福島安正は1852年に長野県で生まれました。なお父は松本藩の藩士です。福島安正は10代の頃から江戸にある、武芸の訓練所である幕府講武所に通い、オランダ式兵法や語学を学んでいました。また1869年に洋学校へ入学。4年後には語学能力を高く買われていた関係で、司法卿・江藤新平からの協力によって司法省翻訳課に勤務し始めます。ここで改めて語学力が認められ、陸軍省にも務めると、以降はアメリカへの出張や、高官の付き添いとしてフィラデルフィア万博へ赴くなど、外交の要の一部を担っていきました。
さらに1877年の西南戦争時には、参謀本部の山県有朋から高く能力を買われ、伝令使として就任。実際に西南戦争を起こした西郷隆盛側の味方や、長崎にいる艦隊の情報も調べる活躍をしてみせます。また1879年には中国調査の為にさらに語学を習得し、まもなく朝鮮に出向き対韓作戦について調べ、翌年には北京公使館付武官となりました。
やがて日清戦争勃発時には第1軍参謀となり、日露戦争時には大本営参謀を務めるなど、対アジアの戦略で重要な役割を全うします。また1901年の義和団事件においては清国臨時派遣隊司令官として務め、1906年には参謀本部次長に就任。55歳の時には男爵となり華族のひとりとされました。
晩年も軍事関係の重役を勤めましたが、1919年、67歳で息を引き取っています。
1914年には大将ともなった福島安正ですが、陸軍の中で一番の情報将校と言われています。
その言われはこのように、生い立ちを振り返ってみても十二分に感じられるものですが、山県有朋にも高く評価されました。
とは言え大学南校生時代は、自分の身の回りのものを売ってまで勉学に励む、苦学の時代を過ごしていました。しかしその中では、フランス語やドイツ語、ロシア語も学ぶなど、熱心に勉学に勤しんでいたと言われています。
1892年にベルリンからウラジオストクの間を単身で渡り、シベリア鉄道の状況を1年4ヶ月調査した事も知られています。その関連資料としては1893年刊行の『東京地学協会報告(第14年第11号)』に掲載されています。
また、1879年の北支(華北/中国)や内蒙古(内モンゴル)調査時の報告を、64巻のボリュームとなる『隣邦兵備略』として山県有朋に報告しました。
その他の関連書
1918年に自らが書いた『伯林より東京へ単騎遠征』。
1939発表の『大陸征旅詩集』(県立長野図書館が所蔵)
他にも福島安正自らによる行書五字などがあります。
■山県有朋(やまがたありとも)
1838年に生まれ藩閥政治家を象徴する人物ともなり、徴兵制を導入したり西南戦争を抑えた後に、軍人についての教えの普及に務めるなどして、近代的陸軍の整備を務めました。
■義和団事件
日清戦争が終わり、清国にある信仰団体の義和団が農民達と共に起こした騒動です。
また義和団はキリスト教を敵視しており、外国人やキリスト教会を襲撃。
日本も参加した8カ国の連合軍が対応し、鎮圧となりました。
片づけ始める前にご相談ください
眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。
遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。
さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。
買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。
買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。
新しい物・古い物、どんなお品も対象に査定する