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掛け軸・絵画
2020/02/27

鍋井克之【洋画家】

鍋井克之(なべいかつゆき)

 

鍋井克之は18888月に

 

大阪府大阪市で生まれました。

 

中学校を卒業後には上京し

 

東京美術学校西洋画科に入ろうとするものの

 

残念ながら受験に失敗。

 

その後白馬会洋画研究所で学び、

 

そこでは挿絵や漫画などを得意とする雑誌

 

『とばゑ』を出した長原孝太郎から

 

教えを受けています。

 

なお翌年には東京美術学校西洋画科へ入り

 

1915年に同校を卒業しました。

 

卒業年には『秋の連山』において二科賞となり

 

翌年までフランスやイタリアへ渡っています。

 

帰国後、1924年に

 

『肇暑』や『晩桜』などが知られる黒田重太郎。

 

『帽子を冠れる肖像』や

 

『裸女結髪』が知られる小出楢重と共に、

 

信濃橋洋画研究所を立ち上げました。

 

そして1947年には二紀会創立の立ち上げに加わり

 

1964年には浪速芸術の大学教授を務める

 

と言ったように、活躍を続けてきました。

 

 

 

風景画を極めると同時に多種多様な活動も行う

 

鍋井克之は風景画を

 

極めようとした事で知られています。

 

鍋井克之の描く風景画は色鮮やで骨太なタッチ

 

と言われており、また『風景画を描く人へ』

 

と言った本も1922年に発表しています。

 

なおそれ以外でも本を数多く出しており

 

例えば1934年の随筆書『和服の人』や

 

1947年の『寧楽雅帖』なども有名です。

 

また小説家として知られている宇野浩二とも

 

親交があり、作品の挿絵も提供しています。

 

そして演劇好きでもあるため

 

秋田雨雀(うじゃく)達と共に、有楽座において

 

美術劇場を立ち上げていました。

 

秋田雨雀は劇作家として名を知られています。

 

・関西の美術にも貢献

 

また鍋井克之は関西の芸術にも

 

強く貢献した事でも知られています。

 

その中でも信濃橋洋画研究所は大阪に

 

最先端の芸術を教えるために、

 

実技だけでなく理論も教える場として機能し

 

中之島洋画研究所へと名を変え活動しました。

 

のちに1944年に第二次世界大戦の影響を受けて

 

閉じたものの、1958年には大阪市民文化賞と

 

なにわ賞を受賞しています。

 

 

 

好奇心旺盛である鍋井克之

 

鍋井克之はまさに好奇心旺盛な人物である

 

と言えるような気がします。

 

そのため後進の指導も楽しかったと考えられますし

 

自身の興味心で関西の美術界に

 

貢献できた人物であると評価できると思います。

 

 

 

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