野田英夫(のだひでお)
野田英夫は1908年7月に
アメリカのカリフォルニアで生まれました。
幼い頃に一時的に日本に帰るものの
1926年に再びカリフォルニアの地へ渡り
画家になるためカリフォルニア美術学校で学びます。
同校では油彩や、メキシコ画壇の
4大巨匠の一人と呼ばれるディエゴ・リベラの
壁画制作についても学びますが1931年には中退。
その後ニューヨーク北部にある
ウッドスタック芸術村で壁画や
テンペラ画の研究を始めました。
そして1934年にはディエゴ・リベラの助手として
ロックフェラー・センターの3つ壁画を制作。
また同年と1936年に日本に帰り
二科会へ出品しています。
1938年には銀座日動画廊で個展を開き、
アメリカに帰国後は新制作派協会会員として
活動するものの、1939年1月にこの世を去りました。
ディエゴ・リベラに影響を受けた作風と思想
野田英夫は多角的な視点を一つのキャンバスで表現する
キュビズムの影響を受けた作風と、
メキシコ革命後の思想を表現した
ディエゴ・リベラの作風を受け継いでいる
と言われています。
野口は絵画を個人が見るというものよりも
大勢の人達が一緒に感じるものになるように挑戦しており
それもまたディエゴ・リベラの考えが
受け継がれているようです。
メキシコ革命は独裁政治を終わらすための
民族主義による社会革命であり、ディエゴ・リベラは
壁画でその民族主義の気持ちを代弁した
と言われています。
野田英夫自身も作品で世相による人々の信条を
代弁する必要があると感じ、1936年に発表した
『風景』は特にそれが現れています。
『風景』で表現された暗い雰囲気は
大恐慌時代に突入した、当時のアメリカの不安が
現れているようですし、また帰米二世である
野田英夫の気持ちも表現している
と指摘されています。
自身の心情も反映
また野田英夫は哀愁がありながらも
ユーモラスも交えた作風で有名です。
都会や労働者、黒人と言ったテーマが多く
特に1933年に発表した
『スコッツボロ・ボーイズ』には
それが分かりやすく現れています。
1931年に起こった黒人の少年達に対する
冤罪事件を描いており、
アメリカで差別を受けるなどした
自身の不遇な境遇を重ねながら描いています。
人種差別問題とも関わる野田英夫の作品
海外の人種差別問題は私達日本人にとっては
あまりイメージが掴みにくいものかもしれません。
しかし帰米二世の日本人である
野田英夫の作品を見れば、その人種差別問題に対して
少しは具体的なイメージで見ることが
できるかもしれません。
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