お電話にてお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
住所 |
〒840-0023 佐賀県佐賀市本庄町袋297-1 |
---|---|
アクセス | 国道208号線南部バイパス沿い |
電話 | 0952-97-8622(フリーダイヤル:0120-322-510) |
営業時間 | 10:00~20:00 |
定休日 | 水曜日 |
駐車場 | 3台 |
許可証 | 佐賀県公安委員会 第911010005947号 |
その他の情報 | その他の情報は、特定商法に基づく表記をご覧ください。 |
くらや佐賀店が、南部バイパス沿いに2018年12月22日オープン!!
骨董品・美術品・人間国宝作家などの工芸品から、
金・プラチナなどの貴金属、ダイヤモンドをはじめとした宝飾品・ハイジュエリーなど
「価値ある古物」の鑑定買取りを行なっています。
バイヤー鑑定士として経験豊富な専任スタッフが常駐しておりますので、
遺品整理やコレクションの処分などの査定相談や鑑定・買取りに柔軟に対応していきます。
「これ何だろう??」と思われた古い物。
捨てずにご相談下さい。
どうぞよろしくお願い致します。
買取品目
買取実績
準備中になります。
絵画には「タトウ箱」や「黄袋」が付属していることがあります。また人気作家の作品では発売時に作品証明書が発行されていることがあります。購入時の付属品が一緒にあることで査定金額UPにつながります。 掛軸の場合、近現代の作家のものだと「共箱」に収まっている方が査定が高くなります。江戸時代の古画ではこの共箱がありませんが、代々家に伝わってきたものだと古い伝世の箱やお蔵の中で大事にされてきたものだと蔵番札が付いていることがあります。いづれも時代考証の役に立つものなので一緒にお持ち下さる方が良いと思います。 勿論、絵画や掛け軸では真贋が最も重要なポイントですが、古いものはではその様子もまた重要なポイントになります。 ※「タトウ箱」とは額縁などを収める箱で、作者や画廊のシール等貼られているものもあります。 ※「共箱」とは作家自身でその木箱に署名(箱書き)したものを指します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★箱
★作品証明書
茶道具、煎茶道具では箱に収まっているものは必ず箱と一緒にお持ちください。例えばお茶碗だと本体・共箱(その作品のための専用の木箱)・共布が揃っています。これは茶碗本体に作家の印(陶印)があり、箱には作家のサインと印があり、近年の工芸作家のものだと茶碗を包む布にも押印されています。 また書付のあるお道具は二重箱になっているものがあります。書付とは茶道の家元や高僧が作品の名前を書き記したもので「書付箱」といわれます。書付箱は茶碗・水指・棗・香合・茶杓や掛物などあらゆるお道具に存在します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布
★書付箱、二重箱
★誂えの良い古布に包まれている場合はそのままご一緒に
宝石やジュエリーでは、ダイヤモンドのグレーディングレポートや鑑別書、ブランドのギャランティ等の証明書や箱などの付属品が揃っている方が査定額のアップが期待できます。 宝石やジュエリーにもハイブランドの製品があります。箱やブティックの販売証などがあれば一緒にお持ちいただくことで高評価となります。 また、時計は箱と保証書も一緒にあれば査定額がアップします。購入時の付属品としてベルトの余りコマや取扱説明書などもあれば査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ダイヤモンド → グレーディングレポート
★ジュエリー → 鑑別書や鑑定書
★ブランドジュエリー → 箱や保証書、ブティックの販売証明書
★時計 → 箱、保証書、ベルトの余りコマ、取扱説明書などの付属品
日本刀で一番重要なものは「登録証(銃砲刀剣類登録証)」です。 刀と登録証は必ず合っているものです。複数お持ちの方で刀と登録証が混ざってしまいどれがどれか判らなくなった場合はご相談下さい。 また鑑定書がある場合は、必ずお持ちください。査定金額のUPが期待できます。 鑑定書には新旧2種類があります。旧タイプのものは「貴重刀剣」「特別貴重刀剣」「甲種特別貴重刀剣」があり、新タイプのものは「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」などがあります。 稀に古い古文書のようなもので極めが書かれた折紙が付属している刀もあります。
