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2020.08.07
骨董品

田辺光彰【彫刻家/神奈川県/野生稲】

田辺光彰(たなべみつあき)

田辺光彰は1939年2月に神奈川県で生まれました。やがて、在籍していた多摩美術大学彫刻科を出た翌年、アメリカの彫刻家イサム・ノグチと会ったことは自身の作家性を決める大きな転機の一つとなっています。

30代の頃には1971年に中東や南米、欧州などのあらゆる国を周り、7年後の1978年には個展を開催。翌年には第1回ヘンリー・ムーア大賞展で発表した『混在(あ)』によって、ジャコモ・マンズー特別優秀賞を獲得しました。また1982年には個展を開くと同時に、佐久市立近代美術館の広場にて『さく』を発表。そして一年間、諸国を漫遊していた時期に強い感銘を受けたとされる韓国内の韓国国立現代美術館にて、外国人作家の6人の中の一人として選定されています。1986年頃に行われたその選定はソウルオリンピックに携わる事業のひとつでもあり、田辺光彰としては『SEOUL・籾・熱伝導』を造りました。

その後は、のちに自身の作品の重要なモチーフとなる野生稲に着目し、1994年には国際稲研究所によって『MOMI-1994 野生稲の発芽』を手掛けます。また野生稲について知り『MOMI-1994 野生稲の発芽』を発表するまでの間には、国内での展示も多数行っており、1991年には『MOMI(3)1989』が、中国浙江省博物館への永久保存が決定されました。

 

晩年は国内での発表を連続して行い、2015年3月、76歳で息を引き取っています。

 

 

田辺光彰の作品の特徴は?

田辺光彰は自然についての問題意識を説いた作品群を、多く展開しているのが特徴です。これらは野外に設置される巨大なスケールの内容として表現され、例えば佐久市立近代美術館での『さく』は高さ40メートルはある風導塔や、70メートルの遊歩道などと言った作品として知られています。

なお活動初期は音が出る作品もあったりするなど、そこに訪れた人がただ見るだけではない、楽しさも提供していると言えます。ちなみにイサム・ノグチと会ってからは、しばらく石膏で作品模型を手掛けた時期もありました。

 

 

田辺光彰の作品の他の背景は?どう評価されているのか?

田辺光彰は1987年から現代においての作品の価値について考え、それには自然環境についての考えが根底ともなっているのですが、これらの考えは野生稲を題材にした作品群を展開する背景となりました。

また食糧危機問題についても考え、作品制作を通して自然環境を訴えるのが田辺光彰の制作活動となります。その活動が実を結び実際に国立研究所や博物館と言った、自然環境を担う重要な施設に作品が展示されたり、野生稲について具体的な計画が動き出しました。

 

他の代表作

 

1986年発表の『遥かなるもの・横浜(貝)』(横浜港本牧埠頭突堤に設置。)こちらは三部作として造られ他に第二弾の『貝』があります。

他には1988年発表の『直江津』(新潟県直江津港に設置)。

また2006年、長さ19メートルの『爬虫類・MOMI‐2006(野生稲自生地保全)』(オーストラリア・ケアンズのマリーバ湿地帯に設置)を発表しました。

 

 

各ワード紹介

■イサム・ノグチ

日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた日系人です。ロサンゼルスを出生地としながらも幼い頃は日本にも住んでいるなどの経験もあり、一つの国の文化に捕らわれない、野外設置のスケールの大きな作品を手掛けていきました。なお彫刻のみならず陶芸や建築なども手掛けています。

 

■野生稲

イネ属の自生する植物であり、中南米や亜熱帯などに多くあります。私達が慣れ親しんでいる米は栽培稲に該当します。野生稲は水回り不足などの自然環境の変化で絶滅が危惧されています。