若山牧水(本名は若山繁)は、1885年に宮崎県の医者の家に、長男として生まれました。
11歳となる頃に延岡高等小学校に進学し、そこで出会った文章家の担当教師・日吉昇の指導の下、自身も文学に熱中するようになります。県立延岡中学に入学後は、校長の山崎庚午太郎が若山牧水の文才能力を高く買ったことで、校友雑誌の制作を開始。同誌に制作した短歌を掲載したほか、在学中には新聞や文学雑誌への作品投稿も行い、雑誌『中学文壇』では入賞の成績を残しました。また、「若山牧水」の号を使い始めたのもこの中学時代で、発表した作品は数百首にのぼっています。
その後1904年には、家業であった医者の道を継ぐことをやめ、文学に没頭するため早稲田大学文学科へ入学。文学活動を行いながら同じ大学で知り合った中林蘇水や北原白秋などと並び、「早稲田の三水」と称されるようになりました。卒業直後には、はじめての歌集『海の声』を出版するなどさっそく歌人としての活動を行い、一時は歌人の尾上柴舟の門下となっています。
やがて、歌集や詩歌雑誌の出版をする中で、歌人としても活動していた太田喜志子と20代後半で結婚。この間には3つ目となる歌集『別離』を発表しました。若山牧水はこの頃から旅を多くするようになり、旅先や各地で多くの作品を制作していきます。1910年に創作社を立ち上げ発表した詩歌雑誌『創作』では妻と共に作品を発表し、また以降も数々の作品を手掛けていきました。
晩年も、随筆集『樹木とその葉』の発表や、1926年には詩歌総合雑誌『詩歌時代』を刊行するなど積極的に活動していきますが、1928年、43歳の若さで息を引き取っています。
自然主義的な表現の中で、人の心情や日常について表現している所に特徴があります。
1908年発表の歌集『海の声』では強く恋愛について語り、浪漫主義と言われている作風も1911年発表の歌集『路上』では現実性を強めていくようになります。なお同時に歌壇を代表する人物となっていきました。
またリズム感も良いと言った特徴もありますが、1912年発表の歌集『死か藝術か』や1913年発表の歌集『みなかみ』などは破調短歌として知られています。
それからは自身の現状を踏まえた作品群を展開していき、生涯で9000首もの作品を創作したと言われています。(未発表のものもあります)
明治時代中盤からは浪漫主義の作品が強く支持される中、若山牧水の、自身の感性を忠実に表現し自然を愛したその作風は、文芸に馴染みが無くても好まれるものであったと評価されています。
また、制作した短歌を毛筆で書き表すなど、書家としての一面もありました。
代表作
若山牧水記念文学館が所蔵の未発表作品である短歌一種を2018年に公開。
他には1911年発表の歌集『路上』(早稲田大学図書館が所蔵)
1923発表の歌集『山櫻の歌』(信州大学・中央図書館が所蔵)などがあります。
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