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掛け軸・絵画
2020/07/16

小川芋銭【日本画家/東京都・茨城県/河童】

小川芋銭(おがわうせん)

小川芋銭は1868年2月に江戸で生まれました。なお幼名としては不動太郎や茂吉があります。また父は牛久藩の重臣だったのですが、廃藩置県に伴い江戸から茨城県牛久村に移りました。その後小川芋銭は1880年に小学校を卒業すると、その時期辺りに上京し、本多錦吉郎が開く画学専門校の彰技堂にて洋画を習います。そして1885年に彰技堂の全科を修了しました。

1893年には故郷に帰り廃藩置県後の家業となっていた農業を務めながらも、社会民主党を立ち上げた幸徳秋水の創った「平民新聞」や茨城県の新聞「いはらき」。雑誌「文芸界」などで農民がテーマの風刺漫画や挿絵を発表していきます。やがて1915年に平福百穂や川端龍子達に誘われたのを契機に珊瑚会を立ち上げたり、日本画を描くようになっていきました。1917年には珊瑚会展内で発表した『肉案』が横山大観が認可されたこともあって日本美術院の同人となり、以後は院展にて南画の主観主義に着目した新南画の持ち味がある作品を展開するようになります。1935年に新帝国美術院展の参与に推薦となりますが、その次の年には辞退。

そして1938年12月、70歳の時に息を引き取りました。

 

 

小川芋銭の作品の特徴は?

自然豊かな農村を題目とした俳画的な絵を多く発表しています。また『河童の芋銭』と呼ばれるほど河童を描いた絵も数多く、それらは淡彩画や水墨画によって、詩的でありファンタジー性の高い内容となっています。

 

 

小川芋銭はどのように評価されているのか?

小川芋銭はその一生をほとんど牛久村にて過ごし、農業をしながらも作品発表をしている所が注目されています。また俳画や書道に随筆と、様々な種類の作品を描いているのですが、“芋銭”の号は、自身を支えてくれる妻の存在の影響もあり、自分の制作した作品が芋に変えられるほどの物になるように、と言う気持ちが込められているといわれています。

なお農民を題材にした挿絵や風刺漫画。田園風景の作品群は農業を営んでいたことが経験として活かされているのが容易に想像できますが、神経衰弱によって幻覚が発生し様々な伝説上の生き物や存在が現れていたようです。

 

■他の代表作

 

1923年再興第1回院展にて発表された『水魅戯』(茨城県立近代美術館が所蔵)。1921年『若葉に蒸さるる木精』(愛知県美術館が所蔵)などがあります。

 

 

各ワード紹介

■主観主義と南画

客観性は考慮せずに自身の感じたものを忠実とする主義のことです。また南画とは中国から入ってきた、華北地方の厳しい自然を描いた南宗画が元になっています。とは言え厳密には風景画ではなく、高度な精神性と知識が求められる山水画に位置し、南宗画を真似た日本人画家はその精神性にも着目しました。

 

■風刺漫画

現実を皮肉った漫画となりますが現代でもよく描かれているものの一つです。

小川芋銭の性格は優しく、弱者のために風刺漫画を描いてきたとされています。

 

 

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