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骨董品
2018/11/15

橋本雅邦【帝室技芸員/画家】

橋本雅邦(はしもとがほう)

 

橋本雅邦は、1835年に江戸で生まれました。

 

父の橋本養邦は川越藩の狩野派の御用絵師だった

 

と言われています。

 

5歳の頃から父に学び、

 

12歳になると正式に晴川院養信に入門しました。

 

1860年に絵師として独立しますが、需要が少なく

 

また明治維新の動乱の中で財産も失うこととなります。

 

やがて兵部省の海軍兵学校の図係学係として

 

製図に従事するようになりました。

 

そして、狩野派の絵師達も不遇の中、

 

アーネスト・フェノロサによって

 

伝統絵画の復興運動が盛んになり、

 

橋本雅邦も日本画の新しい時代の模索を

 

続けていきます。

 

そして1882年に第一回内国絵画共進会で

 

「琴棋書画図」が銀印主席を獲得すると

 

後に「竹に鳩」が宮内省の買上げ作品となりました。

 

1884年には、フェノロサが「鑑画会」を発足すると

 

橋本雅邦も参加して

 

活発に制作活動を行うようになります。

 

1890年には東京美術学校の開校に際して

 

絵画科の主任となり、同年、橋本が55歳の時には

 

帝室技芸員制度が発足するとそれに任命されました。

 

 

 

橋本雅邦の作品の特徴と技法

 

橋本雅邦は、狩野派の俊才とも言われた確かな技量と

 

格調高い伝統的な日本画の描法体得していました。

 

これらの技法を基礎とし、

 

さらに洋画の遠近法や光の表現を取り入れて

 

日本画に革新的な画風を確立しています。

 

「洋画をそのまま日本画に応用するのではなく、

 

神髄を究めてから受け入れるべき」

 

と自身が語っている通り

 

近代の新しい息吹を取り入れながら、

 

後進たちに伝統を引き継ごうとしている

 

橋本雅邦の作品には

 

深遠な作意が込められているように見えます。

 

 

 

橋本雅邦の評価される所以

 

橋本雅邦は明治期の日本画が衰退していく中で、

 

狩野芳崖やフェノロサらと共に

 

日本画の再興に大きな功績を残しています。

 

フェノロサが鑑画会にも参加し、

 

日本画の新しい表現方法を創作しました。

 

また、橋本はフェノロサ、岡倉天心、狩野芳崖らと

 

東京美術学校を設立し、

 

日本絵画の近代化の基礎を築いています。

 

そしてこの東京美術学校では

 

指導した横山大観、菱田春草、橋本静水、

 

下村観山、西郷弧月、川合玉堂など

 

優秀な後進が育ちました。

 

また、日本美術院の創立にも

 

岡倉天心と主幹という立場で関わり、

 

画壇の重鎮として重んじられていました。

 

その後も二葉会を創立するなど

 

生涯後進の育成に尽力しています。

 

 

 

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