小村大雲(おむらたいうん)は、1883年11月に島根県楯縫郡(現在の出雲市)で生まれました。1897年に高等小学校を中退すると、画家を志して上京しますが、なかなか弟子入りが叶わず一旦帰郷。その後は広島にいた日本画家・宮田英春から学ぶこととなります。
とは言え数年も経たないうちに宮田英春で学ぶのを辞める事態となり、1900年には京都へと移って楳嶺門下の四天王の一人である都路華香。四条派を正統的に受け継ぐ森川曾文や、竹内栖鳳と師弟関係である橋本菱華から教わりました。
こうして腕を磨いた小村大雲は、20歳となる頃に山元春挙の画塾である早苗会に入り、大正元年の文部省美術展覧会において『釣日和』が初入選を獲得。以降も文展で特選を2年続けて受賞すると言ったように活躍を続け、1919年の第1回帝国美術展覧会からは永久無鑑査となっています。
以降も帝国美術院展覧会(帝展)の場で作品を発表するのですが、昭和初期となる1933年の帝展で出した『三蔵渡印』が文展や帝展、日展などと言った政府主催の展覧会である官展としては最後の発表となりました。1935年には明治神宮の為の壁画『京浜鉄道開業式行幸図』を完成させるなど、晩年まで1938年2月に息を引き取りました。
小村大雲は山水や動物、それに人物と言ったように、取り上げる題材は幅広く、そしてそれを思い切った構成で表現している点に特徴があります。
それに日本画のみならず、天井画や壁画も手掛けると言ったように多種多様に活動を行い、また色彩感覚に山元春挙の影響があるとも指摘されています。
小村大雲の作品をみると、とにかく、徹底的に題材となる対象物を観察しているといえます。特に優れていると言われる作品種類の中には歴史画もあるのですが、時代考証を入念にするのはもちろん、甲冑を自身で制作しています。
また動物画も優れていますが、これについても自身で数多くの動物を飼って観察し、周りからは『大雲動物園』とも呼ばれていました。
代表作
1916年第10回文部省美術展覧会で特選となった『画舫』やその次の年の同展特選作品
の『神風』。
他には島根の旅館の為に描いた『親子虎』(平田本陣記念館が所蔵)。全ての十二支を表現した『十二支図』(出雲文化伝承館所蔵)などがあります。
■山元春挙
四条派を基本に遠近法や写実的技法など、西洋で培われていた表現方法を取り入れました。
大正には帝室技芸員となり、竹内栖鳳と並ぶ近代日本画の巨匠と言われています。
■官展
日本においての官展は、1907年に日本画と洋画、彫塑の部門がある文部省美術展覧会が開催されたのが始まりです。1919年に帝国美術院展覧会となり、後は細やかに名称が代わり今は1958年から民間団体である社団法人の日本美術展覧会となり、厳密には政府主催ではないので官展とはなりません。
官展と言う言葉は海外のものを指す場合も使われ、1648年のフランス王立絵画彫刻アカデミーのよる展覧会も官展です。
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