清水登之は、1887年に栃木県で生まれました。
19才の時に成城学校を卒業すると
翌年にアメリカへ渡り、やがてシアトルにいた画家
フォッコ・タダマの画塾に入門しました。
その後30歳になると
ニューヨークでデザインの仕事をしながら
美術を学んでいます。
現地の美術学校、アート・スチューデンツ・リーグで
ジョン・スローンに師事し、ユーモアの中にも
哀愁の溢れる庶民生活を描きました。
その後、30代後半になるとパリに移り
キュビズムなどの絵画に影響を受けて
物語性豊かな作風を確立させています。
1927年には、帰国して二科展に出品し、翌年
『大麻収穫』、続けて『父の庭』で樗牛賞を受賞。
さらに翌年に『地に憩ふ』で二科賞を受賞しました。
さらに同年、独立美術協会の創立に参加し
中心メンバーとして活躍していきます。
作品は日本的な主題に取り組みながらも
中国や東南アジアを訪れ、各地の人々や風景、
日本軍の記録作品なども描きました。
清水登之は、1910年代から20年代初めに
ニューヨークでの経験をもとに
自身の作風を確立しました。
そして1920代のパリ時代においては
ますます画業を充実させていきます。
アメリカ時代の作品『横浜の夜』などは
アメリカの画壇への進出に大きな足跡を残し
さらにこの作品はThe Art Institute of Chicagoの
年次展覧会でAugustus賞を受賞しました。
しかし、外国人という理由で取り下げられています。
また、パリ時代の作品では都市で暮らす
庶民への共感をユーモラスに描き出しました。
『セーヌ河畔』の作品では、セーヌ川で
釣りに興じる人、橋の欄干から釣り人を見下ろす人々
ジグザグに描かれた道、そして二本の巨木が
画面を大胆に貫く構図のバランスが
その画力の確かさを物語っています。
さらに、中間色で作品をまとめあげることで
作品全体に上品さが生まれ、清水登之の
フランス時代の典雅さを示しています。
そして、1932年頃からは従軍画家となり
戦争を題材とした多くの戦争画を描きました。
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