必ず一緒にお持ちいただくもの。
★登録証(銃砲刀剣類登録証)
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★鑑定書・・・貴重刀剣、特別貴重刀剣、甲種特別貴重刀剣、保存刀剣など。
★箱や伝来書、極め折紙、古くからあるものはそのまま一緒に。
ブランド品には「ギャランティカード」という各ブランドが品質を保証している保証書が付属しています。お使いになるなかで紛失されていることがありますが、あれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。また購入時には保存袋や外箱、ブティックの販売証などもありますので付属品として一緒にお持ちいただけると査定額にプラスされます。他にものブランドのノベルティがあれば更に査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ギャランティカード
★保存袋や外箱
★ブランドのノベルティグッズ
有名百貨店では人間国宝や文化勲章受賞の作家、その当時に注目されていた作家や人気の高い作家の個展を行っていました。それぞれの作品には専用の木箱が用意され作品名や作家のサインが書かれています。これを「共箱」といいます。共箱は作品を運搬する際の保護にも必要ですし、作家直筆のサインもありますので価値のあるものです。 また、個展ではカタログが発行されていることが多く、もしあれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布、解説書
★個展のカタログ
★百貨店の領収書や販売証など
祖母が使っていたお茶道具がたくさんあり、お店まで持って行けなかったので見に来ていただきました。
箱と中身が別々だったものも、箱と合うように元に戻していただきました。
価値のある茶碗があったそうで思っていたよりも良かったです。
父母が使っていたアクセサリーを持ち込みました。
箱の中にネックレスやリング、ブローチなどが混ざっていましたが、その場で貴金属とイミテーションに分けてくれ、見分け方も教えてくれました。
古いカフスやネクタイピンもきちんと査定してくれました。
父がコレクションしていた物の中に、柿右衛門の花瓶があったので相談しました。
柿右衛門以外にも、名前の分からない壷や皿がたくさんありましたが、そちらも価値があるものだったそうで買取していただきました。
祖父が残した掛軸をまとめて見てもらいました。
箱があるもの無いものもありましたが、中には価値のあるものがあったようで説明していただきました。
外見は傷んでいる物だったので処分しようか…と、迷っている物でした。
査定していただいた金額にも納得できたので、引き取ってもらうことにしました。
よくある質問
買取させて頂いたお品物の返品は、誠に申し訳ございませんがお受けできません。
キャンセル料金は頂いておりません、お気軽にご相談ください。
対応致します。ご連絡を頂ければ予定変更は可能ですのでお気軽にご連絡ください。
出張買取をさせて頂いたお品物はクーリングオフが適応致します。買取日から8日間以内にご連絡を頂ければ返品の対応を致します。
対応致します。お気軽にご相談ください。
対応致します。出張料金は無料ですので、お困りの際はお気軽にご相談ください。
お問い合わせ
お電話にてお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
営業時間:10:00~20:00
対応エリア
佐賀県佐賀市(さがし)、佐賀県鳥栖市(とすし)、佐賀県神埼市(かんざきし)、佐賀県唐津市(からつし)、佐賀県伊万里市(いまりし)、佐賀県多久市(たくし)、佐賀県小城市(おぎし)、佐賀県武雄市(たけおし)、佐賀県嬉野市(うれしのし)、佐賀県鹿島市(かしまし)、佐賀県三養基郡基山町(みやきぐんきやまちょう)、佐賀県三養基郡みやき町(みやきぐんみやきまち)、佐賀県三養基郡上峰町(みやきぐんかみみねちょう)、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町(かんざきぐんよしのがりちょう)、佐賀県西松浦郡有田町(にしまつうらぐんありたちょう)、佐賀県杵島郡大町町(きしまぐんおおまちちょう)、佐賀県杵島郡江北町(きしまぐんこうほくまち)、佐賀県杵島郡白石町(きしまぐんしろいしちょう)、佐賀県藤津郡太良町(ふじつぐんたらちょう)、福岡県大牟田市(おおむたし)、福岡県大川市(おおかわし)、福岡県柳川市(やながわし)、福岡県久留米市(くるめし)、福岡県八女市(やめし)、熊本県熊本市(くまもとし)、熊本県荒尾市(あらおし)
