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2021/01/07

福島安正とは【軍人/書/外国語/偉人】

福島安正(ふくしまやすまさ)の生い立ちは?

福島安正は1852年に長野県で生まれました。なお父は松本藩の藩士です。福島安正は10代の頃から江戸にある、武芸の訓練所である幕府講武所に通い、オランダ式兵法や語学を学んでいました。また1869年に洋学校へ入学。4年後には語学能力を高く買われていた関係で、司法卿・江藤新平からの協力によって司法省翻訳課に勤務し始めます。ここで改めて語学力が認められ、陸軍省にも務めると、以降はアメリカへの出張や、高官の付き添いとしてフィラデルフィア万博へ赴くなど、外交の要の一部を担っていきました。

さらに1877年の西南戦争時には、参謀本部の山県有朋から高く能力を買われ、伝令使として就任。実際に西南戦争を起こした西郷隆盛側の味方や、長崎にいる艦隊の情報も調べる活躍をしてみせます。また1879年には中国調査の為にさらに語学を習得し、まもなく朝鮮に出向き対韓作戦について調べ、翌年には北京公使館付武官となりました。

やがて日清戦争勃発時には第1軍参謀となり、日露戦争時には大本営参謀を務めるなど、対アジアの戦略で重要な役割を全うします。また1901年の義和団事件においては清国臨時派遣隊司令官として務め、1906年には参謀本部次長に就任。55歳の時には男爵となり華族のひとりとされました。

晩年も軍事関係の重役を勤めましたが、1919年、67歳で息を引き取っています。

 

 

 

福島安正の評価は?

1914年には大将ともなった福島安正ですが、陸軍の中で一番の情報将校と言われています。

その言われはこのように、生い立ちを振り返ってみても十二分に感じられるものですが、山県有朋にも高く評価されました。

とは言え大学南校生時代は、自分の身の回りのものを売ってまで勉学に励む、苦学の時代を過ごしていました。しかしその中では、フランス語やドイツ語、ロシア語も学ぶなど、熱心に勉学に勤しんでいたと言われています。

 

 

 

福島安正の活動は?

1892年にベルリンからウラジオストクの間を単身で渡り、シベリア鉄道の状況を14ヶ月調査した事も知られています。その関連資料としては1893年刊行の『東京地学協会報告(14年第11)』に掲載されています。

また、1879年の北支(華北/中国)や内蒙古(内モンゴル)調査時の報告を、64巻のボリュームとなる『隣邦兵備略』として山県有朋に報告しました。

 

その他の関連書

 

1918年に自らが書いた『伯林より東京へ単騎遠征』。

1939発表の『大陸征旅詩集』(県立長野図書館が所蔵)

他にも福島安正自らによる行書五字などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■山県有朋(やまがたありとも)

1838年に生まれ藩閥政治家を象徴する人物ともなり、徴兵制を導入したり西南戦争を抑えた後に、軍人についての教えの普及に務めるなどして、近代的陸軍の整備を務めました。

 

■義和団事件

日清戦争が終わり、清国にある信仰団体の義和団が農民達と共に起こした騒動です。

また義和団はキリスト教を敵視しており、外国人やキリスト教会を襲撃。

日本も参加した8カ国の連合軍が対応し、鎮圧となりました。

 

 

 

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