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掛け軸・絵画
2020/02/20

正宗得三郎【洋画家】

正宗得三郎(まさむねとくさぶろう)

 

正宗得三郎は18838月に岡山県和気郡

 

(現在で言う岡山県備前市)で生まれました。

 

なお小説家としては『何処へ』や『泥人形』。

 

戯曲家としては『安土の春』

 

などが知られている正宗白鳥。

 

歌人で『鶏肋』が知られている

 

正宗敦夫の兄として知られています。

 

1902年に正宗得三郎は

 

日本画家になるため東京に出ると、

 

狩野派や四条派など様々な流派を学んだ

 

寺崎広業の開く天籟画塾に入り指導を受けました。

 

その後洋画に転向すると、

 

東京美術学校の西洋画科に入学し

 

そこでは哲学や神話などに基づいた

 

作品展開が知られている青木繁と知り合い、

 

親交を深めています。

 

1907年に東京美術学校西洋画科を卒業すると

 

その2年後には文展の場において初入選となり、

 

1914年にヨーロッパへと渡りました。

 

その後は1916年までフランスに滞在し、

 

第一次世界大戦の為の帰国を経て

 

1921年からは再び渡欧。

 

滞在中はフォーヴィスムと呼ばれる原色を多用した

 

大胆なタッチの絵画派の、代表的人物の一人である

 

アンリ・マティスから学んでいます。

 

帰国後は二科展に作品を出したりしますが

 

1945年に太平洋戦争の影響でアトリエが消失。

 

その後1947年に二科会の元メンバー同士による

 

美術団体・二紀会の立ち上げに加わり、

 

活動終盤時期は文人画壇の象徴する一人の

 

富岡鉄斎についての研究に力を入れました。

 

そして1962年、3月に79歳で息を引き取っています。

 

代表作としては『モレーの運河』がある他

 

富岡鉄斎について調べた著書『鉄斎』もあります。

 

 

 

作品について

 

正宗得三郎は印象派的な柔和な色使いの

 

明るい景色の風景画が有名です。

 

また、太平洋戦争による疎開先の

 

長野県飯田の風景を描いた作品群も

 

よく知られています。

 

 

 

富岡鉄斎について

 

富岡鉄斎は1837年に生まれた最後の文人画家

 

(職業として画家になっておらず、

 

水墨などを用いて絵を造る人)と言われています。

 

国学や儒学などを学び、

 

また南画や明清画などを学び水墨画については

 

独自の世界観を展開。

 

「万巻の書を読み 万里の道を行く」

 

と言う言葉を残しています。

 

 

 

亡くなった翌年に『正宗得三郎画集』を発表

 

正宗得三郎の集大成と言える『正宗得三郎画集』が

 

1963年に発表されています。

 

亡くなった翌年に出ていることになり

 

寺崎広業やアンリ・マティスからだけでなく

 

活動終盤には、富岡鉄斎から自主的に学んだ

 

正宗得三郎の画家としての志が、

 

作品から伺い知れるかもしれません。

 

 

 

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