石井柏亭(いしいはくてい)
石井柏亭は1882年3月に東京下谷区御で生まれました。
父は歴史画が有名な日本画家の石井鼎湖(いしいていこ)
として知られています。
石井柏亭は早くから父に日本画について学んでおり
日本画を日本美術協会や日本青年絵画共進会に
出展した経験もあります。
その後1895年に中学校を辞めると、父が働いていた
大蔵省印刷局に彫版見習生として入り、
次の年から水彩画を独学で学び始めました。
また1898年にはしっかりした写実性の中に
情感の漂う作品群で有名な浅井忠から学び、
油彩画の制作活動を本格的に行います。
1900年には浅井忠がヨーロッパへ渡っている関係で
石井柏亭は太平洋画会の中心メンバーとして
知られている中村不折から学び、
次の年からは続けざまに
无声会や太平洋画会などの場で発表していきました。
1907年には森田恒友や山本鼎達と共に
雑誌「方寸」を発表。
また1910年にはヨーロッパやエジプトへ渡り
2年間の滞在を経験し、帰国後、
1913年には日本水彩画会、
そして1914年には二科会を設立しています。
やがて1958年12月、76歳の時に息を引き取りました。
代表作としては『パリの宿にて』や『晩春行楽』
『信州風景』などがあります。
浅井忠に敬意を表しながらの作品群が有名
石井柏亭は、温かみのある色彩で、
浅井忠譲りのしっかりした写実性を
リズム感のある柔らかなタッチで表現した
作品群が有名です。
また浅井忠に指示される前から
才能に関して注目されており、12歳の時に発表した
『長年尽忠図』は宮内庁が購入しました。
なお詩文や版画にも強く、詩文に関しては
情感豊かな作品を描く浅井忠と通じる部分がある
とも考えられます。
そして石井柏亭自身は1929年に『浅井忠 : 画集及評伝』
を発表しているなど、浅井忠に対するリスペクトが
十二分に感じられます。
関連用語の細かい解説
■无声会
1900年に石井柏亭の他に、
アララギ派の歌人である平福百穂。
東京美術学校で指導を務めた渡辺香涯など、
合計7人によって設立されました。
主観は入れずに客観的に描写する
自然主義を掲げている団体でもあります。
■二科会
1914年にレジオン=ドヌール勲章を授かった山下新太郎。
小説家としても活躍した画家の有島生馬と共に設立。
文部省美術展覧会の洋画部門において、
審査に疑問を感じていた為に設立しましたが
石井柏亭自身は1935年に
帝国美術院の会員になると同時に
二科会を辞めています。
■日本水彩画会
1913年に石井柏亭の他に洋画家で
『白い砂』や『大島の冬』などが知られている
赤城泰舒。
日本アルプス写生旅行での作品群が有名な
丸山晩霞などの、水彩画家達によって
結成されました。
現在も定期的に発表しており
幅広い画風を受け入れています。
血筋と才能におごらなかった石井柏亭
石井柏亭は幅広い表現で、それぞれの作品の
固有の世界観を表現してきたと言われています。
恐らく生まれ持った血筋と才能と
また努力によってその評価が付いてきた
と考えられます。
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