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掛け軸・絵画
2020/05/08

田辺至【洋画家】

田辺至(たなべいたる)

 

田辺至は1886年12月に東京の神田で生まれました。

 

なお京都学派の哲学者の

 

田辺元の弟としても知られています。

 

その後20歳の時に東京美術学校西洋画科に入り

 

そこでは日本を代表する

 

外光派作家の黒田清輝から学びました。

 

1910年に同校を出ますが研究科へと進み

 

二年後には助手として務めています。

 

またその間でも文部省美術展覧会の場で

 

三等賞を獲得するなど活躍を続け、1914年には

 

二科会の設立にも加わっています。

 

やがて30代になると東京美術学校の助教授となり

 

1922年から二年間、

 

文部省在外研究員としてヨーロッパ地方を渡り

 

版画など美術について深く学んでいきました。

 

1925年には光風会において作品を出し

 

同年には帝展審査員となります。

 

明治神宮絵画館の壁画として『不豫』を制作し

 

1928年には東京美術学校の教授として就任。

 

第8回帝国美術院展覧会の場で『裸体』を出品し

 

帝国美術院賞を獲得するなど

 

幅広い活躍を見せていきました。

 

1934年に帝展での第二部審査員級の仲間と共に

 

白潮会の立ち上げに参加。

 

その後、戦争の時期には海軍軍事普及部嘱託で

 

戦争記録画を手掛け、戦後は無所属で作品を描き

 

戦後は移住した鎌倉の地で

 

美術家クラブに所属するなどしています。

 

そして1968年1月、81歳で息を引き取りました。

 

他の代表作としては『花』や『畑』、

 

『モレーの洗濯場』などがあります。

 

 

 

作風

 

田辺至は手堅い作風ながらも人物画・風景画に限らず、

 

見た人を優しい気持ちにさせてくれる

 

穏やかな雰囲気として有名です。

 

なおそれは趣味のクラシック音楽鑑賞による

 

インスピレーションが生きているとの事です。

 

またこれらの田辺至の作品は

 

図画新撰に詳しく載っており、

 

他にも銅版画やエッジングで

 

優れた作品を残しています。

 

・『裸体』が特に有名

 

田辺至の作品の中で

 

よく取り上げられやすいものとして、

 

1926年の第8回帝国美術院展覧会の場で

 

帝国美術院賞となった『裸体』があります。

 

文部省在外研究員時代にヨーロッパで見た

 

西洋美術に影響を受け作った作品とされており、

 

写実的なながら優雅な雰囲気と、

 

迫力も感じられる内容として仕上げています。

 

 

 

他の活躍と戦後の動向

 

田辺至は他にも

 

日本エッチング作家協会の初代会長に就任したり

 

戦後の無所属となった時期も住んだ地である

 

鎌倉の美術家クラブ代表や

 

県立近代美術館運営委員を務めています。

 

なおその頃になると自分のベースを守って

 

作品製作をしていたとの事です。

 

 

 

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