高田誠(たかだまこと)
高田誠は1913年9月に埼玉県北足立郡で
医者の息子として生まれました。
その後1926年に
男子師範付属尋常高等小学校を出ると
同時に埼玉県立浦和中学校へ入り、
『晩煙』や『砥石切』が知られる跡見泰や
光風会会員である相馬其一から教えを受けます。
こうして3年後には第16回二科展において
『浦和風景』が初入選となり、
翌年には写実的要素を残しながら
明快な色彩感を用いた作品で知られている、
安井曽太郎からも学び強く影響されました。
1942年に出品した『松原湖辺』では
第5回文部省美術展覧会の特選を獲得。
やがて50代後半に仕上げた『残雪暮色』では
日本芸術院賞を受賞するなど
多くの実績を残しています。
1978年、65歳の時には日本芸術院会員となり
1992年10月にこの世を去りました。
作風
高田誠の作品は
安井曽太郎の影響を強く受け継ぎながらも
点描による、あたたかで明快な構図が
特徴となっています。
またその作風は1935年辺りから見られる特徴で、
それまでは風景画や静物画を
写実的要素の強いタッチで描いたものが
多く見られます。
点描での代表的な作品としては
アルプスや妙高高原をモチーフにしているものがあり
また屋内にあるバラなどの植物を描いた作品も
有名です。
高田誠は、師の教えも上手く融合して
自身の作品を生み出した作家の一人と言えます。
かつ強すぎない個性も世間に受け入れられた要因の
一つであると考えられます。
■点描画法について
絵画作品において点描画は、線を引いて
塗るのではなく、点の集合体となるため
強い集中力が求められる画法ですが、
古くからある技法の一つでもあります。
一説では、日本においての点描画法は
中国の宋時代、米法山水の山水画と伝わった
と言われています。
他国で点描画法が既に確立されていた為
日本ではより点描画法を使った
独自の作風が求められていたことでしょう。
高田誠の場合は元々ある安井曽太郎のエッセンスと
点描画法が、無理なく自然に融合されてきた
と言えます。
また点描画法により、強く個性を出し過ぎず
優しい雰囲気が生み出されているように見えます。