江森天壽は1887年4月に埼玉県幡羅郡で生まれました。なお本名は誠と言います。父は南画家として活動しており、幼い頃から教えを受けていました。江森天壽は1906年に東京美術学校日本画選科へ入り、在学時に美術研精会会員となります。その後、美術研精会で第8回展の『月見草』と、第9回展での『日ざかり』にて銅賞を獲得。1911年に東京美術学校を出ると、日本画家の荒木寛畝が開いた読画会に入ることとなりました。
他にも文展や日本画会、巽会・日本美術協会の場においても活躍は続き、さらに元号が大正となってまもない1913年には、27枚の幸安禅寺の為の天井画を作成しています。1917年の維新五十年記念博覧会の場では『初秋』を発表し、一等金牌を獲得。まさに破竹の勢いと言った感じですが、1925年2月、37歳の若さで息を引き取りました。
江森天壽の作品は写実的な花卉や花鳥画に優れていて、また実際の自然の中に見える爽やかさを表現できていると指摘されています。文展での受賞作品である『向日葵』や『鳳仙花』などは自宅の近くにある自然を題材にしているのですが、身近な自然であっても描いていないところがないと言われるくらい、細やかに表現すると言った信念で描いているのです。
東京美術学校日本画選科に入る以前から秀でた才能を発揮していると言われており、優れた模写能力にその片鱗を感じられたと評価があります。模写は観察銀を磨かないと出来ないものなので、自然作品に見られる特徴に通じるものがあると言えます。
■他の代表作
『藤豆』や『花野』、『残紅』などです。
■南画
中国の元や明、清時代に誕生した、江南地方の緩やかな地形と気候を描いた南宗画が元になっています。それを江戸時代中盤から日本が取り入れたもが南画です。
明治時代では日本南画会も誕生し、さらに大正になれば日本南画院が創られると言ったように、明治や大正は南画家の基盤が固められた時期だと言えます。
■花鳥画
花鳥を描くのみならず草虫や小動物も描いた自然画です。四季の移り変わりをしっかりと描くのが花鳥画と言われており、実際の自然の雰囲気を再現するには、卓越した技術と細やかな観察銀が必要とされています。
■荒木寛畝
読画会を開いた日本画家でシカゴやセントルイス万国博覧会など、国内外で活躍しました。花鳥画に優れていると同時に、東京美術学校教授や帝室技芸員としても活躍し、後進の指導に務めました。