菊池芳文は1862年に大阪で生まれました。襖の仕立て職人である表具師の息子として育ってきた環境のため、絵画が常に身近な所にあり、それがきっかけで画家になる事を幼少期から考えていたと言われています。その後、花鳥画が有名で四条派及び円山派の系譜を持つ京都出身の幸野楳嶺から学び、やがて谷口香嶠や竹内栖鳳、都路華香と合わせて楳嶺門下の四天王とされます。
この間、幸野楳嶺からは住み込みで指導を受けるようになり、そのきっかけは幸野楳嶺自身でもありますが、菊池芳文は筆のかすれさえも再現させたり、西洋美術についても学ぶなど、かなり深く、徹底して学んでいきました。
こうして腕を磨いていき、20歳の時には第1回内国絵画共進会展において『修学院白雨図』が銅賞を獲得。菊池芳文もまた京都画壇及び四条派の系譜に正統的に則った画家として活躍し、1887年の第2回内国絵画共進会展においては『花鳥』や『山水』が銅賞を受賞しています。その後も受賞を重ね続け、1893年にはシカゴ万国博覧会で『青堤群鷺』を出品し、楳嶺門下の四天王と呼ばれるようになったのもその年だったといわれます。
翌年には京都市立絵画専門学校の教諭として務め、やがて40代半ばには文部省美術展覧会の第1回の審査委員を務めたり、京都市立絵画専門学校の設立の際には教授に就任するなど、教える側にも周りました。1913年には3年間掛けたオランダ・ハーグ平和宮の綴織壁掛を完成させ、1917年に帝室技芸員に認定。
そして1918年1月、57際の若さで息を引き取りました。
他の代表作には『小雨ふる吉野』や『吉野群鴉図』などがあります。
菊池芳文は独創性がありながらも四条派の基礎がしっかりと活きた作品作りで知られています。モダンな色彩及び構図の花鳥画は強く支持され『花鳥の芳文』と言う謂れがあります。なおその中でも桜を題材にした絵が特に優れていると有名です。
■円山四条派
18世紀の江戸時代中盤の京都において、一役有名になった二派です。
それまで席巻していた狩野派などが培った形式的な作風には非難が集まり、創造的なものを描く運動の中で起きたもので、円山応挙による円山派と呉春が開いた四条派の合わさった名称でもあります。二派とも写実性がありながらも、幅広い作風が特徴です。
■京都市立絵画専門学校
1909年に誕生しました。菊池芳文の念願でもあり他にも竹内栖鳳や山元春挙と言った、京都画壇のスターとも言える人物達を教授として有しています。また村上華岳や徳岡神泉など言った、後世に残る画家も多く排出しました。
菊池芳文は様々な後輩を育てていますが、その中にはやがて自身の養子となる菊池契月もいます。菊池契月も京都市立絵画専門学校の助教諭として務めますが、菊池芳文がかつて幸野楳嶺の内弟子となった事と被るように感じます。
いずれにしろ、菊池芳文を知る事は後進の作家への貢献を知る事と言えます。
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