※出張内容によっては、ご相談させていただく場合もございます。
佐賀県は、古代では魏志倭人伝に記される末盧国(まつらのくに)があったとされ、大陸方面から伝来した稲作の発祥地とも言われています。
中世、近世では唐津、伊万里、有田など陶磁器を特産とし、海外輸出なども行ってきた歴史ある土地柄です。
佐賀県という県名の由来は、肥前国風土記に記されている栄(さかえ)の国という説や、同じく風土記に記される賢女(さかしめ)に由来すると伝えられています。
実際の佐賀として定着したのは1871年廃藩置県によって県庁所在地として定められた佐嘉郡から採られたそうです。
当初は佐賀と佐嘉両方の表記が用いられていました。
歴史を紐解いてみると興りは非常に古く、旧石器時代の遺構がいくつも発見されています。
唐津地方にあったという末盧国や弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺が特に有名で周囲にたくさんの遺構が見つかっています。
歴史上で有名な人物と言えば、佐賀の7賢人としても有名な鍋島直正公でしょう。
竜造寺氏の後国政の代行を務めた後、鍋島家は正式に佐賀藩の領主となりました。
19世紀中ごろ、藩主鍋島直正公は藩政の立て直しに努め、伊万里焼や茶、石炭などの特産品の保護育成を進め、長崎が近く、海外情勢に近しかったため、反射炉や蒸気機関等の先進技術の実験、研究も進んで行っていました。
鍋島直正公の保護により、佐賀県の窯業は盛んになり、海外に輸出されるまでになりました。
伊万里焼に代表される多彩な色合いを持つ磁器や、茶の湯の世界では一楽二萩三唐津と呼ばれるほど重用された唐津焼など、現代にも通じる産業となっています。
代表的な陶工として、酒井田柿右衛門が良く知られています。
17世紀前半から続く柿右衛門家は柿右衛門様式を確立し、ヨーロッパに輸出されマイセン窯などで模倣品が作られるなど当時から人気が高かったようです。
一子相伝の技術は現代まで続き、13代酒井田柿右衛門、14代酒井田柿右衛門はその技術が認められ、1971年国の重要無形文化財に指定されています。
この他にも重要無形文化財に指定された陶芸家を多数輩出し、佐賀県は国内有数の陶磁器の産地として認められています。
佐賀市は、佐賀県南東部に位置する、佐賀県最大人口、24万人を擁する経済行政の中心地です。
江戸時代より佐賀藩の城下町として発達しており、長崎街道を通じてさまざまな西洋文化、技術を導入し日本の科学技術の近代化に大きく貢献しました。
江戸時代は、竜造寺家が城下町の基礎を作り、後の鍋島直茂の藩政で商業が発展、佐賀城が建城されました。
佐賀城建城後は、佐賀藩本藩の城下町として栄え、商工業供に発展してゆく事になります。
藩の政策として近代化を進めていたことにより、明治時代に入ると多くの優秀な人材を輩出しました。
大隈重信、江藤新平、島義勇、大木喬任、副島種臣、佐野常民の6人に加え、教育に力を入れた藩政を敷いた鍋島直正公の7人を「佐賀の七賢人」と呼んでいます。
現在の佐賀市は、広い平野と治水の利を活かした穀物を中心とした農業と、有明海の性質に適した海苔の養殖を中心とした漁業が盛んです。
2000年以降は、観光都市としてPRも活発に行っており、観光資源の発掘が盛んに行われています。
武雄市は、佐賀県西部に位置する人口4万7千人を擁する観光都市です。
開湯以来1300年の歴史を持つ武雄温泉が特に有名で、入口にある辰野金吾設計の楼門は、国の重要文化財に指定されています。
特産である武雄焼の歴史は古く、文禄・張奎の役の際、武雄領主に同行した陶工が始めたと伝えられています。
土の持ち味を生かした陶器、白地を活かした磁器、武雄焼ではどちらも作陶されています。
現在の武雄市では、1987年の武雄ICの開通など、交通利便性が上がった事により武雄温泉や宇宙科学館などを中心とした観光業でにぎわっています。
嬉野市は、佐賀県西部に位置する人口25,000人を擁する、嬉野温泉を中心とした観光都市です。
