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骨董品
2020/02/20

村田徳次郎【彫刻家】

村田徳次郎(むらたとくじろう)

 

村田徳次郎は189910月に大阪市南区で生まれました。

 

実家は半衿専門店であったため、当初は継ぐ予定で

 

私立大倉商業学校へ入るものの、

 

1914年に途中で辞めることになります。

 

そして同年に京都市立美術工芸学校へ転入し

 

やがて図案科へ進学すると、

 

20歳で同校を卒業しました。

 

その後兵役経験を経たのちは

 

一時期家業の手伝いを行っていましたが

 

1924年に日本美術院へ入っています。

 

日本美術院においては塑造について学び

 

1926年の第13回院展においては

 

出品作の『小児像』が初入選となり

 

以後入選が続きます。

 

30代の頃には日本美術院の院友に推薦され

 

1932年、『K氏像』などの作品で日本美術院賞を獲得。

 

また日本美術院彫塑部の同人にもなりました。

 

以後も晩年まで活躍を続け

 

197312月にこの世を去っています。

 

 

 

代表作の一つ『ペリー艦隊来航記念碑』について

 

村田徳次郎の代表作として上げられやすいのが

 

『ペリー艦隊来航記念碑』となります。

 

1873年にマシュー・ペリー率いる艦隊が

 

再び日本に訪れ日米和親条約を結んだ事を記念して

 

村田徳次郎が制作しました。

 

ペリー艦隊の示す条件が完全に合致している事から

 

静岡県の下田港が

 

鎖国状態を続けていた所からの開港地と決まり

 

礎が建てられるようになりました。

 

 

 

日本美術院について

 

1898年に東京美術学校校長として務めていたものの

 

考えが合わないとされ追い出しとなった

 

美術評論家の岡倉天心を元に、結成されました。

 

工芸家や彫刻家など様々な芸術家が

 

十数人規模で集まって作られています。

 

なお出品者にはランク付けがされており

 

一番下は一般で、

 

一番上は村田徳次郎が上り詰めた

 

同人となります。

 

開設者は正員と言う位置付けもされており

 

岡倉天心もやはりその一人であり

 

その中でも評議員長を務めていました。

 

 

 

塑造について

 

木を藁で囲み、その上から粘土を付けます。

 

また油土やろうも使われます。

 

アジア地域で古くから培われている技術ですが

 

これが日本に伝わったのは遅いほうで、

 

奈良時代に栄えました。

 

現在は作品そのものと言うより

 

原型として使われている事が多いです。

 

 

 

石井鶴三について

 

村田徳次郎は石井鶴三を師匠と仰いでいます。

 

村田徳次郎は彫刻家で洋画家でもあり

 

吉川英治著作の小説『宮本武蔵』の挿絵が有名です。

 

 

 

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