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2019.05.17
骨董品

荻須高徳【文化勲章/洋画】

荻須高徳(おぎすたかのり)

 

荻須高徳は1901年に愛知県稲沢市で生まれます。

 

20歳で川端画学校へ入学すると、

 

優れた色彩感覚で風景画や婦人画を描く画家

 

藤島武二に学び始めました。

 

また1927年には、

 

東京美術学校西洋画科を卒業するとフランスに渡り、

 

バランスの良い明るい色彩感覚の風景画を

 

描いていきます。

 

やがて第2次世界大戦に際して日本に戻り、

 

新制作派協会会員として活動するものの、

 

パリで骨を埋める覚悟をするかのように

 

永住する事を決め、以後は再び

 

パリの風景画を描き続けました。

 

そして198610月に

 

パリのアトリエにて息を引き取り、同年、

 

亡くなった後に文化勲章が受賞されています。

 

 

 

作品の特徴

 

荻須高徳のパリの作品には、

 

いわゆる観光地のような有名スポットを描いたものは

 

目立ってありません。

 

路地裏にある建物や食料品店のような、

 

そこに住む市民が普段の生活で使っているような、

 

ひっそりとした場所が多く取り上げられています。

 

対照的に、人を描く事は殆どしていませんが、

 

それでも人の息遣いが聞こえると指摘されています。

 

なお荻須高徳は、パリに移り住んで

 

風景画を描いたのと同じように、

 

イタリアのベニスにも長い期間足を運んで

 

同じ様に作品を描いています。

 

代表作としては、『ベニスの赤い宮殿』があります。

 

 

 

荻須高徳の背景

 

川端画学校

 

1909年に、事細やかな山水・花鳥画を

 

描くことで知られている川端玉章が設立しました。

 

日本画家を育てる為に作られ、荻須高徳の他に

 

横山潤之助や海老原喜之助など

 

多くの有名な画家を輩出しています。

 

東京美術学校

 

1887年に文部省によって設立されました。

 

図画取調掛と工部大学校内工部美術部が元にあり、

 

科目としても少なかったものの、

 

1896年になると西洋画科と図案科が誕生。

 

設立当初にはE.フェノロサと岡倉天心も

 

役員や校長として在籍しており、

 

現在は東京藝術大学と名も改めています。

 

新制作派協会

 

小磯良平や脇田和など、

 

帝国美術院展覧会出身の作家によって

 

設立されました。

 

絵画や建築、スペースデザインなど

 

幅広く部門を持ちますが、

 

元々は官設美術展への反発によって生まれたものです。