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掛け軸・絵画
2020/01/16

牧野虎雄【洋画家】

牧野虎雄(まきのとらお)

 

牧野虎雄は189012月に新潟県高田市で生まれました。

 

中学3年生の時点ですでに画家を志していた牧野虎雄は

 

1908年に美術学校西洋画科へ入学。

 

黒田清輝や藤島武二と言った

 

洋画界を代表する人物達に指導を受けながら、

 

1912年の第6回文部省美術展覧会において

 

千葉県の銚子の風景を描いた『朝の磯』と

 

『漁村』が初入選となります。

 

また1922年には帝国美術院展覧会にて

 

審査員となると同時に、永久無鑑査になっています。

 

その2年後には、花鳥や静物を多数描いてきた

 

高間惣七と共に槐樹社を設立。

 

のちの1933年に槐樹社は解散していますが

 

改めてこの元会員や若手作家達と旺玄社を立ち上げたり

 

1935年には多摩帝国美術学校の設立に加わるなど、

 

積極的に活動していきました。

 

さらに同年には洋画科主任を務めると言ったように

 

グループの設立や後進の指導に特に力を入れています。

 

そして194610月、56歳の若さで息を引き取りました。

 

 

 

作風

 

牧野虎雄は確かな画力を持って、

 

作風を変化させてきた事で知られています。

 

活動初期は茶系がメインの

 

暗い色彩感覚であったものの、

 

段々と日本画の華やかな作風を意識した

 

明るい画面になり、また平面的な作風へと

 

変化させています。

 

なお対象物に対する描写の簡略具合も

 

自由に変えているのも牧野虎雄の特徴

 

と言われていますが、

 

総じて懐かしい気分にさせてくれるような

 

穏やかな雰囲気の作品が目立ちます。

 

 

 

槐樹社とは

 

1924年に結成された洋画団体です。

 

牧野虎雄や高間惣七の他に、

 

『朝鮮服を着たる女』や『緑衣』が知られている

 

熊岡美彦。

 

『熱海風景』や『湖水風景』が有名な

 

大久保作次郎などが在籍しています。

 

フォービスムや立体派と言った

 

海外で流行っていた絵画運動を意識している組織

 

としても知られています。

 

 

 

日本的洋画を試みた牧野虎雄

 

牧野虎雄は日本的洋画を確立させようとしてきた

 

と言われています。

 

作風を次々と変えていったのも

 

そこに起因しているのかもしれません。

 

牧野虎雄に限らず槐樹社の活動動向を見ても

 

日本の絵画は洋画のその時の流行を、

 

取り入れようとしている部分が強いように感じます。

 

牧野虎雄は早くに亡くなってしまったのが残念ですが

 

多種多様な試みは

 

後進の作家に大いに役に立ったはずです。

 

 

 

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