Useful お役立ち情報
2020.02.06
骨董品

黒田嘉治【彫刻家】

黒田嘉治(くろだよしはる)

 

黒田嘉治は19083月に東京市浅草区で生まれました。

 

その後東京美術学校の彫刻科塑造部に進学し

 

在学中の1929年、帝国美術院展覧会に出品した

 

『立女』が初入選を獲得。

 

1931年に同校を卒業しますが、以降も連続して

 

帝展での受賞をしていきます。

 

やがて1939年の第2回日本美術展覧会で出した

 

『立つ女』では文部大臣賞を獲得しました。

 

この『立つ女』は現在、東京都八王子の

 

西放射線ユーロード三崎町公園内に設置されています。

 

なお日展参与や日本彫刻会会員、

 

六窓会会員などの要職も務め、

 

『立つ女』はのちに文部大臣賞も獲得しました。

 

 

 

『立つ女』について

 

黒田嘉治は自身の作品に対し

 

「垢抜けておらず清涼感もあり、

 

人として温もりのある女性を描いてる」

 

と称しています。

 

『立つ女』は裸婦像であり、裸の女性を描いたそれは

 

公共性について問われる事もあります。

 

また、公共の場所に裸婦像があるのは

 

日本ぐらいという指摘もされています。

 

日本で代表的な裸婦像の一つとしては

 

1951年の皇居濠端の三河田原藩上屋敷跡に設置された

 

『平和の群像』(通称)であり、愛情と理性、

 

意欲を三人の女性像で表現した作品です。

 

裸婦像が作られたのは民主主義となった象徴で

 

実際に戦後から増えたとも言われています。

 

黒田嘉治の『立つ女』は戦前に造られたものであり

 

先進性があると言えるし

 

文部大臣賞を受賞している事も考慮すると

 

第二次世界大戦以前にも

 

平和な文化活動があったとも捉えられます。

 

 

 

黒田嘉治の他の作品

 

黒田嘉治は他にも1952年に建設された

 

日比谷パークビルに設置する

 

『ガーゴイル』を手がけています。

 

『ガーゴイル』は魔を払いのける象徴でありますが

 

黒田嘉治は戦後間もない日本人を

 

励ます目的で手がけました。

 

そして日比谷パークビルは取り壊され

 

ザ・ペニンシュラ東京が建てられているものの

 

『ガーゴイル』は継続して設置されています。

 

『立つ女』と同じように平和の象徴として

 

認められている事になります。

 

 

 

日展参与を務めた他の芸術家

 

■横山一夢

 

木工芸家で19113月に富山県東砺波郡

 

井波町で生まれます。

 

井波町自体が木彫の町として有名で

 

自身も木工芸の職人の一族として育ちました。

 

寺院の修復を匿名性の高い職人として

 

行っていたものの、1941年の

 

4回新文部省美術展覧会に出品した

 

『鷺の衝立』で初入選となり、

 

そこから文部大臣賞を受賞したり

 

県無形文化財に認定されるなど、

 

改めて才能を発揮していきました。