金山平三は1883年12月に兵庫県神戸で生まれました。
22歳で東京美術学校の西洋画科本科に入学すると
白馬会を立ち上げる黒田清輝から教わり、
4年後に首席で卒業しています。
1912年からは3年間フランス等の諸外国へ自費で渡り
小説家の島崎藤村と知り合いました。
やがて文部省美術展覧会において
出品した作品「夏の内海」が特選となり、
また官設美術展において
積極的に作品を出展し続けます。
これらの才能が評価され、1944年、61歳のときには
帝室技芸員に認定されました。
その後1964年にこの世を去っています。
金山平三の作品の特徴は、
旅行先でスケッチをしてきた経験が活かされた
爽やかな風景画にあると言われています。
事細かに塗られているその色彩感覚は
外光派によるものと言われており、
また活動後期になると
芝居絵も発表するようになります。
■外光派
室内で描くのではなく
外に出て描く作家の事を指します。
19世紀のフランスで始まり、今まで風景画は
室内で着色が行われていたのに対して
外で塗るようになった事で、自然光を作品の中に
取り入れやすくなりました。
■印象派
外光派はしばし印象派とほぼ同定義と
捉えられることもあります。
実際の風景の輪郭や色と言うよりも
自然光や空気を描写する作家達を指します。
その為リアリズムがあると言うよりも
一種の幻想的な風景として
作品世界が展開されています。
■芝居絵
浮世絵でも歌舞伎役者を取り上げているもので
役者絵や絵看板とも言われています。
金山平三の場合は芝居絵だけでも
沢山の作品を残しています。
金山平三は1935年に起こった
松田源治文相による帝国美術院の再編成を機会に
官設美術展を辞退します。
再編成では帝国美術院官制の下に置くことになり
過去の入選実績を元に作品が展示されていたのを
取り止める形となっています。
金山平三はその体制が直接関係して辞退したのかは
不明ですが、それ以降は孤立したと
指摘している方もいます。
実際に多くの画家は他の画家と共に
美術団体を組んでいるのに対し、金山平三の場合は
そう言ったものは見受けられません。
1946年には文部省から
日本美術展覧会の審査員の誘いが来ますが
それも断り、死去する1964年には
叙位や叙勲も辞退しています。