結城素明は1875年12月に東京で生まれました。なお本名は森田貞松と言います。10代の頃から絵に興味を持っており、16歳頃には近代円山派の代表的存在である、川端玉章が開く天真画塾に通い始めました。さらに次の年には東京美術学校日本画科へ進学。その後1897年に同校を卒業すると、今度は同じ学校の西洋画科に再び入る事になるのですが、その3年後に辞める事となっています。
西洋画科を退学し20代半ばになっていた結城素明は、1900年に美術団体の旡声(むせい)会を設立。また1907年には政府によって立ち上げられた、第一回文部省美術展覧会にて作品を発表し受賞しました。以降、政府主催の展示会にて受賞を重ね続け、40代になると新たに金鈴社という美術団体の立ち上げに携わっていきます。
また1913年からは東京美術学校の教授としても務めるようになりました。その10年後には文部省からの指定で欧州エリアへ留学し、フランスやパリの風景画を描いてさらに腕を磨きます。やがて50代半ば頃にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受賞。60代になると青木大乗や川崎小虎と共に大日美術院を設立しました。
そして1957年3月、息を引き取っています。
結城素明はいち早く、日本画に洋画の写実的な要素を取り入れている所に特徴があります。熱心にスケッチに励んでいたと言う結城素明は、活動初期は写実的な中に西洋画の手法を取り込むと言った試みを行っていきましたが、装飾性が出たり濃い色合いのある作品も展開していくようになりました。
前述で記しているこう言った結城素明の自由な作風は、旡声会によってありのままに自然を描く自然主義を目標とした所にもあります。また金鈴社では政府からも認められた画家と言えるにも関わらず、ロマン的な雰囲気を美人画に当て込むようになりました。
結城素明はそのほか文章にも優れており、様々な著書を残しています。
代表作
1911年第5回文部省美術展覧会に発表し褒状となった『囀』(さえずり)。(東京国立近代美術館が所蔵)
また翌年の第6回文部省美術展覧会で発表し、政府購入となった『甲ふたる馬』などがあります。
■旡声会(むせいかい)
設立メンバーには他に福井江亭や平福百穂、石井柏亭などがいます。
日本政府による日本美術院展覧会では西洋画で流行っていた理想主義を主立っていまとた。
■金鈴社(きんれいしゃ)
吉川霊華や平福百穂などがいます。お互いが自由に作品制作を行いながらも、批評もすると言った様に切磋琢磨していきまいした。
■大日美術院
様々な流派に捕らわれていることで作品を批判するべきではない、広い心を持つと言う日本画精神を唱えるものとして立ち上がりました。
それを考えたのは結城素明でしたが、本人としては日本政府にとても近い存在なので青木大乗に持ちかけた話が残されています。