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骨董品
2019/10/03

戸張孤雁【彫刻家】

戸張孤雁(とばりこがん)

 

戸張孤雁(本名:亀吉)18822月に

 

東京都日本橋で生まれました。

 

小学校卒業後に一時は銀行員となりますが、

 

17歳から英語を学び始め、2年後にはアメリカに渡り

 

ナショナル・アカデミーに入学しています。

 

ここでは素描や油絵、挿絵の技術を習得すると共に

 

キリスト教求道者でもあり、生命力に溢れた作風で

 

近代彫刻を代表する存在となる

 

荻原守衛と知り合いました。

 

また荻原守衛と出会ったことがきっかけで

 

彫刻に関心を持ち、1906年に帰国すると

 

挿絵などを手掛けつつも、

 

太平洋画会研究所彫塑部へと入っています。

 

やがて30代半ばの頃には

 

日本美術院彫刻部の同人となり、1919年には

 

美術文芸雑誌「方寸」を出したことで知られている

 

洋画家の山本鼎。

 

浮世絵の研究家としても活動した織田一磨。

 

「房州の海」や「安房開拓神話」が知られている

 

寺崎武男と言った、洋画家の面々と共に

 

日本創作版画協会を設立しました。

 

その後1946年、45歳でこの世を去っています。

 

 

 

作風

 

彫刻家としての戸張孤雁は、荻原守衛が影響を受けた

 

オーギュスト・ロダンの作風が感じられる

 

と言われています。

 

荻原守衛は彫刻にも必要な人体デッサンについて

 

集中的に学び、量塊の高い生命力が漲る作風として

 

その努力が作品に現れています。

 

一方のオーギュスト・ロダンは、今までの彫刻が

 

モデルとなった人を正確に表現することが

 

当たり前だったのに対して、

 

そのモデルの内面性を代言すると言った手法で

 

作品作りを行ってきました。

 

これらの作品の特徴を併せ持つ戸張孤雁の彫刻作品は

 

高い量塊と繊細な表現を両立させています。

 

なお代表作には1910年の第4回文部省美術展覧会に出し

 

入選となった『をなご』。1911年発表の『立てる女』。

 

1917発表の『曇り』などがあります。

 

 

 

■太平洋画会研究所

 

1902年に第一回展覧会を開催し、

 

後期印象派とも分類される満谷国四郎。

 

狩野派やジャン=ポール=ローランスの

 

考えを受け継ぐ中村不折。

 

叙情性が感じられ、また新古典的とも呼ばれる

 

新海竹太郎などか中心となって結成されました。

 

なお太平洋画会研究所には

 

元明治美術会のメンバーなどが主に集まっています。

 

 

 

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