嬉野温泉の歴史は古く、713年の肥前風土記に「東の辺に湯の泉ありて能く人の病を癒す」との記述があるそうです。
江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄え、現在でも伝統ある旅館が立ち並び風情と情緒を感じさせる温泉街となっています。特産品として温泉湯豆腐と肥前吉田焼が知られています。水ではなく温泉水を使用した湯豆腐はとろりと溶けた独特の舌触りで人気となっています。
肥前吉田焼は歴史が古く、天正年間の磁鉱石の発見により興り、江戸時代の鍋島藩主の奨励により、嬉野吉田・皿屋地区で焼かれました。
現在の嬉野市では、年間100万人が訪れる観光スポットとなっています。
神埼市は、佐賀県東部の南北に細長い町です。北部は脊振山系がそびえ、南部には佐賀平野が広がります。山林や原野が66%を占める緑豊な地域です。
鉄道には、JR九州の長崎本線を配置しています。
神崎市の歴史は古く、弥生時代に形成された大規模な環壕集落跡の吉野ヶ里遺跡が発見され、考古学的に貴重な資料が多数出土しました。
また、奈良時代の大宰府へと最短距離で繋がる西海道の官道跡も見つかっています。
南北朝時代に築城された姉川城跡は、中世の貴重な遺構として国の史跡に指定されました。
江戸時代には、長崎街道が通り神埼宿や境原宿は宿場町として発展。今でも遺された史跡や石碑が当時の様子を伝えています。
神崎市には多くの観光スポットがあり、九年庵の庭園と近代和風の数寄屋建築の別邸は、国の名勝に指定されました。
城原川の脊振峡谷に架けられたアーチ構造の脊振めがね橋は、明治時代に作られた石橋です。
周辺に桜の木も多く、脊振桜街道と呼ばれています。高取山公園わんぱく王国・そよ風の丘は、約200mのローラ滑り台や四季折々の自然を感じながら遊べると県内外から多くの人が訪れる話題のスポットです。
白角折神社には、県の天然記念物に指定された樹齢1000年を超える楠の巨木は見応え十分です。
偉人では、シーボルトにオランダ医学を学んだ蘭方医の伊東玄朴や、次郎物語の作者として知られる下村湖人を輩出しています。
大川市は福岡県の南西に位置します。市の大部分を筑後川下流の三角州地帯が占め、クリークが縦横に走る平坦地。有明海沿岸道路の大川東ICを配置します。
いちご生産が農産物の約6割を占め、水産業ではノリの生産が盛んです。
木工業に取り組む街として知られており、高い技術力からJR九州のクルーズトレインななつ星in九州の内装を手掛けました。
また、猫用の小さな家具製作が話題。木工の祖とされるのは室町時代後期の榎津久米之介です。
家臣の生活のため、船大工の技術を生かした指物(さしもの)=家具を作らせたのが起こりとされています。
18世紀中期には、久留米藩が若津港を開き、筑後地方の海の玄関口として繁栄。小保・榎津地区は、柳川藩と久留米藩境界の河港の宿場町として栄えました。
大川市の見どころは、国指定重要文化財に指定されている旧吉原家住宅です。
近隣には、江戸時代の風情を色濃く残す街並みが遺されています。
全長507mもある巨大で美しく筑後川をまたぐ赤い大鉄橋は筑後川昇開橋と呼ばれ、大川のシンボルとして愛される橋です。
デ・レーケ導流提は、筑後川左岸に建造され完成から100年以上経った今でも治水機能をを果たしています。
また、約1800年前の創建の〈おふろうさん〉の名で親しまれる風浪宮は、樹齢約2000年の白鷺樟をはじめ、正平塔や風浪神社本殿、石造狛犬など多くの文化財を保有する神社です。
風浪宮大祭は、筑後地方の三大祭りといわれ期間中は多くの参拝客で賑わいます。
柳川市は、福岡県の南西部に位置し、有明海に面します。
市のほとんどを平坦地で構成され、かつて海だった場所を海面干拓した割堀が縦横に流れる水郷都市です。
鉄道は西日本鉄道の天神大牟田線が通り、高速道路には有明海沿岸道路を配置。
利便性の高さから福岡市のベットタウンとして発展しています。
干拓地を中心にイグサや有明海ではノリの養殖、車海老やガサミなど栽培漁業も盛んです。
城下町柳川は、鎌倉時代から戦国時代に築城されたのが始まりといわれ、柳川城が整備されたのは江戸時代になってからでした。
1620年にこの地を治めた立花宗茂が治水や干拓地の造成に力を注ぎ、町割りや掘割は江戸時代頃のまま遺されています。
観光のどんこ舟に乗って掘割を巡る、川下りは柳川観光の代名詞。旧藩主立花氏の別邸〈御花〉は、全国的に有名です。
