大鳥圭介(おおとりけいすけ)は1833年4月に、現在の兵庫県にあたる赤穂郡細念村で生まれました。なお祖父は医者や漢学者でもあり、父は医師として務めています。大鳥圭介は12歳の頃に閑谷学校に入り、当時は祖父のように漢学者になることを考えていました。
ですが父の希望により医者になる方針に変え、1849年に中島意庵から西洋医学について教わるようになります。数年後には大阪にある医学についても教えていた適塾に入り語学も取得。20代となった頃には江戸の坪井塾に入門すると、すぐに塾頭になりました。そこでは写真術や西洋式兵学について教わり、さらに幕末三舟と呼ばれペリー来航で混乱する日本を支えた勝海舟から高く評価されます。また、江戸の江川塾にて兵学教授として教えるなどキャリアを積んでいき、25歳の時には尼崎藩にて働くようになりました。
のちの1868年に起こった倒幕派と幕府派による戊辰戦争では、幕府派として北海道の五稜郭にて戦いますが敗北。1872年に出獄すると一新された政府内で働き、また政治家の役職を務めながらも1882年に工部大学校長として務めるなど後進の指導も行ってきました。
そして1911年、78歳で息を引き取っています。
大鳥圭介は語学を含み産業に対する興味が深く、後述する日本の産業の発展。また日本で初めてとなるカメラや金属活字を手掛けていると言ったところが活躍の特徴的な部分です。また欧米諸国に対しての日本に対する進言をし、朝鮮公使としても務めてきました。
大鳥圭介は日清戦争が起こる直前まで、朝鮮と外交交渉を行っていました。日清戦争は日本が清国と1894年から1895の間に起こした戦争です。
朝鮮への支配権を巡ったのがきっかけになりますが、大鳥圭介は日本と清国は欧米諸国のの帝国主義に互いに立ち向かっていくべきだと言いました。その考えは政府内でも賛同され、また外交官としても戦争が起こるまで外交交渉に努める事もしていきます。朝鮮内でも親日派と親清派がおり、さらに世界情勢の影響も重なって日清戦争が勃発しました。
そのほか大鳥圭介は英語やフランス語、オランダ語が出来たりまた好奇心が強い性格も手伝ってか、養蚕や製紙。学校建設の支援などを行ってきた所が評価されています。
関連書
2016年に開かれた上田市合併10周年記念事業内の幕末維新墨蹟展覧会。公益社団法人関西吟詩文化協会で紹介された大鳥圭介自身による漢詩。
また大鳥圭介の孫で慶応大学医学部教授として務めた、大鳥蘭三郎が集めた資料が、圭介が院長を務めた学習院大学内にあります。
■勝海舟
幕末・明治時代に渡り活躍した政治家で私塾で後進の指導もしています。
ペリー来航時には『海防意見書』を幕府に提出する活動を見せて、江戸城攻撃を中止し無血開城をしたり、明治維新後は海軍大輔や参議兼海軍卿なども務めました。
■戊辰戦争
1867年に大政奉還されても旧徳川幕府のちからは残っており、それに疑問を感じていた薩摩藩と長州藩が手を組み、徳川最後の将軍になる徳川慶喜と対決しました。
京都での鳥羽・伏見の戦いが勃発となり、以降1年半続き新政府軍の勝利となります。
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