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掛け軸・絵画
2019/11/22

鈴木信太郎【洋画家】

鈴木信太郎(すずきしんたろう)

 

鈴木信太郎は18956月に東京八王子で、

 

生糸業を経営する商家の子供として生まれました。

 

後継ぎとして育てられますが

 

病気により車椅子生活を余儀なくされ、

 

画家として生きていくために

 

1910年に白馬会研究所に入り

 

黒田清輝から絵を学んでいきます。

 

1913年には画家以外の道も模索し

 

故郷にある府立織染学校で織物図案の技術を習得。

 

洋画家としての活動は並行し

 

1916年に文部省美術展覧会に入選。

 

なお1921年には織物図案の仕事も行っていたものの

 

洋画家として生きていく事を決意し

 

紫陽花や桃などをモチーフとした

 

油絵を描いていきました。

 

27歳の時には第9回二科会に初入選となり

 

二科会や一水会の創立会員でもある石井柏亭から学び

 

さらに自身の画力を高めていきます。

 

1936年には二科会会員となりますが、1955年に脱会。

 

同年には同じ様に

 

二科会を脱会した洋画家でありながら、

 

ノバマネキン社社長としても勤めた高岡徳太郎や

 

色鮮やかで大胆な作風で知られる野間仁根達と共に

 

一陽会を設立しました。

 

1960年には日本芸術院賞を獲得し9年後の1969年には

 

日本芸術院会員に抜擢されています。

 

1989年、94歳でこの世を去りました。

 

 

 

作風

 

鈴木信太郎は日本各地を飛び回り、

 

子供が描いたかのような明るい色彩感覚と

 

自由な風景画に特徴があります。

 

また車椅子で移動していたため低い視点で描かれており

 

静物画も描いてきたため、それらの作品には

 

特に特徴が如実に現れ、独特のフォルム感が

 

もたらされています。

 

代表作には『山すその村』や『ばら』。

 

『長崎の家』や『青いベランダ』などがあります。

 

鈴木信太郎が住んでいた場所は雑木林が多かったり

 

田園風景も見られたりしていたので、

 

穏やかな作風にはそう言った場所柄も

 

関係していたかもしれません。

 

 

 

コロリスト

 

鈴木信太郎はコロリストと呼ばれる分類に入ります。

 

コロリストとは、絵画における

 

線や奥行きとかの要素よりも、

 

色彩の豊かを重視した作家のことを言います。

 

またファッション業界においても

 

見た目の色を決める係の事も指します。

 

それでも作品の

 

『東京の空(数寄屋橋附近)』には、

 

カラフルではなく緻密さ奥行きが感じられます。

 

なおこの作品は

 

関東大震災から立ち上がろうとする東京を描いた

 

と言われています。

 

 

 

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