど創元会会員となりますが後に退会。
その後40代になると画集『新いばらき八景』や
『水戸八景』などが知られている榎戸庄衛や、
自然を清らかな作風で描いた山下大五郎。
自然を骨太な写実性溢れる作風で描いた
円城寺昇などと共に立軌会を結成しました。
これらの功績が評価され、1965年には
武蔵野美術大学造形学部教授を任せられています。
そして2005年1月、100歳を手前にして
息を引き取りました。
変わる作風
須田寿は立陣社への出品を境目に、
それまで集団の人物の描写を穏やかに描いていた作風を
デフォルメなど新しい描写を積極的に
使用したものへとしていきます。
また立軌会設立以降はキュビスムを大きく取り入れ
全体的に写実性のあるものから
内面性を重視した作風に様変わりします。
色数を敢えて絞り、黒い色彩感覚と
重厚なマチエールである点も、
氏の作風の変化を語るには欠かせないものです。
■描くテーマ変化
須田寿は自然の中に馬や鳩がいる作品が
良く知られていますが、描くテーマも変化しています。
1954年にヨーロッパ地方に渡り、そこでの文化や
日常生活に感銘を受け、日本に帰った後は
それらの光景をモチーフに作品を描いていきます。
そして1963年には北九州の古墳を見たことにより
古墳を題材にした作品も、発表しました。
関連用語の細かい解説
■立陣社
1936年6月に、川端実や石川滋彦と言った
旧帝国美術院展覧会出身の洋画家11名によって結成。
斬新な作風を取り入れる目的で知られています。
■マチエール
作品の質感の事です。
画材の材質や塗り方による違いなどを指します。
須田寿の作風とテーマについて
須田寿は作風を変えてきた頃、1937年の
文部省美術展覧会においては落選をしています。
しかしそれでも作風の変化を辞めなかった所には
須田寿の意志の強さが感じられます。
また描くテーマの多さの事から、須田寿は
興味の尽きない性格だったのもしれません。
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