数寄屋風のつくりと葦葺屋根の旧戸島家住宅には、掘割から水を引き入れた庭園があり国の名勝に指定されています。
かつての柳川は、ウナギの特産地。柳川発祥の名物料理ウナギのせいろ蒸しは、ほど良い甘みと照りが味わえ必食です。
柳川出身の有名人には、詩人の北原白秋や作家の檀一雄、芥川賞を受賞した長谷健を輩出しています。
小城市は、佐賀県の中央に位置。北には天山山系がそびえ、中央付近は佐賀平野が広がります。南側の縦横に走るクリーク地帯の先には、日本一の干潟で名高い有明海に面する市です。芦刈海岸の干潟体験上付近では、干拓地有数の生き物のムツゴロウやシオマネキ、塩生植物のシチメンソウを間近で見ることが可能。
JR九州の長崎本線や唐津線を置き、長崎自動車道の小城スマートICと有明沿岸道路の芦刈ICと芦刈南ICを配置し、地域の交流と促進をはかります。
歴史は古く、小城市に人が住み始めたのは旧石器時代からでした。
やがて戦国時代になると1191年に関東の武将千葉常胤(つねたか)が源頼朝より恩賞として小城郡を賜って以降、千葉氏が代々この地を治め九州有数の大都市として発展。
江戸時代になると鍋島氏の所領となり、小城藩が始まります。長崎街道の西の浪花ともいわれた牛津は、多くの物流で賑わいの宿場町として発展しました。
観光スポットでは、全国名水百選にも選ばれ清水川の上流にある高さ75m、幅13mもある清水の滝は荘厳で流麗です。
表情豊かな約200体の石仏の五百羅漢で知られる祥光山星巖寺は、初代藩主の元茂と二代目・直能の法名からその名が名付けられました。
小城公園は、小城藩初代と二代が造営した、さくら名所百選に選ばれる名庭園。シーズンには家族連れや多くの花見客で賑わいます。
多久市は、佐賀県の中央にあり、山に囲まれた盆地の街です。
JR九州の唐津線が走り、長崎自動車道を配置します。多久市といえば、多久聖廟は外せません。
学問を好む多久4代領主多久茂文により創建され、国内で最も古い孔子廟のひとつです。厨子に納められる聖龕(せいがん)は国の重要文化財に指定されています。
自然を活かしたエリアは豊富にあり、西渓公園は、石炭王と呼ばれる高取伊好が造った山水公園です。園内には国の有形文化に指定された寒鶯亭もあり、春には桜まつりや秋には紅葉まつりが行われます。
北多久町にある中央公園は、桜やつつじが多く咲き、春には花見客で賑わう都市公園、児童遊具や競技場も併設し市民が集う憩いのスポットとして人気のエリアです。
また、鬼ノ鼻山の山頂の展望台からは多久市内や有明海をはじめ、遠くには雲仙岳や多良岳望む穴場スポットとして知られいます。鬼ノ鼻憩いの森公園にはファミリーが楽しめる施設があり、山頂に建てられた鬼の顔を表現した展望台は迫力満点です。
農産物では、紅色が特徴的な糖度の高い伝統野菜の女山大根。他には、多久ヒノヒカリや納所びわなどがあります。
家庭に古くから伝わる大きな酒まんじゅうの岸川まんじゅうは、直径10cm程。餡入りやよもぎ、さつま芋入りなど種類も豊富。県外から買い求めに来るファンも多い伝統的なおまんじゅうです。
唐津市は、佐賀県北西部にある、唐津市が佐賀県の約2割の面積を占める玄界灘に面した市です。
JR九州の筑肥線と唐津線を配置。高速道では西九州自動車道を置き、九州北西部の活性化を担います。
大型の商業施設として42の専門店が並ぶイオン唐津ショッピングセンターを誘致。
港は唐津東港や呼子港を有し、古来から大陸への玄関口として栄えてきました。
魏志倭人伝にも唐津市付近とされる末盧国(まつらこく)の名が登場。万葉集には鏡山や玉島川、松浦川の情景が詠まれています。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、拠点として名護屋城を築城。朝鮮の陶工を連れ帰り、各地に窯場を造ったことで唐津焼が多くなった話は有名です。
観光地は数多く、満島山の唐津城は桜や藤の名所として春には多くの花見客が訪れます。唐津湾沿いの虹の松原は、国の特別名勝に指定されている日本三大松原の一つです。
荒波に浸食された景勝地の七ツ釜は、見る人に自然の驚異を感じさせるスポット。
呼子朝市は有名で、潮風を感じながら巡る楽しさがあります。呼子の名物の活イカは絶品です。
唐津くんちは、唐津神社で行われる400年以上続く秋の大祭。登場する獅子や龍など、極彩色の曳山を曳きまわす様は見応えがあります。