お役立ち情報
掛け軸・絵画
2020/08/21

近藤浩一路【日本画家/山梨県/水墨画】

近藤浩一路(こんどうこういちろ)

近藤浩一路は、1884年3月に山梨県で生まれました。なお本名は浩と言います。裕福な家庭で育ちましたが、文芸や絵に興味を持っており、20歳の時には東京美術学校洋画科に入り、そこで油絵について教わっていきます。1910年に同校を卒業しましが、この時に卒業制作として手掛けた『京橋』は、同年の第4回文部省美術展覧会において初入選を果たしました。

なお1915年には読売新聞社にて勤務し、そこでは漫画記者としても活躍。政治を題材にした漫画や挿絵を描いています。自身の制作活動では、読売新聞社入社前の1913年、第7回文部省美術展覧会において『下京の夜』を発表したのを挟み、1918年に珊瑚会の活動に加わった事は、水墨画での作品発表のきっかけとなりました。

 

その後30代後半になると、再興日本美術院の同人となり、第10回日本美術院展覧会において近藤浩一路の作品における水墨画の代表作と言える『鵜飼六題』を発表します。それから翌年にはフランスへ留学し、1931年にはパリにて個展を成功させました。のちの1935年の日本美術院展覧会においては『御水取八題』を発表しますが、次の年には日本美術院を脱退。以降は個展での発表が多くなりますが、1949年には小杉放菴や中川一政達と共に墨心会を立ち上げました。

やがて1959年に日本美術展覧会の会員となり、1962年4月に息を引き取ります。

 

 

近藤浩一路の作品の特徴は?

近藤浩一路は水墨画であっても、白と黒の世界観の中で洋画的な陰影を表現する独自の作風に特徴があります。また1913年発表の『下京の夜』はカラー作品であり、やはりそう言った色の付いた作品でも光が感じられます。

 

 

近藤浩一路の他の評価部分は?

近藤浩一路は様々な作家と交流を持つ事で刺激を受けて、独自の作風を見出していったのでは?と言う指摘がなされています。

まず新聞社にて漫画や挿絵を手掛けていた時期には、珊瑚会メンバーである日本画家の、『七面鳥』や『子譲』などが知られている平福百穂。『若葉に蒸さるる木精』や『水魅戯』が有名な日本画家の小川芋銭と出会ったことも、日本画に転向した起因と言われてます。また作家で、『羅生門』や『蜘蛛の糸』が知られている小説家の芥川龍之介。岡本太郎の父でもあり朝日新聞にて漫画などを掲載していた漫画家の岡本一平と言ったように、多種多様な業種の人と交流を持っているのです。

 

他の代表作

 

1919年の第6回日本美術院展覧会の『朝の日』。

1923年の第10回日本美術院展覧会発表の6つの連作であり、水墨画の最初の代表作となる『鵜飼六題』(いずれも東京国立近代美術館が所蔵)などがあります。

 

 

各ワード紹介

■珊瑚会

1915年に設立されました。大正時代前半の美術界の中心的グループでもあり、水墨画を内包する新南画が主立っていました。

 

■日本における水墨画の独自発展

中国から始まった水墨画は、日本によって独自発展してきた側面があります。横山大観は朦朧体とも呼ばれる、片ぼかしという技法で今までにない立体感を表現。また近藤浩一路は中国では敢えて省いてきたともされる光を表現してきました。

 

 

一覧に戻る

このカテゴリの最近のお役立ち情報

片づけ始める前にご相談ください

賢い遺品整理・蔵整理

眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。

遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。

さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。

  • KURAYAにご相談ください

    • どのように物が売れるのか知りたい
    • 骨董品などの遺品整理に困っている

    買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。

    買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。

査定・買取依頼する
簡易WEB査定