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2020.05.01
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長谷川雪堤【日本画家】

長谷川雪堤(はせがわせってい)

 

長谷川雪堤は1819年に江戸で生まれました。

 

なお父は画家の長谷川雪旦であり

 

長谷川雪堤は幼い頃から父に学んでいます。

 

やがて相模国藤沢渡内村の名主である

 

福原高峰に発注され、

 

相模国内の数々の場所について綴った

 

『相中留恩記略』を描き

 

また『成田名所図会』や

 

『東都歳事記』の挿絵も描き、

 

名所図会画家として地位を高めます。

 

特に『東都歳事記』は

 

父との共同作業としても知られています。

 

そして1882年3月、69歳の時に

 

息を引き取っています。

 

■東都歳事記

 

当時に近い江戸や周辺の

 

一年間の行事を記したものです。

 

半紙本5冊となっています。

 

なお1893年に出された1789年から

 

1801年までの江戸神田の町名主、斎藤幸雄が

 

実際に調べた江戸名所図絵には

 

東都歳事記や江戸名所花の広告が載っています。

 

■父の長谷川雪旦について

 

長谷川雪堤と同じ様に江戸の出身で

 

彫刻大工として活動としていた時期もあります。

 

また同じ様に名所図会画家として知られており

 

『江戸名所図絵』が代表作となります。

 

なお唐津藩小笠原家の

 

お抱え絵師としても知られていますが、

 

滞在はしても定住はしていません。

 

 

 

名所図の挿絵で活躍し、複製ではない絵は

 

あまり残されていません

 

長谷川雪堤は父親の技術を受け継いだ実力を

 

大いに発揮したり、名所絵の他に

 

人物画も得意としています。

 

なお名所図の挿絵は多く残されているものの

 

複製ではない長谷川雪堤自身の作品は

 

あまり出ていないようです。

 

その中でも長谷川雪堤の描いた『如意亭図』は

 

江戸下谷の柳川藩上屋敷の庭園の如意亭を描いた

 

貴重な風景画でもありますが

 

四季の様々な景色を

 

一枚に収めた作品となっています。

 

 

 

不明な部分が多い長谷川一門の系譜

 

長谷川雪堤は父が亡くなった後

 

目立った活躍はなく

 

そのまま息を引き取ったとされています。

 

とは言え弟子として長谷川雪塘を育てており

 

長谷川雪塘は唐津に住み

 

唐津藩御用絵師として活躍しています。

 

また娘として絵師の長谷川雪真がいますが

 

詳しい経歴は現在発見されていません。

 

そして『雪旦・雪堤粉本』など

 

長谷川雪旦・雪堤親子の詳しい資料は多くあり

 

また長谷川雪旦の師匠として

 

長谷川雪嶺と言う人物が確認されています。

 

画家としての長谷川の家系部分は

 

まだまだ不明な部分があると言えます。