野々村一男(ののむらかずお)
野々村一男は1906年11月に、
愛知県名古屋市で生まれました。
建築業の息子でもあり
家業を受け継ぐ事も周囲は考えていましたが
彫刻家を志して上京を果たすと、
東京美術学校彫刻科塑造部に入っています。
また在学時代には、1929年の
第10回帝国美術院展覧会において出品した
『座女』によって初入選となりました。
その後1936年に卒業すると同時に
『蒼空へ自由・愛・平和』や『時の流れ』が有名な
大須賀力。
『静寂』や『女人像』などの代表作がある加藤顕清。
『鳩と少女』や『女の首』が知られている
早川巍一郎達と共に、日本彫刻家協会を立ち上げます。
日本彫刻家協会の結成の背景としては、
「今までの概念を取っ払って
彫刻の価値や要素を研究する」
と言った考えから来ています。
翌年の1937年には戦争に駆り出される事になり
中国へと行きますが、次の年には除隊。
同年の新文部省美術展覧会で特選となり
1952年の第8回日本美術展覧会において出品した
『人間告訴』が特選・朝倉賞となります。
そして2008年2月に息を引き取りました。
作風
野々村一男は正当的な造り方を求めながらも
重力の概念に縛られる事のないポーズの
裸体の塑像を手掛けてきました。
抽象的とも言われており、
それは日常的なものから距離を置いた、
自然についての考えを表現する手段へと
変わってきています。
ブロンズでの作品作りも行っています
野々村一男は、ブロンズで
作品を造ってきた事でも知られています。
塑像とは粘土や油土などで形作ります。
またブロンズは合金ですが、ブロンズ像を造るにも
やはり、最初は粘土での立体作りから入ります。
野々村一男が重力に捕らわれないポーズの
裸体像を造って認められたのは、
そう言った基本と言える粘土での立体像を造る作業を
大切にしていたのは勿論、
アカデミック(正当的)性を忠実に守り
見た人に不自然な違和感を与えなかった所からも
来ていると思われます。
終始正統的な作風を求めた野々村一男
野々村一男は2002年に日本橋三越において
「野々村一男彫刻展」を開きました。
1966年には愛知県立芸術大学教授として務め
長い間後進の教育にも携わり、
また日展の理事や参事の経験もあります。
野々村一男は終始正統的な作風を求めてきた
と言われており、その事がそう言った
日展での役職や教授職に繋がり、
周囲から認められてきたと言えそうです。
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