荻須高徳は1901年に愛知県稲沢市で生まれます。
20歳で川端画学校へ入学すると、
優れた色彩感覚で風景画や婦人画を描く画家
藤島武二に学び始めました。
また1927年には、
東京美術学校西洋画科を卒業するとフランスに渡り、
バランスの良い明るい色彩感覚の風景画を
描いていきます。
やがて第2次世界大戦に際して日本に戻り、
新制作派協会会員として活動するものの、
パリで骨を埋める覚悟をするかのように
永住する事を決め、以後は再び
パリの風景画を描き続けました。
そして1986年10月に
パリのアトリエにて息を引き取り、同年、
亡くなった後に文化勲章が受賞されています。
荻須高徳のパリの作品には、
いわゆる観光地のような有名スポットを描いたものは
目立ってありません。
路地裏にある建物や食料品店のような、
そこに住む市民が普段の生活で使っているような、
ひっそりとした場所が多く取り上げられています。
対照的に、人を描く事は殆どしていませんが、
それでも人の息遣いが聞こえると指摘されています。
なお荻須高徳は、パリに移り住んで
風景画を描いたのと同じように、
イタリアのベニスにも長い期間足を運んで
同じ様に作品を描いています。
代表作としては、『ベニスの赤い宮殿』があります。
■川端画学校
1909年に、事細やかな山水・花鳥画を
描くことで知られている川端玉章が設立しました。
日本画家を育てる為に作られ、荻須高徳の他に
横山潤之助や海老原喜之助など
多くの有名な画家を輩出しています。
■東京美術学校
1887年に文部省によって設立されました。
図画取調掛と工部大学校内工部美術部が元にあり、
科目としても少なかったものの、
1896年になると西洋画科と図案科が誕生。
設立当初にはE.フェノロサと岡倉天心も
役員や校長として在籍しており、
現在は東京藝術大学と名も改めています。
■新制作派協会
小磯良平や脇田和など、
帝国美術院展覧会出身の作家によって
設立されました。
絵画や建築、スペースデザインなど
幅広く部門を持ちますが、
元々は官設美術展への反発によって生まれたものです。